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コラム

第106回 チャイニーズ・ステッキの歴史と謎(2022.09.10up)

はじめに

1979年のFISMベルギー大会のロビーのTVで、フレッド・カップスのチャイニーズ・ステッキの映像が何度も放映されていました。それまでのチャイニーズ・ステッキに対しては、それほど興味を持っていませんでしたが、カップスの演技の面白さに見入ってしまいました。特に難しいことはしていないのですが、興味をひきつけられる演技でした。2021年のYou Tubeで、その時の映像が白黒ですが鮮明な映像でアップされていましたので、便利な時代になったことを痛感します。

チャイニーズ・ステッキの歴史を調べますと奇妙な点があるのが分かります。2本を完全に分離したまま行える現在のタイプは、1889年の中国の「中外戯法図説」に初めて登場します。日本では、その本の内容を奇術研究81号で山本慶一氏が報告されています。しかし、海外ではこの「中外戯法図説」の本の存在が知られていなかったようです。2019年には、この奇術の歴史をマックス・メイビン氏がGibeciere Vol.14 No.2に37ページを使って報告されていますが、「中外戯法図説」のことが取り上げられていませんでした。それ以前の文献でもネットにも見当たりません。また、1920年頃までに中国の奇術師が演じていた報告もありません。英国では1904年にインドより伝わったものとして解説されており、その後、ヒンズー・ウォンドの名前がつけられたりしています。そうであるのに、アメリカでは1920年代からチャイニーズ・ステッキの名前になっています。なぜ、そのようになったのでしょうか。

3代目帰天斎正一伝承の「比翼の竹」も同じ原理を使った和妻として有名です。江戸時代から伝えられているものと思っていましたが、その時代には2本を完全に分離したまま行えるタイプのものが解説されていません。江戸時代には他の2つのタイプが解説されており、日本的な面白い発展をしていました。この関連のマジックは大きく3タイプに分けることができます。現在もよく使われている分離したままでも行えるタイプは3つの中では新しいものになります。

さらに興味深い歴史が1960年代のアリ・ボンゴ氏で有名になった別タイプの方法です。1本の棒の両側の上下に穴があり、紐が通っていて上下に動かせます。両端にある2つの紐は関わりがないように見えますが、それらがつながっているのを見せることができます。ところが、中央で棒を完全に2分割でき、紐がつながっていないことが分かります。それでも、棒をつなぐと紐もつながる不思議さがあります。20世紀の本では同様なタイプが何度か解説されています。このタイプで意外なことが、その最初の解説が1729年頃の「珍曲たはふれ草」の「通ひ玉の仕やう」であったことです。そして、1800年頃の「手妻伝授紫帛」では、キセルを使った日本的な発展をしていました。まだまだ分からないことが多いのですが、チャイニーズ・ステッキやそれに関連した3つのタイプの歴史を調べましたので報告します。

チャイニーズ・ステッキについて

チャイニーズ・ステッキは2本の棒が使われ、一方の棒の紐を引っ張ると他方の棒の紐が短くなります。2本の棒が完全に分離されていても同様なことが行えるので不思議です。紐の下端には大きいフサがついているので紐の上下動が分かりやすくなっています。紐は棒の外端近くの穴から出ており、2本の棒を横にくっつけて紐を引っ張ると紐が横につながっていると思います。ところが、2本の棒をV字型に広げると、紐がつながっていないことが分かります。この状態でも紐が連動して動くのですが、2本の棒の手前端がくっついているのが怪しく感じられます。しかし、2本を完全に分離しても、連動した紐の動きができるので不思議さが増します。客の考えを次々にくつがえしているのが面白い点です。 このマジックの現在の名前は、英語では”The Chinese Sticks”(チャイニーズ・スティックス)が一般的です。なお、Sticksは日本語では「ステッキ」と訳されていますので、日本での奇術名は「チャイニーズ・ステッキ」となります。海外ではこの名前以外に、「チャイニーズ・ウォンド」「ヒンズー・ウォンド」「モーラー・ウォンド」と呼ばれることもあります。

チャイニーズ・ステッキの歴史の奇妙な点

1889年の中国の「中外戯法図説」には、2本を完全に離してオモリを使う方法が解説されています。これがオモリを使う最初の解説になりそうです。中国語ですので実際の演じ方は分かりませんが、図により筒の内側にオモリを使っていることや、2本を別々にしていることが分かります。1977年の奇術研究81号で山本慶一氏により紹介されています。残念ながら図だけで、演じ方の解説がありません。1977年の高木重朗著「パズルゲーム」(ちくま少年文庫11)にも同じ図がありますが、方法の解説がありません。山本慶一氏は日本の江戸時代の「あやぎせる」の演出を加えて、日本的な奇術にされたのが三代目帰天斎正一の「比翼の竹」であると報告されていました。帰天斎の「比翼の竹」がいつ頃から演じられていたのかが書かれていません。また、「中外戯法図説」がいつ頃に日本に伝わり、どの程度内容が知られていたのかも分かりません。中国の奇術師が演じられていた報告もありません。20世紀初めには英国で知られ、1920年代にはアメリカで演じられていますので、その影響を受けている可能性も否定できません。

「中外戯法図説」の図も1904年のインドからの解説の図もオモリに紐が直接つけられたシンプルな構造でした。「比翼の竹」では棒の外端の上下に穴があり、上下に紐が通過しているように見せることができます。紐の上下の端には大きなフサがつけられています。上のフサを摘んで上げると下端のフサが上がり紐がつながっていることが分かります。そして、このタイプは棒の中のオモリの上部に穴があり紐が通過しており、紐を長くできる利点があります。それまでのタイプでは、棒から出ている紐は棒の長さより短く、見栄えがしませんでした。現在のチャイニーズ・ステッキはこのタイプが基本で、紐の上端はビーズのような玉にしているものが多くなっています。これは1920年5月のSphinx誌に広告が掲載された”Brema’s Hindoo Stick”が最初のようです。1926(7)年のターベルシステムもこのタイプで解説されています。その影響を受けていたと考えると、「比翼の竹」は昭和に入ってからの演目となります。しかし、山本慶一氏が指摘されていますように、江戸時代の「あやぎせる」の演出を取り入れられたとしますと、もっと以前からの可能性が出てきます。「あやぎせる」は筒の上下に穴があり、紐が通過して紐の上下端に大きなフサがつけられ、紐を上下動させていたからです。結局、「比翼の竹」がいつから演じられていたのか分からないままです。

オモリを使って完全に分離して行える方法が英語の文献で最初に解説されたのは、1904年の英国のStanyon編集の月刊誌”MAGIC”10月号と思います。インドのSatya Ranjan Royからの奇術で”Devil’s Sticks or Fakirs Wands”の名前で基本的な演じ方が解説されていました。2本の竹の筒をV字型にした図、X状に交差させた図、2本を完全に分離させて演じている図、そして、竹の内側で紐の先にオモリがついている構造を示す図の4つがあり、それぞれについての解説があります。かなり安い価格とのことです。1906年のMAGIC誌5月号には、交差させた1つの図と簡単な現象が書かれた広告が掲載されていました。その後の文献ではヒンズー・ウォンドの名前が登場するようになります。

注目すべき広告が、1921年のスフィンクス誌9月号のサイレント・モーラの商品広告です。「ハン・ピン・チェン・バンブーステッキ・アンド・コード」の名前がつけられていました。2019年のGibeciere Vol.14 No.2のマックス・メイビン氏の調査では、1910年代に中国奇術師のハン・ピン・チェンがアメリカ公演を何度か行っていますが、その演目にはステッキを使うものがなかったそうです。それでも、ハン・ピン・チェンに会われた時に、個人的に2本の竹を使う演技を見せられた可能性もあります。なお、メイビン氏の報告では、その後はハン・ピン・チェンの名前が取り下げられていたことや、Thayerの商品説明書には「サイレント・モーラ・ヒンズー・ウォンド」の名前で解説されていたことが書かれています。それでもチャイニーズステッキの名前が一般的になるのは、アメリカ人のサイレント・モーラが1920年代に中国服を着て演じたことで有名になったことや、ターベルシステムがこの名前で解説していたことが大きのかも知れません。ところで、1926年の英国のMagic Wand誌には、オーストラリアでハン・ピン・チェンが演じていたことをCharies Waller氏が報告されていました。サイレント・モーラー氏がステージで演じたことや、紐を長く出来るタイプが出現したことでハン・ピン・チェン氏も演じるようになったのでしょうか。

1926(27)年発行の通信講座「ターベル・システム」のレッスン38では、チャイニーズ・ステッキの名前で解説されるようになります。この名前で登場するのはこの文献が最初かも知れません。新たな演出を加えて詳しく解説されているだけでなく、子供相手の場合には1本を持たせて、子供の耳を引っ張ると紐が短くなる演技も紹介されていました。ターベルシステムの解説は、1941年から新たな作品も加えて百科事典として再編集されますが、なぜかチャイニーズ・ステッキの解説が外されていました。1993年のターベルコース第8巻(日本語版は1995年発行)で、やっと、チャイニーズ・ステッキの解説が再録されます。ターベルシステムでこの方法を掲載したことにクレームがついたので、ターベルコース第8巻まで掲載されなかったのでしょうか。

その後のチャーニーズ・ステッキの発展

1930年代のアメリカでは、フレッド・キーティングをはじめ数名のマジシャンが演じていますが、その後話題になるのがロイ・ベンソンのチャイニーズ・ステッキです。クライマックスで3本目の棒を使う方法です。角ばった太い棒が使われ、2本を横に並べた状態で2本の外端の紐がつながっていることを見せた後で演者がハサミで切ります。棒をV字型にして外端を開いて紐がつながっていないことを見せますが、各棒の紐が連動した動きをします。その後で手前端を見せると紐で繋がっているのが分かります。それを第3者にハサミで切らせて完全に分離しますが、それでも紐は連動した動きをします。3本目の棒を取り出し脇に挟んで、3本の紐が関連した動きをするのを見せて終わります。このベンソンの演技をフレッド・カップスが譲り受け、紐を切る操作をなくし、シンプルに改良してカップス風の演出で演じられました。カップスも3本目の棒を取り出し、その紐を引くと他の紐が短くなって終わります。中国の棒であることを何度か強調して演じ、途中で棒に何か書かれているのを見つけ「メイド・イン・ジャパン」と言って大きな笑いをとっています。

その後の変わった見せ方では、1940年代のジャック・チャニンは帽子についている紐を引っ張ると棒の紐が短くなる終わり方で見せています。チャイニーズ・ステッキを取り出して本来の方法のように演じ、棒を分離する手前で「つながっていると思っているか?実はそうなんだ」と根元でつながっていることを示すギャグで終わっていたのがフランスのドゥビビエです。これは栗田研氏からの話で、FISM横浜で演じられていたそうです。なお、2012年のUGM大会のクロースアップコンテストで栗田氏は、紐をはっきりと切った後でチャイニーズ・ステッキの演技を行い、最後には切った部分の紐がつながっている終わり方で演じられました。また、その年のUGM大会では、安田悠二氏がチャイニーズ・ステッキの演技で紐を引っ張ると、かなり長くなる終わり方で演じられました。これはGeorge Kovariのチャイニーズ・ステッキを使われていたのかも知れませんが、意外な長さになるのは1943年のBob Weillが最初のようです。

西洋での3つのタイプの歴史

最も古い解説が1584年の英国のReginald Scot著”The Discoverie of Wiechcraft”だけでなく、同年に発行されていたフランスのJ. Prevost著”Clever and Pleasant Inventions”の本にも少し違った方法で解説されています。英国のスコットの本では、V字型に曲がった棒を使用し、鼻に挟んで紐が通っている現象にしています。それに比べフランスのPrevostは、2本の角ばった棒を使って演じている違いがあります。さらに、 Prevostは2本の棒を耳に挟んだり、唇やほほに挟む見せ方にしています。そして、演技後には密かに仕掛けのない紐が通っているだけの2本の棒とすり替えておくことも書かれていました。その後の英国の文献では、1634年の「ホーカス・ポーカス・ジュニア」や1722年のHenry Dean著”The Whole Art of Legerdemain”がありますが、いずれもV字型に曲がった棒を使用していました。それに対してフランスの1692年のOzanamの本では2本の角ばった棒が使われています。

新しい考えが発表されたのが、1876年のホフマン著「モダンマジック」の本です。”The Pillars or Solomons”のタイトルですが、2本の棒を完全に分離することができます。しかし、紐が連動していることを見せるためには、2本の棒の手前側をくっつける必要があります。その部分には、それぞれにプーリーが内蔵されており、その軸を連結することにより両側の紐が連動した動きになります。よくできた構造ですが、制作が大変です。棒にプーリーを入れるために、その部分を膨らませた状態になっています。形のバランスを取るためか、他端も同様な膨らんだ状態にしていました。20世紀ではこのタイプがなくなり、1本の筒状の棒の両端に紐があり、棒の中央が分離できるタイプが中心になります。そして、1960年代からのアリ・ボンゴの演技で特に有名になります。 そして、20世紀に入って登場するのが2本を完全に分離できて、しかも分離したまま紐が連動した動きができるオモリを使うタイプです。インドより伝わりますが、1920年代に入ってアメリカからチャイニーズ・ステッキの名前となって広まることになります。

江戸時代の日本と1889年の中国の中外戯法図説の解説

日本の最初の解説が、1727年の「続懺悔袋」です。「手のひらを通りぬける糸」となっています。描かれている演技の絵では、糸が手に直接通っている状態になっていました。もちろん、それとは別に2本の角ばった棒とそれを通過している糸が描かれていますので、演技の絵ではそれを省いて描かれたことが分かります。これはフランスの本に解説されていたタイプで、西洋から直接か中国を経由して伝えられたと考えられます。素晴らしいと思ったのは、さらに改良が加えられていたことです。2本の糸が使われ、上の糸は下を通過し、下の糸は上を通過しています。2本の棒の間の上側の糸を切っても、上から外へ出ている糸を引くとつながったままであるのを見せることができます。英国やフランスは、鼻、耳、唇、ほほが使われていますが、日本では手を使っている点で文化の違いを感じました。

そして、もう一つのタイプが1729頃の「続たはふれ草」に解説された方法です。1本の棒の両端に別々の紐があるタイプで、棒を横向きにして持ち、それぞれの紐を上下に動かせます。そして、左右の紐も連動した動きができます。この棒の中央が分割でき、元に繋ぐと両端の紐の連動が再開できます。西洋では「モダンマジック」のプーリーを使うのが最初とされ、1本の棒のタイプは20世紀に入ってからでした。ところが、日本では1729年頃から解説されていたことが驚きです。この意外なことは、Gibeciereの本でマックス・メイビン氏も報告されていました。

中国の奇術文献で重要なのが1889年の「中外戯法図説」です。その中では多数の奇術が解説され、今回の関連作品が5つも掲載されていたことが驚きです。なお、1993年に傳起鳳・傳騰龍による「中国芸能史」 (岡田陽一訳)が発行されており、179ページにはその本に掲載の演目(約320)を6部門に分けることが出来ると書かれていました。最初の4部門は正しいのですが、残りの化学応用やまじない的な2部門はデタラメであると報告されていました。この本の演目を初めて紹介されたのが、1956年の近藤勝編集「日本奇術文献ノート46号」です。全体のタイトルが記載されて短いコメントが加えられています。しかし、非常に短すぎて内容がよく分かりません。それに対して、1977年の奇術研究 81号では山本慶一氏が、今回の奇術に関係した図を「中外戯法図説」の本からそのまま掲載して紹介されました。残念ながら、こちらも説明は少しだけです。

この5作品を掲載順に紹介しますと、「相思連筆」は日本の「あやぎせる」を筆に変えたような作品です。2本の紐ではなく4本になっているので少し複雑です。「相思雅扇」は日本の「通い扇」を複雑にした作品です。1本の紐ではなく、2本の紐が通う状態にしています。「相思彩線」はもっと複雑です。棒の10ヶ所から5色の紐が出ており、いずれかの1本を引っ張ると残りの9本が動きます。奇術というよりもオモチャかパズル的なものと考えられます。「仙人雅掌」は日本で最初に登場した「手のひらを通りぬける糸」と同様な2本の角ばった短い棒と2本の糸が使われています。そして、「王女穿梭」がチャイニーズ・ステッキの元になるものです。図では棒の筒の中のオモリと紐の状態も描かれています。この図は、日本の別の本では1977年の高木重朗著「 パズルゲーム」の本で見つけることができただけです。さらに、この本には10ヶ所から紐が出る「相思彩線」の複雑な状態の図も描かれ、簡単な説明が加えられていました。他では1951年の柴田直光著「奇術種あかし」に「相思連筆」と「相思彩線」の図と簡単な説明がありました。しかし、この本にはチャイニーズ・ステッキの元になる「王女穿梭」の図と説明はありませんでした。

テンヨーの二人のクリエーター

初めて購入したチャイニーズ・ステッキはテンヨー製でした。タネは知っていたのですが、ディーラーの演技の最後が不思議でした。少し傾けた棒から紐が出ている状態で左手に持ち、右手で紐を巻き戻すジェスチャーをすると、紐が棒の中へ引き戻させました。棒は全く動かしていなかったので不思議です。チャイニーズ・ステッキを購入して、どうすれば同じことが出来るのかをいろいろ試して、出来るようになった時の嬉しさを思い出しました。これは広く知られていることだと思っていたのですが、海外の文献でも見ることがありませんでした。数年前に横浜の植木將一氏より、日本のチャイニーズ・ステッキの文献を教えていただいた時に、1966年のテンヨーの「まじっくすくーるNo.25」に加藤英夫氏が解説されていることを知りました。それを読みますと、私が試した方法と同じであることが分かりました。1966年に発表されたことにより、当時のディーラーが使われていたのだと思います。

もう一つは、1995年のテンヨーの商品です。2019年のGibeciereの本にマックス・メイビン氏が取り上げていた近藤博氏考案の「ツインスティック」”The Pillars of Thor”です。この現象をテンヨー商品も販売されています岸本道明氏に見せていただくことができました。在庫はないとのことですが、デモンストレーション用のものがあったので見ることができました。プラスチック製の角ばった2本の棒に紐が通っています。2本の棒の間をトランプを差し込んで紐を切り、棒をV字型に広げて紐が切断されているのを見せます。2本の棒を合わせて、再度V字型にすると紐が復活しており、つながっている動きを見せることができます。この分野に関しても、テンヨー社のクリエーターの素晴らしさを感じました。

おわりに

今回も新しい発見と謎が残ったままのものがありました。初期の中国やインドの方法では紐が短く、1920年頃になって紐が長くなり、棒を通過して紐が上下動できるようになっていたのが新しい発見でした。これが3代目帰天斎正一伝承の「比翼の竹」に使われていますが、それは山本慶一氏が指摘されていたように、江戸時代の方法を取り入れて改良されていたのかが謎のままです。いつから「比翼の竹」が演じられていたのかが重要ポイントとなりますが分からないままです。

今回の調査で意外であったのが、海外では中国の「中外戯法図説」の存在が知られていなかったことです。1889年頃の中国奇術の全体像を知る上で重要な文献です。そして、その中に今回の奇術に関連したものが5作品もあったことも意外でした。「中外戯法図説」のチャイニーズ・ステッキの原型がいつ頃から登場していたのか、また、インドとの関係がどうであったのかも分かっていません。筆や扇を使う方法は、日本のキセルや扇の方法を複雑にした印象です。これは元々中国にあって発展したものか、日本から伝わったものかも気になりました。 チャイニーズ・ステッキの基本の演じ方が同じでも、演技者により印象が大きく変わるのが面白いと思います。フレッド・カップスの演技を繰り返し見てしまったことからも、カップスの素晴らしさを感じました。クライマックスをどのようにするのかで、いろいろな人物が工夫されていたのも勉強できました。全体の演出を工夫された演技もありますが、長くなりますので今回は割愛しました。そして、西洋だけでなく中国や日本の奇術の面白さを再認識できました。

参考文献

1584 Reginald Scot The Discoverie of Wiechcraft

1584 J. Prevost Clever and Pleasant Inventions

1634 Hocvs Pocvs Ivnior(ホーカス・ポーカス・ジュニア)

1692 Jacques Ozanam Recreations Mathematical and Physical

1722 Henry Dean The Whole Art of Legerdemain

1727 環中仙い三 続懺悔袋 手のひらを通りぬける糸

1729頃 鬼友 続たはふれ草 通ひ玉の仕やう

1800頃 春風堂 手妻伝授紫帛 きせるの糸からくり(あやぎせる)

1849 十方舎一九 手妻早伝授初編 通い扇

1859 Dick & Fitzgerald The Secret Out The Inseparable Sticks

1876 Hoffmann Modern Magic The Pillars or Solomons

1886  Henry Garenne   The Art of Modern Conjoring The Mysterious Columns

1889 元和唐再豊芸州 中外戯法図説 王女穿梭(オモリ使用)

1904 Stanyon's Magic 10月号 Devil’s Sticks or Fakirs Wands(オモリ使用)

1920 Carl Brema & Son Sphinx 5月 Brema’s Hindoo Sticks 商品広告

1921 Silent Mora Sphinx 9月 Hang Ping Chein Bamboo Sticks and Cord 

1926 Tarbell System Lesson 38 The Chinese Sticks

1929 Blackstone Secrets of Magic Chinese wands

1951 柴田直光 奇術種あかし 相思連筆 相思彩線

1956 近藤勝 日本奇術文献ノート46号 中外戯法図説 

1959 山本慶一 奇術研究 14 和妻への招待 えにしの糸 あやぎせる

1966 加藤英夫 まじっくすくーる No.25 チャイニーズ・ステッキ諸々

1974 山本慶一 奇術研究 70 日本手品 三世帰天斎正一伝承の比翼の竹

1977 山本慶一 奇術研究 81 中外戯法図説の各種方法の図

1977 高木重朗 ちくま少年文庫11 パズルゲーム 魔法の棒

1993 傳起鳳 傳騰龍 中国芸能史 岡田陽一訳

1993 Tarbell Course in Magic Vol.8 The Chinese Sticks

1995 加藤英夫(訳) Tarbell Course in Magic 第8巻 チャイニーズ・ステッキ

1995 近藤博 テンヨー商品 ツインスティック ”The Pillars of Thor”

2006 Levent & Todd Karr Roy Benson by Starlight

2017 河合勝・長野栄俊 日本奇術文化史 通い玉 通い扇 手のひらを通りぬける糸

2019 Max Maven Gibeciere Vol.14 No.2 The Chinese Sticks


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