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コラム

第116回 RRMCと中川修さんの功績(2024.4.4up)

はじめに

全国には少し変わったマジッククラブがあると思います。その一つが大阪のRRMCです。レッド・リバー・マジシャンズ・クラブとも言います。過酷で無責任ですが楽しい奇妙な会です。例会が月2回あり、会長が毎回変わる無責任さがあります。前回の例会で多くのメンバーをうならせると次期会長になれます。入会金は100万円で、その代わりに会費がありません。喫茶店の一部をご好意で使わせてもらっているので飲食代が必要です。入会金100万円を支払うまで退会できません。100万円を払って退会した会員がいないほどの素晴らしい会です。大阪のギャグ感覚が分かる会員であることも条件の一つです。

過酷であるのが、当日演じたマジックを全員の審査で点数をつけ、当日の順位が決定されます。さらに、年間総合得点も計算され年間順位も発表されます。また、正会員になるには厳しい条件があります。発表した作品の最後に会員の名前が出現した場合に、その名前の会員が正会員となります。本人ではなく別の誰かが発表し、それが一定レベル以上である必要があります。このような奇妙な会が40年も続いているのが驚きです。そして、この会の創始者の一人で、奇妙な会則を提案したのが中川修さんです。その中川さんが残念なことに2021年12月6日に亡くなられました。73才でした。中川さんのすごさは、これまでになかった発想をマジックに取り入れて驚きを与えてもらえたことです。そして、楽しさを最優先された発想力が飛び抜けていました。どのようなことなのかを紹介させて頂きます。なお、20年以上もRRMC発表会を中断したままでしたが、今年の8月4日には楽しい企画で発表会開催を予定しています

中川修の新テーマ1「名前シリーズ」

中川さんのマジックで、大きな衝撃を受けたのが「名前シリーズ」です。その恩恵を最初に受けたのが私で、突然、マジックの最後に私の名前が出現しました。1986年12月の例会でのことです。この驚きは名前が現れた本人にしか分かりません。そして、私のためだけに全精力を注いで作られたことに感激させられます。80年代後半には多くのメンバーの名前を登場させていますが、毎回、方法が違っていたのもすごいことです。単に名前が書かれたものが出現するだけではダメです。マジックに使われていた物や文字が、最後にメンバーの名前となる意外性と驚きが重要です。マジック進行途中で名前が登場することを感じさせたのでは価値がありません。この「名前シリーズ」が登場するようになってから新しい会則が追加されます。一定レベル以上の内容で名前が登場した場合に、その名前の人物がRRMC正会員となります。つまり、私が正会員第1号となるわけです。かわいそうなのは、次々と正会員を作り出された中川さんがなかなか正会員になれなかったことです。

1988年9月に第3回目となる泊まり込みの合宿が行われました。その時に中川さんが演じた長い手順の「中川先生の算数教室」には全員が圧倒させられます。その作品の最後に中川さんの名前も登場しました。「14+6=2」のような間違った計算式の1つを動かすだけで正しい式にするトンチ問題が出されたり、カードトリックでは「19+4=」の計算式を少し動かして客のカード名に変化させていました。また、手順が進行する中で突然ファストフードの「マクドナルド」の歌が登場した時には大きく盛り上がり、現在でも記憶に残る名作となりました。そして、最後に表示された計算式が中川さんの名前に変わる面白さがあり、この合宿で最高評価の作品となりました。しかし、中川さんは正会員になれませんでした。正会員は他のメンバーによる発表が条件であるからです。それから2年後に谷英樹さんがRRMCメンバーに加わりますが、その2ヶ月後には谷さんが中川さんの名前を登場させます。さすが谷さんです。これにより、中川さんも、やっと、正会員になることができました。

中川修の新テーマ2「かえしシリーズ」

別の衝撃を受けたテーマが「かえしシリーズ」です。以前の例会で誰かが発表した作品を、その発表者が驚くほどに形を変えて発表されます。単なる改案では価値がありません。元の発表者をびっくりさせる必要があります。これも「名前シリーズ」同様で、元の発表者だけに受けることをねらったものです。私の発表では地味であった作品を、中川さんが数倍以上の派手な作品に変えて、私がレパートリーにしたいほどの作品に生まれ変わりました。それが「かんがえるカード」です。カエルのダジャレの連発でふざけているのかと思わせて、2重、3重の驚きのクライマックスが用意されていました。中川マジック・ベスト3をあげるとすると、私にとってはベスト1にしてもよい作品です。

また、本来の「かえしシリーズ」には入らないかもしれませんが「日本列島」も記憶に残る作品です。中川さんが演じたマジックに対してメンバーの一人がダジャレを含めて言った挑発的セリフが、次の機会に重要なキーワードとなるマジックを演じられました。40枚の小型デックを横向きにして、横へ5枚並べて縦8列にすると四角形になり、その中のクラブのカードが日本列島の形になっています。この謎の行為が、以前に言われたダジャレの挑発的セリフにより解き明かされ、思いもよらない驚きの方法で客のカードを当てていました。

中川修の新テーマ3「日本語マジックシリーズ」

日本語を使ったマジックは、既にいろいろ発表されていると思います。しかし、中川さんの場合は、その異状なレベルの高さに圧倒させられます。そのテーマの最初が1986年5月例会の「ザ予言」と「ピラミッドの謎」でした。「ザ予言」は軽いタッチの日本語マジックです。縦封筒にザ予言を縦書きにすると「ザマアーミロ」と読めます。なお、予言の言の文字のトップにある一を縦書きにする必要があります。封筒からジャンボの予言カードを取り出すとスペードのQで「あかんべ~」のしぐさをしています。もちろん客のカードと予言が一致していることが分かります。そして、なぜ奇妙なしぐさをしているのかを、封筒に書かれた「ザ予言」の別の読み方で説明することになります。

他方の「ピラミッドの謎」は、めまいがするほどの大仕掛けで、メンバー全員をノックアウトするパワーがありました。三角関数の用語であるサイン(客のサインカード)、コサイン(余弦・予言)、タンゼント(丹前と)、三角関数(3か9感ず)を取り入れた予言マジックです。このマジックの難点は、高校で学ぶ三角関数の用語と内容を理解していなければすごさが伝わらないことです。タンゼント4分の1のπが1になることを覚えている大人は少ないと思います。それを忘れていても丹前を着たQが4分の1のパイを見せている絵札の面白さがあります。そして、それらの意味が一つずつ解き明かされます。ミステリー小説の最後の謎解きシーンのような魅力があります。

多くのメンバーの記憶に残っているのが「ゴホンと言えば龍角散」です。カード当てトリックですが、「5本と言えば理由書く3」に関連した操作が行われ、最後に小さい缶の龍角散が取り出されます。そして、客のカードを当てていました。どのようなマジックであったかを覚えていなくても、龍角散の宣伝文句の威力を思い知らされます。

よく知られたマジックのかえし作品

会員が演じたマジックのかえしではなく、既成作品の中川流かえしマジックです。遊び心満載です。RRMCとして本格的に活動を始めた1986年は、メンバーであれば「ひょこり現れる3」が出来ることが基本になっていました。選ばれたカードを表向けてテーブルに置くと3であり、客が配った10枚以上のカードを3つの山に配り分け、各山のトップから3のカードが出現します。これを中川さんは「ひょっこり現れる4」や「ひょっこり現れる7」に変えていました。4の場合は4つの山に配ります。3つの山から残りの4が現れますが、4番目の山の4が足りません。その山のトップを表向けると、キャラバン・デックのジョーカーが4のポーズをして立っていました。7の場合は7つの山に配り、足りない部分からは「ウルトラセブン」「質屋」「シガレットのセブンスター」のイラストなどが登場します。そして、最後の山では7のカードが出るように「出ろ!出ろ!」と呼びかけると、007のイラストが出現します。

「ひょっこり現れる3」は1972年発行の氣賀康夫著「百万人のトランプ手品」に解説された簡単に出来るのに効果の大きいトリックです。原案は1955年発行のStewart Smith著 “One More Thought on Card” に解説の “Pop Over Treys” です。この原案を氣賀氏は効果的な方法に改良されていました。

「トライアンフ」の場合は客が選んだカードがジョーカーであり、表と裏を混ぜるシャフルをします。その後スプレッドすると何故か3枚のジョーカーが表向いています。1枚ずつ取り出すと、自転車に乗っているジョーカー、走っているジョーカー、泳いでいるジョーカーです。つまり、「トライアンフ」というよりも「トライアスロン」であったわけです。

中川修さんについてと中川マジックの傾向

中川さんと若い頃からマジックで交流されていた宮島昇さんからいろいろと話を伺いました。中川さんが得意とするのがイラストや工作で、1番の趣味がパズル、2番目がマジックであったことが分かりました。このことにより様々の謎が解けました。発表された作品のほとんどがパズルとマジックを合体させたものと考えるとスッキリします。そして、これにダジャレとイラストの楽しさが加わります。

1990年頃まではRRMCメンバーに受けることだけをねらっての遊び感覚作品が中心です。その代表が「名前シリーズ」です。RRMCメンバー以外で受けることを全く考えていないと言ってもよいほどです。ところが、1989年頃から大きく変わります。外へ向かっての作品が中心となり、一般客やマニア向のマジックになります。つまり、本来の正統派マジックです。新たに吸収された原理を使い、中川流のパズル・センスとイラスト能力を発揮した作品が次々と発表されます。1989年の「くいだおれ」や「今日の予算」、1990年の「百人一首・オブ・マインド」、1992年の「指名手配」や「Twin Peeks(中川デック)」などです。中川デックは2つのデックを使い、一方のデックでピークにより覚えさせたカードが、他方のデックの指定した枚数目より取り出されます。もちろん、全てがバラバラのカードでフォースも使いません。

外へ向けての方向転換が作品だけではなく、作品集の出版物や出版記念パーティー、そして、カーニバルの名前の発表会も開催されます。調べますと、1992年の「レクチャーノート1」出版記念パーティーから、2001年の「第5回RRMCマジックカーニバル」までに14回もRRMC主催の催しを開催していました。各メンバーの個人作品集だけでなく、多数のメンバーの作品が掲載されたレクチャーノートが6冊も発行されます。特に1997年から2001年まで毎年発行されます。それらの出版物の編集やパーティーの企画に中川さんが大きく関わっていました。それだけでなく、メンバー内部に向けての新たな広報活動が開始されます。1990年1月より、例会の度にB4サイズ1枚のRRMC新聞「あるある」が発行されることになります。写真が豊富で見て楽しい内容ですが、メンバー内の情報共有と団結につながります。これが1996年4月の179号まで継続され、特別なことがあるたびに「号外」も発行されました。

2000年以降のRRMCと中川さん

2001年1月から新しいタイプのRRMCニュース「あるある」が発行されます。カラー写真に変更されA4用紙が使われます。楽しい中川レポートだけでなく、別タイプの裏RRMCレポートも発行されることになります。各メンバーの発表作品の詳細レポートを私が担当し、演技中のカラー写真が加わった数ページの豪華版です。もちろん私一人で出来るわけがなく、特に川島さんには多大な負担をかけてしまい、1年で終了してしまいます。中川レポートも2002年中頃には終了したのが残念です。

中川さんは転勤や目の手術、そして、2010年代には腹部の大きな手術もされRRMCは休みがちになります。それでも可能な限り出席され、本来の得意とするパズルや工作物をRRMCで発表されました。2016年頃にはセンスのあるパズルをハガキ・サイズでラミネート加工して、毎回、全員に配られ、それを誰かが解いてからマジックを開始する方式をとられていました。そして、何よりも素晴らしいことが、工作マジックのクオリティーの高さです。鈴木徹氏の作品で不思議さの強い「ラッシュアワー」をレギュラーデックで作られた時には、あまりの素晴らしさに誰もが欲しがりました。デックケースが中央で割れて皮1枚でつながっている状態で、ケースのフタを開けると無傷のデックが出てくる作品です。また、筒の中でイスの上下が入れかわる「トプシタービー・チェヤー」の出来栄えも素晴らしいとしか言いようがありません。職人ワザを感じさせられます。「◯X ゲーム」の最後で、ボードをひっくり返すと中川さんのイラストが完成されている道具も魅力的です。 私のイラストが出現すれば、名前シリーズ以上の感激となります。

1986年以前の紀元前RRMCについて

2009年に新たに発行された「あるある」新聞には、RRMCの紀元前の歴史を中川さんが報告されています。1982年4月に中川さんと宮島さんがクラブを作り、第1回の例会を開始して細々と活動されていました。1984年11月より技術向上のために中村正則氏の「フラリッシュ教室」に参加することになります。教室後の反省会に利用していたのが「レッドリバー」の喫茶店で、教室に参加されていた川村さんや渡辺さんも加わり4人体制となります。つまり、中村正則氏がRRMC結成に大きく関わっていたのが意外なことです。中村氏のカードやコインのフラリッシュや技法は完璧で素晴らしいのですが、約2年間でマジックを見せてもらうことも教わることもなかったそうです。1985年8月に喫茶店へ参加してもらった庄野さんの演技により、あらためてマジックの凄さを感じたそうです。庄野さんもRRMCに加わり、1986年には和久さんと私も加わった7人の新体制でRRMCの例会が開催されます。その後、次々と新メンバーが加わることになります。

おわりに

RRMCに参加してまず感じたことは、各メンバーの個性の強さです。その中でも中川さんのマジックには圧倒されっぱなしでした。マジックはカッコよさの追求や不思議さの追求だけではなく、それらとは違った別の楽しいマジックの世界もあることに目覚めさせてもらえました。中川ワールドを満喫させてもらえたことに感謝の言葉が言いつくせないほどです。その中川さんへの感謝の思いも込めて8月4日には23年ぶりの発表会開催が決まりました。

参考文献

1992 RRMC Lecture Notes Vol.1 14作品

1995 中川修 Japomagica 中川修作品集 323ページ

1997 RRMC Lecture Notes Vol.2 11作品&依井貴裕ミステリ「奇跡」

1998 RRMC Lecture Notes Vol.3 9作品&2記事

1999 RRMC Lecture Notes Vol.4 11作品&2記事

2000 RRMC Lecture Notes Vol.5 8作品&3記事&コレクターの研究

2001 RRMC Lecture Notes Vol.6 13作品&高井研一郎師特別企画


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