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コラム

第108回 松山光伸氏とマジックへの功績(2023.01.11up)

はじめに

海外に向けての著述活動にも大きく貢献されたのが松山光伸氏です。その松山氏が2022年12月10日に亡くなられました。74歳でした。日本だけでなく、海外のマジック界においても大きな損失です。ニューヨークにある奇術史の研究機関”Conjuring Arts Research Center”から発行される”Gibeciere”に12回にわたり掲載されました。日本が世界と関わったマジック開国史を中心に日本のマジックの歴史を2006年から2016年まで続けられました。もちろん全て英文で毎回40から70ページもあったことに驚かされます。日本では歴史研究以外にマジック作品を多数発表され、さらに、著作権の問題や訪れた各国のマジック事情も報告されてマジック界に大きく貢献されました。まず、印象的であったことから報告させて頂きます。

感動的なカード技術と作品

松山氏は奇術史の研究だけではありません、マジックの考案も独創的なものばかりでした。しかも、技術の素晴らしさに圧倒させられます。初めてお会いして見せて頂いたのが1981年のボストンのSAM大会でした。数枚のボトムに特定のカードを置いたのに1つ上に移動します。これが次々と上昇しトップまで上がります。これまでに多くのマジックを見てきましたが、あまりにもシンプルで不思議で強烈であったので感激しました。独自に考案された技法を使っていたことがかなり後になって分かるのですが、その後、それを行うための重要な指を骨折され繊細な操作が行えなくなりました。よく似た技法や現象がありますが、すごさの度合いが違っていました。残念ながら、この技法と作品は発表されていません。また、エレベーターカードを1973年1月号の”Maniac 2”に解説されています。これは原案のマルローの方法のように初心者にも行えるものではなく、各種の技法を使うかなりマニアックな作品です。ボトムカードをパームしつつトップカードを取り上げて表向ける大胆さがあるだけでなく、巧妙な発想が加えられた面白さがありました。こちらは実際の演技を見ていませんので、当時の演技を見たかった思いが残りました。

強烈な印象の「ところで今何時?」

松山氏の作品で最初に強烈な印象を受けたのが1975年の「ところで今何時?」です。A~Qの12枚を混ぜて時計の円形文字盤状にし、特定の法則で1枚ずつ表向けます。すると、2枚だけが裏向きで残り、それが現在時刻を表しています。これまでになかった新しい発想の意外な現象で、石田天海賞委員会編集「15人の奇術家とその作品」に解説されていました。海外では1984年の”Epoptica Year Book”に松山氏の”Chronometer Card”としてマーチン・ガードナーが解説しています。これを読んだ後、その素晴らしさに感激し、私はもっと楽にできる方法を考えたくなりました。松山氏の方法ではA~Qの12枚を客にシャフルさせていたために、頭を酷使する素早い頭の働きが必要であったからです。松山氏は見た目がシンプルで最善の手を用いるためには、ためらわず難しい技法も敬遠せずに使うことを選ばれます。また、「ところで今何時?」では頭を素早く働かせることを選ばれたようです。このようなマジック創作に関しての考えは上記の1975年の書物に報告されていました。1990年代に入ってご本人から直接お聞きしたことでは、「ところで今何時?」を最初からセットする楽な方法も考案されていたそうです。しかし、それをやめて不思議さを重視した客にシャフルさせる方法を選ばれたとのことでした。

世界的に有名になった松山フォース

松山氏の原理として海外で有名になるフォースがあります。「松山 Petal(花びら、花弁)原理」や「松山原理」、または、「松山フォース」とも呼ばれています。日本では1993年の「ザ・マジック15号」に掲載された「花占い」の中で使われたフォースです。「好き」「嫌い」と言いながらアンダー・ダウンを行うと必ず最後の1枚は好きで終わり、それが客のカードになります。面白みのないアンダー・ダウンが一気に楽しい操作に変わります。これが1993年の”Rigmarole 4”にマーチン・ガードナーにより解説され、その後、多くの有名マジシャンから応用作品が発表されてよく知られるフォースの原理となります。特に2002年の”Semi-Automatic Card Tricks 4”では9作品も掲載されていました。その後もこのシリーズの本では応用作品が次々と発表されます。元々各種原理の研究とそれを応用することに興味を持たれていたようです。松山氏が初めてマジック関係誌に掲載されたのが1971年「奇術界報」354号の「フェロウシャフルの研究」です。同じ年の同誌には「ギルブレス・プリンシプルについて」も発表されています。そして、「ザ・マジック」誌での最初の作品が1993年の15号の「花占い」であったわけです。17号からは「セルフワーキングトリックの魅力」としてシリーズ化され、1999年の40号までの作品が「セルフワーキング・マジック事典」として東京堂出版より発行されることになります。

全てが新発想のロープ結び目トリック

カードマジックの考案だけでなく、ロープの結び目トリックにも新しい考えを取り入れられました。大学時代の3年で発表された「ファニーループ」です。新たに考案されたフラリッシュのワンハンドノットで開始されています。一程度の大きさの結び目が残るように少し太い硬さのあるロープが使われました。結び目の消失現象の後、2本に切って2本を重ねて中央に大きな結び目を作ると2つのループに分離します。特別な仕掛けは使わず、シンプルであっても見たことのない新しい発想で魅了されました。2本のループの分裂は簡単ではなく、特別な発想を使う必要があります。1995年に海外でマーチン・ガードナーが松山氏の考案として発表されています。結び目の消失に関しては、詳細なことを松山氏から聞き逃しましたが、1972年の”Maniac No.1”に「マルティプル・ノットの研究」があり、1995年の”Arcane 14”では面白い発想の”The Knot Scam”の発表があります。後者はマーチン・ガードナーによる英語解説です。「ファニーループ」は大学での発表だけでなく、1969年にはテンヨーや日本奇術連盟の大会でも実演されています。テンヨー大会はダイ・バーノンの来日に合わせて開催され、あこがれの石田天海氏やバーノン氏の前で演じることになります。「東海マジシャン」101号の高田史郎氏の記事では、松山氏の演技を「この日のうち最も強く印象に残った」と報告されていました。

海外への貢献と日本の手品の歴史研究

松山氏の大きな功績は、やはり冒頭で触れました日本の手品の歴史報告です。これまで間違って伝えられていたことや知ることができなかったことを、当時発行のものや信頼性の高い資料を元にして調査をされてまとめられました。それを「ザ・マジック」誌に発表された後、さらに内容を追加して2010年に「実証・日本の手品史」として東京堂出版より発行されています。それだけでなく、それらを英語にしてConjuring Arts Research Center から発行される”Gibeciere”に2006年から掲載を続けられました。図や写真の資料を大きくし、カラーであった絵や写真はカラーの状態のままにして掲載されています。その功績により、FISMの2006年から開始されたHistory, Research and Scholarship 特別賞に2009年から4回ノミネートされますが、受賞はできませんでした。この賞が以前からあれば、すぐにでも受賞できていたはずです。先に受賞されるべき重鎮が数名おられたことが原因のようです。しかし、2019年にはマジック・キャッスルにおけるAcademy of Magical Arts Special Fellowship を受賞されました。この賞は日本人では、1970年に石田天海、1984年に高木重朗、1994年に小野坂東の重鎮の3氏が受賞されているだけの非常に名誉な賞です。

英国で人気であったGintaroが最初の歴史記事

歴史の記事を海外から発信されたのは上記の”Gibeciere”が最初ではありません。その1年前の2005年1月には英国の歴史あるザ・マジック・サークルの機関誌に”Gintaro”についての調査報告を発表されていました。19世紀末から数10年間も英国で人気のあった日本人ジャグラーです。マスケリンとデバントが出演している劇場では、Gintaroの出演により人気を取り戻したほどの人物です。1906年の英国のStanyon編集の月刊誌”MAGIC”5月号に、3ページにわたりGintaroのジャグリングをイラスト入りで解説されていたので私も気になっていた人物でした。その人物についてを英文でまとめ英国のクラブへ送られ、その後、日本では内容を追加して「ザ・マジック」誌の62号から65号にかけて連載されました。この後で「実証・マジック開国史」の連載が開始されることになります。

圧倒されるネット上での量と質の調査報告

その後の調査されたことをネット上で詳細に報告されていた功績も忘れることができません。東京マジックのWebページ「マジック・ラビリンス」のコーナーでは、非常に多くの分野のことが取り上げられています。まず最初が「ジンタローの生涯」を調べるきっかけになったことのインタビューがあります。ジンタローの記事は13回に分けて連載されていました。なお、「ザ・マジック」誌ではギンタローでしたが、こちらではジンタローに変えられていました。そして、「実証・日本の手品史」発行以降に調査された「日本で最も古い手品、目付字」、英国で活躍された高瀬清氏、「戦中戦後のマジック史」など多数の報告があり大変参考になります。特に「目付字」に関しては、2016年の”Gibeciere”に松山氏の最後の記事として掲載されました。「目付字」は鎌倉時代(1185~1333)の末期には流布しており、1331年に改訂版として発行された「簾中抄」には「いろはの文字くさり」として登場しています。花や葉が描かれた中にあるいくつもの文字から1文字を記憶してもらい、簡単な質問により文字を当てています。演出に工夫があり遊び心があります。日本ではかなり昔から文字教育をかねた不思議遊びが行われていたことになります。戦国時代に来日したフランシスコ・ザビエルの書簡には、日本人の識字率が極めて高いことを報告しています。その要因として寺での文字教育がありますが、それだけでなく、当時には普及していた目付字がかなり寄与していた可能性を報告されていました。さらに、目付字が江戸時代には発展しています。日本の昔の驚くべき状況を、2016年の”Gibeciere”を通して世界へ発信されたわけです。是非、「マジック・ラビリンス」を参考にして下さい。

パソコン通信「マジック・フォーラム」での活動

さらに、松山氏の活動の一つにパソコン通信のマジック・フォーラムに1988年の最初の段階から参加されたことです。その存在の宣伝と交流に大きな影響を与えられました。松山氏は仕事の関係で1974年頃から1988年頃まで奇術とは縁遠くなっていましたが、1988年に開始されたマジック・フォーラムにより新しい進むべき道を見つけられたようです。これがマジックの世界に戻るきっかけとなり、1991年からは「ニューマジック」誌、1992年から「ザ・マジック」誌、そして、1993年からは日本奇術協会の「ワン・ツー・スリー」誌への投稿が開始されることになります。1989年の「不思議」18号の「パソコン通信でマジック」や1992年の「ザ・マジック」12号では、マジック・フォーラムの存在をアピールされていました。

著作権やクレジットに関して

著作権やオリジナルの権利に関しても詳しく調べられ、後記の掲載文献のように「ニューマジック」誌や日本奇術協会の「ワン・ツー・スリー 」誌に報告されています。そして、ネットでは東京マジックの「マジック・ラビリンス」にも詳しく報告されています。また、クレジットに関してもこだわりを持たれていますが、苦い経験をされたことがありました。1979年のカール・ファルブス編集 ”The Chronicles” No.18に掲載された“Paradox” が松山氏の作品とされていたことです。1枚のカードのジクソーパズルをテーマにした非常に不思議な現象ですが、基本となる部分は松山氏の考案ではありませんでした。そのことを手紙で伝えていたのに、間違ったクレジットのまま発表されてしまいます。そのことにより罪悪感を持たされ続けることになります。その対処として、1990年の”Bart Whaley’s Who’s Who in Magic”の松山氏についての記載部で、”Paradox Card”はファルブスのミス・クレジットであると報告されていました。松山氏から伺った”The Chronicles”への掲載経緯のことや、この”Paradox Card”の不思議さと面白さに関しては、2019年発行の “The Svengali” No.24に福井哲也氏が詳しく報告されていますので、是非、参考にして下さい。

松山氏の身体状況

松山氏は数年前から徐々に進行する癌を発症し抗癌剤が必要な状態となりました。そして、2022年には抗癌剤が効かない状態まで進行してしまいました。そのような中で、今度は脳卒中を発症し、非常にまれな失読症となって全ての文字が認識できなくなりました。文字は見えていても意味不明の記号のような存在です。会話や身体の動きは全く問題なく普通に行える状態です。これまでは日本や海外とネットを通して交流されていたことができなくなりました。そのような中、7月末にご自宅を訪問することになり、長時間にわたりいろいろと貴重なお話を伺うことができました。

松山氏との会話の中から

大きな影響を受けた人物として石田天海氏と高木重朗氏、そして海外の人物で感謝されていたのがマーチン・ガードナー氏とスティーブン・ミンチ氏の名前をあげられていました。特に”Gibeciere”の膨大な量の英文原稿の校正と編集に関しては、スティーブン・ミンチ氏にたいへん感謝されていました。英文での歴史記載はかなりたいへんな作業であったそうです。意外であったのが、英語が大嫌いだったことです。洋書のマジック書を読むことや海外へ発信し続けるようになり上達されたと話されていました。マジックの考案に対しては独創的なマジックを心がけ、大学2年でボールも布もカラーチェンジするゾンビボールを演じ、最後にはボールを消したそうです。衣装にも周りにも隠すところがないのにボールが消えるのですが、ユニークな方法が使われていました。ゾンビボール以降の考案は、カードだけか1本のロープだけのシンプルな演技が中心になります。大学3年ではロープ1本だけで開始し、途中で2本に切って結び目が分離する全てが新しい発想のマジックで演じられました。そして、海外へ行くのであれば、マニアも興味を持つ独創的マジックを3つ用意していると心強いと話されました。1981年頃の松山氏の場合には、冒頭で紹介した「ボトムから上昇するカード」と「ところで今何時?」がそれに含まれると思います。

日本のマジック団体やクラブへの期待

2021年に死が迫っているのを感じつつ、最後に力を注がれたのが日本奇術協会発行の「New ワン・ツー・スリー」への掲載です。「ザ・マジック・サークルに学ぶ」を4回にわたり連載されました。1905年に英国で創立された名門のマジッククラブです。プロとアマが一緒に活動しているだけでなく、本部ビルを所有しています。資金面と会員を増やす努力、そして、ロンドン観光案内でも広く知られるほどの外部へ向けての活動など学ぶ点があります。常に新しい考えを取り入れて改善され、1991年から女性も会員資格が与えられ、現在の会長と副会長が女性になって大いに活躍されています。日本の各クラブには良さもありますが、高齢化と会員の減少が問題になっています。そこで、今後の日本の団体やクラブ発展のために、参考になる点を見つけて欲しい願望を込めて詳しく報告されているように思いました。

おわりに

松山氏に関してまだまだ書き足りないほどマジック界に貢献されました。特に著述を中心に活動されましたので、最後に松山氏とマジックの関わりについてと松山氏の記事や作品が掲載された文献を報告させて頂きます。「ザ・マジック」誌に関しては、1992年の11号以降のほとんどに記事や作品を掲載され、それだけでもかなりの数になります。その多くが「セルフワーキングマジック事典」や「実証・日本の手品史」に掲載されていますので、それらの作品や記事以外が掲載された号だけとしました。「ザ・マジック」誌以外の日本や海外の作品と記事は可能な限り記載しました。なお、海外で発行の”Gibeciere”には12回掲載されましたので、それだけは特別に最後に記載しました。

松山光伸氏とマジックの関わり

1948 1月18日生まれ

1958 石田天海氏が帰国され、テレビで見た演技に衝撃を受ける

1960 中学入学 中学時代より高木重朗氏に師事

1963 高校入学 高校時代にマジッククラブを立ち上げる

1966 慶應義塾大学入学 奇術愛好会に所属

1967 大学2年 ゾンビボールの実演 カラーチェンジと消失

1968 大学3年 ロープの結び目トリック「ファニーループ」実演

1969 「ファニーループ」 テンヨーと奇術連盟の発表会で実演

1972 慶應義塾大学院卒業 日産自動車勤務(設計開発、商品企画など)

1988 パソコン通信の「マジック・フォーラム」に参加

1992 ザ・マジック11号より2009年の79号まで各種記事を連載

1999 「セルフワーキング・マジック事典」東京堂出版より発行

2004 ザ・マジック 62号 国際芸人の先駆者 ギンタローの生涯連載開始

2005 The Magic Circular 1月号(英国)に”Gintaro”を掲載

2005 ザ・マジック 66号 実証・マジック開国史の連載開始

2006 Gibeciere Vol.1 No.2に掲載開始 Part 1 The Butterfly Trick

2009 FISM2009にてHistory, Research and Scholarship 特別賞にノミネート     その後も3回ノミネートされる

2010 「実証・日本の手品史」東京堂出版より発行

2010年代 東京マジックWebページの「マジック・ラビリンス」に各種記事連載

2014 The Japan Cup 著述放送文化賞を受賞

2016 Gibeciere への松山氏の最後の掲載 日本で最も古い手品「目付字」

2019 Academy of Magical Arts Special Fellowship を受賞

2020 日本奇術協会賞を受賞

2021 New ワン・ツー・スリー創刊号より2022年の第6号まで記事を掲載

2022 12月10日死亡

作品と記事の掲載文献

1971 奇術界報 354 359 (360) フェロウシャフルの研究

1971 奇術界報 362 ギルブレス・プリンシプルについて

1972 Maniac No.1 マルティプル・ノットの研究

1973 Maniac No.2 エレベーターカード

1975 15人の奇術家とその作品 ところで今何時? その他2作品

1976 TCC “Tokyo Cardicians Club” 15周年記念号 カード配列原理

1979 The Chronicles No.18 Paradox

1981 Masquerade Part Two No.5 魔法使い検定試験

1984 Epoptica Year Book Chronometer Card

1989 不思議18号 パソコン通信でマジック

1991~ 1993 ニューマジックVol.30 No.2 ~ Vol.31 No.2 奇術と著作権の関係

1992 ザ・マジック11号 オーストラリア・マジック事情

1992 ザ・マジック12号 マジックと情報化社会 マジック・フォーラム

1992 ザ・マジック13号 マジック関連情報 「魔女裁判」300年忌など

1992 ザ・マジック14号 悠久のインドマジックは今

1992 とりっくBOX 4 マジック・フォーラム特集 シンパセティックマインド

1993 ザ・マジック15号 花占い

1993 Rigmarole 4 Fortune(花占いの英語版)

1993 ザ・マジック16号 ガードナーの小さい子が喜ぶ準備のいらない手品

1993 ザ・マジック17号 セルフワーキングトリックの魅力(1)シリーズ化

1993 マジックハウス4 マジック指南

1993 ~ 1995 ワン・ツー・スリー 創刊号~6号 オリジナリティと権利

1994 Verbatim No.10 Magic Teaching

1995 ザ・マジック24号 ラスベガスのマジックガイド

1995 ザ・マジック26号 エアーラインカードのお話

1995 Arcane 14 The Knot Scam Separating Knots

1996 ザ・マジック29号 アジアの息吹と国際化の進展

1996 MAGIC 11月号 Catch The Terrorist

1999 「セルフワーキング・マジック事典」東京堂出版より発行

1999 ザ・マジック41号 カップの中のお札

1999 ザ・マジック42号 完全なる一致

2000 ザ・マジック43号 数字カードの予言

2000 マジックハウス11号 きまぐれキューピッド

2001 ザ・マジック48号 デトロイトを中心としたマジックシーン

2001 ザ・マジック50号 超感覚カード

2002 Semi-Automatic Card Tricks 4 松山フォースの応用9作品

2002 ザ・マジック52号 タリ・ホー

2002 ザ・マジック53号 米国のマジックの原点を訪ねて 奇術博物館など

2002 ザ・マジック54号 類は友を呼ぶ

2003 ザ・マジック57号 常識パズルの非常識

2003 ザ・マジック58号 フェロウシャフルからサイクリック・ディーリングへ

2004 ザ・マジック59号 テレホンカードのささやき

2004 ザ・マジック61号 英国マジックの概観とその隆盛期

2004 ザ・マジック62号 国際芸人の先駆者 ギンタローの生涯連載開始

2005 The Magic Circular 1月号(英国) Gintaro

2005 ザ・マジック66号 実証・マジック開国史の連載開始

2006 Gibeciere Vol.1 No.2に掲載開始(下記に掲載)

2009 ザ・マジック79号 マジックサークルの秘密

2010 「実証・日本の手品史」東京堂出版より発行

2021 New ワン・ツー・スリー創刊号 発掘 特別映像 タカセの水芸

2021 New ワン・ツー・スリー第2号、第3号 ザ・マジック・サークルに学ぶ

2022 New ワン・ツー・スリー第4号 没後50年を迎える石田天海のお墓のお話

2022 New ワン・ツー・スリー第5号、第6号 ザ・マジック・サークルに学ぶ

“Gibeciere”(ニューヨークのConjuring Arts Research Center発行)

2006 Vol.1 No.2 The Butterfly Trick 68(ページ)

2007 Vol.2 No.1 Magicians in The Yanagawa Family 40

2008 3 - 1 Unraveling the Ultimate Deception of Soto Sunetaro 38

2008 3 - 2 The Shadowy Early Years of Western Magic in Japan 68

2009 4 - 1 Various Western Magicians Visiting Japan in the Late 1800s 60

2010 5 - 1 Ten-ichi Shokyokusai, the Japanese Father of Modern Magic 79

2011 6 - 1 Some Japanese Entertaines of the Westernized Meiji Era 32

2011 6 - 2 Harry Black and His Chronicle of Japanese Magic 66

2012 6 - 2 T. Kuma and His Astonishing Tubes 42

2014 9 - 1 Rising Female magicians and Amateur Societies 49

2015 10 - 1 The Legend of Donba-Jutsu Swallowing a Horse 44

2016 11 - 1 Metsuke-ji The Trick That Taught a Country 66

(なお、2014年までは “An Investigation into Magic in Japan After The Opening of The Country”のタイトルがトップページにつけられています。)


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