小さいサイズのエッグバッグ使用の最初の解説には、ジャパニーズエッグバッグと書かれていました。1876年の英国のモダンマジックの本です。それまでのエッグバッグは大きな袋が使われ、多数の玉子を出した後でニワトリを取り出していました。モダンマジックの本には、これまでと違った日本人によるエッグバッグの使用が報告されています。そして小さい袋のサイズやタネについての解説とその使用例が報告されていました。奇妙なことは、その後発行されるマジック書のエッグバッグの解説には、モダンマジックの本に記載された小さな袋を使ったジャパニーズエッグバッグのことをほとんど取り上げられていません。多くの本では、小さいサイズの袋は1891年のアルビーニ(Albini)が最初と書かれています。これが不思議で仕方ありません。このことに初めて注目されたのは上口龍生氏かもしれません。2017年3月にターベルシステム・レッスン21~30を発行され、ガイドブックの中のエッグバッグの記事の中で触れられ、今後の研究が必要と報告されていました。 |
1876年発行のモダンマジックには、二つのサイズのエッグバッグについて解説されています。エッグバッグは古いトリックと紹介した後、数年前にロンドンを訪れていたジャパニーズジャグラーにより、これまでとは違ったエッグバッグが演じられていたことを報告しています。まず、この新しいエッグバッグについて解説し、その後で古いタイプについても解説すると書かれています。最初の方法をジャパニーズエッグバッグと名付けており、袋の大きさを深さ約20センチ、幅は約15センチと報告しています。袋の素材をアルパカ製かタミー製、または同様な不透明な素材と書き加えられています。種の部分に関してはここでは詳しく書けませんが、上から3分の2の深さで全体が下方へ開口されていることだけは報告しておきます。一つの演技例として、袋の内側を改めた後で両手も空なことを示して、ニワトリの鳴き声を出した後で袋から玉子を取り出しています。それを口へ入れて飲み込む演技をして、さらに、袋から玉子を取り出し同様な操作を繰り返しています。この解説の後、これまで一般的であった古いタイプの大きい袋を使ったエッグバッグが解説されます。深さ約38センチ、幅は約50センチで、内側を改めた後で次々と多数の玉子を取り出しています。最初に取り出す一つだけが本物で、それを割って本物であることを示していますが、その後に取り出す玉子は別の素材のものです。そして、最後にはニワトリを取り出して終わっています。このニワトリの取り出しは最も容易でシンプルな方法が使われています。そして、最後にニワトリを取り出さない場合の別案が紹介されており、その一つが袋の下部をネットにして玉子の出現が見えやすくするものでした。ところで、日本のマジック書では1890年代から袋玉子の解説が登場していることが分かりました。(下記の参考文献一覧を参照して下さい)その初期のほとんどがモダンマジックのエッグバッグを元にしているようですが、どの部分を中心に解説されていたのかが気になるところです。 |
エッグバッグの大きさを三つに分類すると分かりやすくなると思います。第1がニワトリも取り出せるほどの古い西洋の大きいサイズのもので、日本の袖玉子もこれに分類されます。第2はマリニエッグバッグで代表される手を広げたサイズのもので、解説者により違いがありますが、深さや幅が21センチより小さいサイズと言ってもよさそうです。第3がこの二つの中間的なサイズとなります。特に近年ではグレート・トムソニーの演技により、マリニバッグの人気が高い状態と言えます。このマリニバッグの元になるのがアルビーニバッグと言われることがあります。タネの部分は違っていますが、小さいバッグで演じている点で影響を受けていそうです。 |
現在ではエッグバッグの元になるマジックとして1584年のフランスのPrevostの本での記載が知られています。そこでは袋ではなくナイトキャップと玉子が使われていました。袋と玉子の使用の解説の最初は1694年のフランスのOzanamの本です。四角な大きい袋を使い、袖を使っていくつもの玉子の取り出しを紹介しています。エッグバッグで話題になるのは1700年代初め頃の英国のFawkeです。大きな袋の内側を改めた後に多数の玉子を取り出し、その後、袋が膨らみ始め数匹の鶏が出てきます。1722年にその現象に近い方法が英国のH.Deanによる “The Whole Art of Legerdemain” に解説されます。最後には1匹のニワトリを取り出しています。この本は何度も再販を繰り返し、第11版は1795年に米国でも発行されています。フランスのOzanamの死後の1723年には、彼の本の改訂版が発行され、初版とは別のエッグバッグが掲載されます。1788年にはフランスのDecrempsの本にOzanamを改良したエッグバッグが解説されます。19世紀に入っても代表的なマジック書に掲載が続きますが、最後のニワトリの取り出しのない解説も登場します。1857年の米国の “Magician’s Own Book” では多数の玉子を取り出すだけです。1876年の英国のモダンマジックの本では最後にニワトリを取り出していますが、その後のSachsの “Sleight of Hand” の本では多数の玉子の取り出しだけです。しかし、Sachsの本では別案として、下部のネットの使用や違った仕掛けの方法も紹介されていました。20世紀に入ってからは、1948年のターベルコース第5巻にデビッド・バンバーグの方法として最後にニワトリを取り出す方法が解説されています。 |
1998年発行のEdwin A.Dawes著のStodareの本によりますと、1960年代前半にはコロネル・ストデア(Colonel Stodare)が2冊のマジックハンドブックを発行されており、その2冊ともにエッグバッグが解説されてることが分かりました。1862年発行の方では最後にニワトリを取り出しますが、1865年版では “The Invisible Hen” のタイトルで、見えないニワトリがいる演出で最後のニワトリの取り出しがありません。袋の内側を改めた後で、ニワトリの鳴き声を出した後に次々と玉子を取り出しているだけです。65年の本の編集に関わった人物がニモ(Nimmo)です。松山光伸著「実証・日本の手品史」によりますと、ニモは65年にストデアのマネージャーとなりますが翌年の10月にはスタデアが急死し、弟のマジシャンのアルフレッドが後を引き継いだそうです。ところで、1867年に柳川蝶十郎(アサキチ)がロンドンで演じた蝶のマジックが話題になりますが、「実証・日本の手品史」によりますと、その時のマネージャーをしていたのがニモです。その1ヶ月後には弟のストデアがロンドンの近くの町で蝶のマジックを演じていたことが報告されています。つまり、ニモを通して弟のストデアへ蝶の指導を依頼した可能性があるわけです。その代わりとしてエッグバッグのマジックを教わり、日本へ持ち帰った可能性も考えられます。そして、日本的要素を加えた袖玉子として改良されたのかもしれません。袖玉子は明治時代のいつから登場するのか分かりませんが、江戸時代にはなかったことだけは間違いないようです。なお、袖玉子が日本の本に登場するのは1905年の「改良奇術」が最初のようです。奇術研究14号で袖玉子を解説された山本慶一氏は、「改良奇術」の仕掛けは底に向かって開口しており、本来の袖玉子のものとは違うそうです。袖玉子は最初の頃より袖玉子独自の仕掛けがあり、それが解説されたのは1922年の「大奇魔術集3」が最初とのことです。 |
今回は19世紀末までの小さいサイズのエッグバッグが登場した頃の歴史を中心にしました。特にモダンマジックに解説されたジャパニーズエッグバッグのことが、ほとんど知られていないのが気になり報告することにしました。そのために初期の頃のことが中心となり、その後の発展については全く触れませんでした。その後の様々なタイプのエッグバッグについては、2014年のJCMA発行の “WONDER” Vol.1のNo.1とNo.3に山崎真孝氏が連載して詳しく報告されています。また、2003年発行の松田道弘編集「クラシック・マジック事典Ⅱ」での小谷純司氏のエッグバッグの記事も素晴らしいものでした。いずれも大変参考になりますので、是非、読まれることをお勧めします。 |