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コラム



第69回 バックルカウントの考案者の謎と初期の文献(2015.5.29up)

はじめに

バックルカウントの考案者が長い間ダイ・バーノンとされていました。しかし、現在ではバーノンでないことがハッキリしています。バーノン自身が自分ではないと話していたからです。それでも多くのマニアはバーノンと思ったままです。また、2000年以降に発行された文献でもバーノン考案とされたままの記載があります。このような事態の元を作ったのは、1960年発行のルイス・ギャンソンの本と言ってもよさそうです。バーノン考案とハッキリと明言していたのは、この本が最初であったからです。そこで、その本についてと、それとは反対にバーノンではないことをハッキリさせたバーノンのビデオやいくつかの文献について報告します。ところで、バックルカウントが最初に登場するのは、1940年の「エキスパート・カードテクニック」の本です。その後、次々とバックルカウントを使った作品が発表されています。どのような本にどういった使い方をされていたのかも調べましたので報告します。

バーノンが考案者であると確定してしまった本について

バックルカウントが文献に登場した頃は、考案者名が書かれていませんでした。しかし、バーノン考案のように考えられていたと思います。そして、それを決定するかのように書かれたのが1960年発行の英国のルイス・ギャンソンの本です。"Dai Vernon's More Inner Secrets of Card Magic" の本のバックルカウント解説の冒頭で、30年以上前にバーノンにより考案されたと書かれていました。マリーニがツバをつけて2枚を1枚のようにテーブルへ配ってフォールスカウントしていたのを見て、ツバをつけずに1枚以上のカードを自然な動作でカウント出来るようにしたと記載されています。このバーノンの本はよく売れて再版を繰り返し、世界的にも影響力が大きかった本です。現在でもバックルカウントがバーノン考案であるとしている根拠は、この本に書かれていたことを元にしているケースが多いと考えられます。

ところで、バーノンは自分では原稿を書きません。バーノンが英国へ渡り、ルイス・ギャンソンにいろいろ見せて解説したものを、ギャンソンが文章化しました。考案者がハッキリしている場合には、バーノンのことですからその名前をキチンと言っていたはずです。バックルカウントの場合は考案者名が告げられず、マリーニの話のこともあったので、バーノン考案とされたのではないでしょうか。ツバをつけないで行う方法を考えていたことは間違いないようです。しかし、この話はバックルカウント考案の経緯で出されたことであったのかの疑問を持っています。1988年にStephen Minch著 "The Vernon Chronicles Volume 2" が発行されています。その中の "The Slap Tricks" の解説の中で同様なマリーニの話が登場します。ここではバックルカウントのことではなく、ブロック・プッシュオフをバーノンの若い時から使っていたことの話の中でマリーニの話が登場しているのです。1913年のバーノンが18才でカナダからニューヨークへ出てきた時には、このブロック・プッシュオフで多くのマニアやマジシャンを煙に巻いていたと報告されています。この使用を発展させたものにダブルターンオーバーもあるわけですが、バーノンのマジックやテクニックに関しては、1910年代から20年代にかけて秘密にされていました。

バーノン自身が自分が考案者でないと明言されたビデオ

1983年にバーノンのリベレーションズのビデオが発売されます。この第8巻のカード・アップ・スリーブのムーブの解説の中で、バックルカウントの考案者の話をされています。このマジックとは関係なく、突然、Gary Ouellet がバックルカウントの考案者の質問をされたからです。バーノンは「私の考案ではない、私はプッシュオフカウントを使う。誰だったか言えるが、名前が出て来ない。ロスに住んでいる(他の人物から数名の名前があげられる)そう、エルマー・ビドルだ。私がプッシュオフカウントで彼がバックルカウントだ」と答えられています。ところで、このエルマー・ビドル考案者説は、その後、否定されているようです。フィル・ゴールドステインが聞いたバーノンの説明では、特定の人物による考案ではないと話されていたようです。

ちょっと一息

今回の調査の中で最も手間がかかったことがあります。バーノンのDVDの中でバーノン自身が語っていた記憶が私の頭には残っているのですが、それが何巻であったのかなかなか見つけることが出来ませんでした。後で報告しますが、1992年のJon Racherbaumerの報告の中でも、バーノンのビデオのことも書かれていましたので間違いないと思います。ところが、何巻で語っていたのかが書かれていません。バーノンビデオは10巻以上も発行されています。その後、2巻ずつが1巻のDVDにまとめられて発行されました。DVDのパッケージには、内容が細かく紹介されているのですが、バックルカウントやフォールスカウントの項目がありません。バーノンビデオには50ページほどの内容を紹介した小冊子があるのですが、それを読んでも書かれていません。ネットでいろいろ調べても見つけることが出来ませんでした。最初は語っていそうなところを中心に調べましたが、見つけることができませんでした。しかたがないので、カードの項目は全て調べることにして、やっと第8巻で見つけることが出来ました。たぶん、Jon Racherbaumerも他の研究者もビデオでは見た記憶があっても、後でそれを書こうと思った時に、何巻にあったのかを見つけるのに苦労してあきらめたのではないかと考えたくなりました。

バーノンが考案者ではないことを記載した文献 パート1

1992年のJon Racherbaumer編集 "The Olram File Vol.1 No.11" に "What About The Buckle Count?" が報告されています。その頃のRacherbaumerは、エド・マルローの功績をたたえ、他のマジシャンや著者の問題点を批判している時期でした。ここには、バーノン自身がバックルカウントの考案者でないことをバーノンのビデオで明らかにしていることを指摘しています。しかし、その考案者としてエルマー・ビドルと言っていたのは、高齢になったバーノンの記憶に問題のあることが証明されたと批判しています。これ以外に、1988年のスティーブン・ミンチ著のバーノンの本の「スラップトリック」で、マリーニの話がされている部分でもいくつかの批判をしています。それらについては、少し長くなりますのでここでは割愛させて頂きます。

それに対して、マルローに関したことでは、バックルカウントの発展に貢献したことを報告しています。1940年にバックルカウントが「エキスパート・カードテクニック」の本に登場した時は、4本の指でバックルしていました。その後、マルローが最初に人差し指で行う方法を発表し、多くのマジシャンや文献でも人差し指を使うようになったことを指摘しています。1942年のマルロー著 "Deck Deception" の「マジカルギャンブラー」の作品で、人差し指を使うバックルカウントになっていました。また、1953年のマルロー著 "The Cardician" の本では、初めてダブルバックルやトリプルバックルが発表されたことも報告しています。ところで、最近になって分かったことは、ダブルバックルの考案者がマルローではなかったことです。ザローに見せてもらったものを許可を取らないだけでなく、クレジットもせずに発表してしまったもののようです。2008年のDevid Ben著 "Zarrow" の本の中で、マルローがダブルバックルを発表する1年前にザローと面会しており、ダブルバックルを見せてもらっていたそうです。

バーノンが考案者ではないことを記載した文献 パート2

2004年に発行のJon Racherbaumer著 "Counthesaurus" の最初に、Max Maven(フィル・ゴールドステイン)による「パケット・フォルスカウント小史」が掲載されています。1936年(正しくは1933年)にトミー・タッカーの「シックスカード・リピート」が発表され、フォールスカウントにグライドが使われたことが報告されています。その後、このトリックを発展させる中で、バックルカウントが生まれてきました。その考案者として、ダイ・バーノンやチャーリー・ミラーやカントゥ "Cantu" とも言われるようになります。しかし、バーノンがゴールドステインに話したことによりますと、単独の考案者は存在せず、「インナーサークル」のグループの中で進化し、10年近く外部に知られることがなかったとのことです。この本は、2008年に東京堂出版より「カードマジックカウント事典」として日本語訳で発行されています。なお、上記の年数の間違いですが、そのマジックが最初に解説されたのは、1933年のChas. C. Eastman著 "Expert Manipulative Magic" の本であることが分かりました。

バーノンが考案者ではないことを記載した文献 パート3

2007年の電子版Bart Whaley編集 "The Encyclopedic Dictionary of Magic" にも、バックルカウントの考案者はバーノンでもチャーリー・ミラーでもないと報告されています。そして、チャーリー・ミラーによると、メキシコのマジシャンのA. J. Cantuにより考案され、1930年代遅くにチャーリー・ミラーが教わったと書かれています。しかし、それが正しいのかも確証されていません。1930年代にDr Daleyにより使われていたことや、George Sandsの "Super Optical Illusion" トリックによりポピュラーになったことも報告されています。なお、Cantuはチャニング・ポロックのハト出しに影響を与えたマジシャンとして有名です。1940年からハトのマジックが演じられ、1949年に交通事故により52才で死亡しています。

バーノンによるバックルカウント使用作品の特徴

1983年のバーノンのビデオで、バーノンはバックルカウントよりもプッシュオフカウントを使うと言っていたのが印象的です。そこで、バーノンの作品では、どのようにバックルカウントが使われていたのかを調べてみることにしました。

バーノンの作品で最初に登場するのが、1949年の "Stars of Magic" での "Mental Card Miracle" です。1カ所だけバックルカウントとして使う部分もありますが、それよりも、カウントの最後でボトムカードをギャンブラーズパーム(ギャンブラーズコップ)するために使われていたのが特徴的です。中指を使ってバックルしていました。1950年の "Stars of Magic" の "Slow-Motion Four Aces" の最後の部分でも、ギャンブラーズパーム(ギャンブラーズコップ)することに使われています。次に登場するのが1960年のLewis Ganson著 "Dai Vernon's More Inner Secrets of Card Magic" の本です。この本の最後にプッシュオフカウントとバックルカウントが解説されています。その理由は、この本に「オイル アンド ウォーター」の作品が掲載されていたからです。前半の3段階はマルローの方法です。その後でバーノンのクライマックスとして3段階が加えられています。マルローの部分では10枚を使い8枚として見せています。そのためにバックルカウントが繰り返し使われています。ダブルバックルも使われています。ところが、バーノンの部分では、パケットをデックへ戻した後、8枚だけ取り上げて演じています。余分なカードを使いませんので、バックルカウントの必要がありません。別の技法により現象を起こしています。それでも最終段階の3枚の状態の時に、ダブルターンオーバーして表を示す操作でバックルが使われています。しかし、ここはバーノンならダブルプッシュオフを使っていたのではないかと考えたくなります。1957年にはLewis Ganson著 "The Dai Vernon Book of Magic" が発行されています。その中のバーノンの「シックスカード・リピート」では、もちろん、プッシュオフカウントを使う解説になっていました。

そして、興味深い記載が1967発行のLewis Ganson著 "Dai Vernon's Ultimate Card Secrets" の "Black And Red Puzzle" の作品の中にありました。これは1939年には既に考えられていた作品であるのが驚きですが、中指を使ってバックルが行われていました。ボトムから2枚目のカードをトップへ置いたり、トップカードをボトムから2枚目へ置くためにバックルが使われています。赤黒交互の8枚のカードの配列を変化させる現象で、セカンドディールも併用して演じられています。また、1980年7月号のGenii誌のバーノンタッチに解説されたバーノンの作品も興味深い内容です。1940年の「エキスパート・カードテクニック」に解説された4枚のエースの作品のバックルカウントを使った部分を、1940年代はじめ頃に改良して1作品を作っていました。表向きの4枚のエースの下に4枚の普通のカードを加えて、バックルかプッシュオフで5枚として数えると書かれています。このカウントを繰り返す作品ですが、必ずバックルかプッシュオフと記載されていたのが印象的でした。原案ではバックルが使われていたので、それを尊重してバックルの名前も入れたのだと思います。しかし、バーノンはプッシュオフを使っていたので両方の名前を入れた可能性が考えられます。このバーノンの作品の現象は、5枚のカードから裏向きで1枚をデックへ置いても5枚に戻ります。ところが、5枚から1枚をデックへ置くふりをしただけのときは、4枚に減っています。これを繰り返して、本当に4枚のエースだけになるまで行っています。結局、バーノンはバックルカウントも使いますが、プッシュオフカウントとして使うことの方が多かったように思えます。また、バックルはカウント以外のことにも早期より使っていたのが印象的でした。

ちょっと一息

このGenii誌のバーノンタッチには、バックルカウントに関しての面白い記載もありました。1930年代の中頃のマジック大会で、Dr Daleyが「シックスカード・リピート」のトリックを、グライドの変わりにバックルカウントを使って演じました。当時、このカウントはごく限られた者以外には知られていない技法でした。そのために、会場のベテランマジシャンから演技は評価されながらも、間違った方法だと非難されそうになりました。実際には、不自然な持ち方のグライドよりもバックルやプッシュオフの方がはるかに有効な場合が多いと言えます。このエピソードは、Max Mavenのフォールスカウント小史にも掲載されています。

余談 ギャンブラーズパームとギャンブラーズコップ

日本ではギャンブラーズパームと言えば、カードが小指側からはみ出した状態でのパームとされています。私も長い間そのように思っていました。ところが、海外の文献では、それをギャンブラーズコップと呼び、ギャンブラーズパームとは別のものとされていることが分かってきました。海外のギャンブラーズパームとは、小指と親指の間で挟まれ、少し湾曲した状態のパームとなっています。何故、このような違いが生じてしまったのか、今回のバックルカウントの調査の中で少し分かったことがありましたので報告することにしました。

上記で報告しましたように、"Stars of Magic" で解説されていたギャンブラーズパームが、現在ではギャンブラーズコップと呼ばれているものでした。上の記載では、私が( )付きでギャンブラーズコップの名前を付け加えましたが、実際にはギャンブラーズパームだけの記載でした。日本では "Stars of Magic" の影響が大きく、現在でもそのまま使われているものと思います。しかし、その後、海外では大きく変化しています。1961年発行の英国のルイス・ギャンソン著 "Dai Vernon's Further Inner Secrets of Card Magic" の本では、セカンド・ギャンブラーズパームの名前で解説されていました。まだ、ギャンブラーズコップの名前ではありません。そして、ギャンブラーズパームは小指と親指で挟むパームとして解説されていました。1967年のLewis Ganson著 "Dai Vernon's Ultimate Card Secrets" の本では、この技法を使っている部分で、これはパームの名前よりコップの名前が好ましいとの記載がありました。しかし、ギャンブラーズコップとは書かれていませんでした。その後、海外ではギャンブラーズコップの名前が定着するようになりますが、それがいつ頃からであるのかが、今回は十分に調べることが出来ませんでした。

ところで、ギャンブラーズパームの方法が最初に解説されたのは、1940年の「エキスパート・カードテクニック」の本です。そこでは "Gamblers' Squaring Palm" の名前で解説されていました。その解説の次には、"Gamblers' Flat Palm" の解説があるのですが、湾曲をつけずに行う方法です。海外の文献でも、間違ってその名前でギャンブラーズパームを解説している文献があり混乱しそうになります。バーノンのビデオでは、ギャンブラーズパームの有意義な使い方を解説しているのですが、日本ではこれを使っているマニアは少ないようです。ギャンブラーズコップの方法ほどには浸透していないようです。そして、ギャンブラーズコップの名前が日本で一般的になるのには、もうしばらくの年数がかかりそうです。

初期のバックルカウント関連文献とその後の重要文献一覧

1940 Hugard & Braue Expert Card Technique
      Solo Flight Aces Charles Miller
       スタンリー・コリンズのフォーエーセスの改良版
       4枚の普通のカードが広げるたびにエースが現れ4Aに
       カウント時は8枚使用 4本の指を使ったバックル
      False Table Deal 5枚を4枚としてテーブルへ配る
1942 Ed Marlo Deck Deception The Magical Gambler
      4枚のクイーンが広げるたびにエースに変化して4Aに
      8枚使用 客の4Kより強い手の4Aに変化させる演出
      人差し指だけを使うバックルカウントの初めての解説
      バックルカウントがバーノンの考案のような記載
1943 John Booth Tarbell Course in Magic Vol.3
      Repeat Card Mystery 左向きでの Six Card Repeat
      小指でボトムカードプルダウン 事前に右下コーナーを少し湾曲
1946 George Sands Hugard's Magic Monthly 12月号
      Super Optical Illusion 人差し指を使ったバックル
      8枚使用で4枚の表の変化だけでなく裏も次々と変化
      これでバックルが有名に 演出を変えてパケットの商品も
1946 Arthur H. Buckley Card Control
      The False Count for Less バックルの用語を使用せず
      Repeat Card Trick 人差し指によるバックル
1947 Ed Marlo Marlo in Spades Super Count Routine
      9枚を6枚に 人差し指によるバックル
      以前に考案者をバーノンとしたが、彼曰くCharles Millerと
1948 George G. Kaplan The Fine Art of Magic
      Will-O-The Wisp Routine 人差し指によるバックル
1949 Dai Vernon Stars of Magic Series 5 Vol.3
      Mental Card Miracle 4本の指でバックル
      中指のバックルでボトムカードをギャンブラーズコップ
1950 Dai Vernon Stars of Magic Series 6 Vol.2
      Slow-Motion Four Aces ブロック・プッシュオフ使用
      中指のバックルでボトムカードをギャンブラーズコップ
1953 Ed Marlo The Cardician The Double And Triple Buckle
      中指、薬指、小指によるバックル
      Oil And Water 人差し指のバックルとDouble Buckleも
1954 Mardo Tarbell Course in Magic Vol.6
      Mardo's Six Card Mistery 
1954 Clarke Crandall Tarbell Course in Magic Vol.6
      Crandall's One Hand Six Card Repeat 人差し指使用
1955 Lewis Ganson Cy Enfield's Entertaining Card Magic 1
      Blackie is with Us!  Cards to Pocket
1956 Lewis Ganson Cy Enfield's Entertaining Card Magic 2
      Aces for Connoisseurs
1958 Lewis Ganson Cy Enfield's Entertaining Card Magic 3
      The Single Flight of The Aces いずれも人差し指使用
1960 Lewis Ganson Dai Vernon's More Inner Secrets of Card Magic
      Oil And Water Ed Marlo Method と Vernon's Climax
      The Push-Off Count  The Buckle Count
1967 Lewis Ganson Dai Vernon's Ultimate Card Secrets
      Black And Red Puzzle 1939年作 中指によるバックル
       ボトムから2枚目のカードの取り出しに使用
1977 Jerry Mentzer Counts Cuts Moves and Subtlety
      人差し指か中指で右外隅から左内隅へ向けて押す
1992 Jon Racherbaumer The Olram File Vol.1 No.11
      What About The Buckle Count?
1995 Roberto Giobbi Card College Vol.1
      Buckling One or More cards
       人差し指で右外隅から左内隅へ向けて押してバックル
       2000年に日本語版が東京堂出版より発行
2004 Jon Racherbaumer Counthesaurus 人差し指によるバックル
      Max Maven A Quick Tour of Packet False Counts
       この中でバックルカウントの歴史も記載 
       2008年に「カードマジックカウント事典」として発行

おわりに

バックルカウントの考案者がバーノンではないことは分かっていましたが、そのことをハッキリさせるためには結構手間がかかりました。DVDで語っていた部分を探し出すだけでなく、そのことをハッキリ書かれた文献も思っていたほどには直ぐに見つかりませんでした。バックルカウントが使われ始めた初期の文献を読み返すことにより、バーノンのすばらしさがあらためて再認識できました。また、マルローの活躍ぶりも興味深い点です。バーノンのDVDを見直して、重要なことをバーノンがたくさん語っていたことが分かり、再発見がいくつかありました。

バックルカウントは、初期の頃は外端部が開いた状態のイラストが中心でしたが、最近の文献では、人差し指や中指で右外隅から左内隅へ押して、外端が開かないようになっています。また、小指を使う方法もポピュラーになっているとのことですが、その点に関しては、今回の調査ではハッキリ分かりませんでした。パケットトリックを行うための初期の重要な技法ですので、興味深く調べることが出来ました。これからは、Toy Box 14号に向けて、パケットトリックの歴史を本格的に調べることにします。


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