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コラム



第59回 エキスパート・カード・テクニックの面白さと謎(2013.2.15up)

はじめに

2011年発行の田代茂訳「アスカニオのマジック」の110ページを読んでいたときに驚きの記載を見つけました。カードマジックで一番よい本との質問に対して、アスカニオの返答が「エキスパート・カード・テクニック」でした。今後何年たっても、あれほどまでに優秀で、細かいところまで記述されている本は出てこないのではないかと書かれていました。さらに、カードマジシャンにとってのバイブルとまで書かれてありました。アードネス著の「エキスパート・アット・ザ・カードテーブル」の本をダイ・バーノンがバイブルだと言っていたのは有名です。1902年に発行され、20世紀のカードマジックに多大な影響を与えた奥の深い本であるからです。1940年発行の「エキスパート・カード・テクニック」は、それに匹敵する本でしょうか。2001年1月号のGenii誌の52ページでは、この本のことを「アードネス第2巻」と呼んでいる人もいることが書かれていました。何故そのように呼ばれるようになったのでしょうか。この本の2年前には「グレーターマジック」が発行されており、その中のカード部門は600ページ近くあります。この本との違いは何なのでしょうか。

「エキスパート・カード・テクニック」には謎がたくさんあります。この本の内容にはダイ・バーノンとの関わりが大きいと言われているのに、彼の名前は2作品にクレジットされているだけです。誰の名前もクレジットされていないものが多数あり、問題にもなっていました。そして、奇妙な記載も多数見かけます。それでも、この本はその後のマジック界に大きな影響を与えています。また、意外な発見も多数あり、マニアには目が離せない本です。そうであるのに、日本では、この本の内容についてほとんど知られていません。450ページ近くあるのに、Dover社版では15ドル以下の価格です。海外のカードマジックのマニアであればたいていが持っている本です。グーグル・ブックスでは、目次と本文の36ページまでを無料で読むことが出来ます。

私はかなり以前より、1902年の「エキスパート・アット・ザ・カードテーブル」と1940年の「エキスパート・カード・テクニック」は徹底的に調査したいと思っていました。どちらも謎と奥の深さで有名な本であったからです。各項目についてまとめますと、アードネスの本と同様でかなりのボリュームになります。そこで、今回は、私が特に興味深かった点や奇妙に思えた点を中心にまとめました。その前に、この本をちょうど40年前に購入した時の私の印象から報告させて頂きます。

本を購入時の私の印象

「エキスパート・カード・テクニック」を予約して送られてくるまでが楽しみでした。カード・エキスパートの奥義が解説された本だと期待していたからです。少し前に購入していた「ロイヤルロード・ツー・カードマジック」は、カードマジックの名著とされていましたので手に入れましたが、入門書の印象が強くて物足りなさを感じていました。待望の本が到着して本を開いた時の印象はガッカリすることばかりでした。イラストを見れば本全体の傾向が分かりますが、古くさい印象と難しいばかりで使い物になるのかといった印象です。その頃の私は、ジェニングス、ロイ・ウォルトン、ディングルのような新しい発想のカードマジックに興味が集中していたために、よりいっそう期待はずれになってしまったわけです。これはアードネスの本購入時の印象と共通している点があります。これらの本のすばらしさが分かるようになるのは、もう少し後になってからです。

イラストを見ていて印象的であったのがパーフェクト・フェロウシャフルです。噛み合わせ方が奇妙に思いました。テーブルから少し浮かせた状態で、トップ側から噛み合わせていたからです。下側に山形になっているイラストです。私が使っていた方法と大きく違っており、変わった方法を解説しているとしか思えませんでした。そして、もう一つ目にとまったのが、"Interlocked Production" のイラストです。石田天海氏の方法として私も使っており、その方法が解説されているようでした。しかし、その解説の冒頭には、クリフ・グリーンのものとして書かれており、頭が混乱する状態となりました。その上、これがフラリッシュの章で効果的なフラリッシュとして解説されていましたので、変な本との印象を持ってしまいました。

それでも、私が興味を持って読み始めたのが "Birds of A Feather" の章です。4枚のエースを使った移動現象の作品が集められています。私がこの本を購入した1970年代前半は、特に興味を持っていたのがフォーエース・アセンブリーでした。この章では、14作品中7作品がフォーエース・アセンブリーで、1940年頃までの各種方法の改良版が出そろっていました。パームやフォールス・ディールを使う作品が多く、古くて難しい印象がありました。それでも、それぞれの考え方が面白く、大いに参考になりました。

本の全体のことに関して

Jean HugardとFrederick Braueの共著です。(以下の記載では、前者をヒューガード、後者をブラウエとします。Braueはブラウイやブロゥイーに近い発音をするようですが、今回は今まで通りブラウエと記載することにします。)初版は1940年発行で448ページありました。1950年に第3版が発行され、本の後部にバーノンとDr Jacob Daleyの章が26ページ加わっています。そして、本の冒頭にはバーノンへの謝罪の言葉も加わっています。バーノンの名前をクレジットしていない部分が多数あり、バーノンが抗議していたからです。最近ではDover社版が安価で手に入りますが、これは初版の再版です。初版の本の構成は、前半が技法解説で、後半が作品解説になっています。最後には28ページをかけて、ミスディレクションとプレゼンテーションについての記載があります。

本全体は、アードネス著「エキスパート・アット・ザ・カードテーブル」が意識されており、特別なカードや装置を使うものは扱っていません。ただし、ダブルフェイスに関しては例外のようで一つの章にまとめられています。また、ライジングカードの章では糸を使っているものもありますが、基本的にはレギュラーデックだけで演じる作品が中心です。その点が2年前に発行されたグレーターマジックとの大きな違いの一つと言えます。技法解説はアードネスの本に解説された技法の発展したものや、アードネス以降に登場した各種技法も解説されています。アードネスの本ではカードギャンブルに使用する技法を中心としていましたが、こちらではそれらの技法もマジックに使用することを前提としています。アードネス以降で充実させた技法としてフォールスディールがあげられます。アードネスはボトムディールとプッシュオフのセカンドディールだけの解説でしたが、こちらではそれに加えて、ストライク・セカンドディールやセンターディール(この本ではミドルディールと記載)、そして、ダブルディールが加わっています。アードネスの本にはなかったものとして、ダブルリフト、サイドスリップ、パーフェクト・リフルシャフル、リアパーム、パーフェクト・フェロウシャフルの原理等があげられます。これら以外にも多数の技法解説があり、また、作品も多くの章に分かれて多数解説されていますが、ここではそれらの名前の紹介を割愛させて頂きます。グーグルブックスやその他でも目次を見ることが出来るようになっていますので、是非そちらを参照して下さい。

作品が掲載されたマジシャンの特徴点

作品や技法の解説で考案者名が記載されたマジシャンの多い順に報告します。人物名の後の数は作品や技法の数です。チャーリー・ミラー 11、ブラウエ 8、ヒューガード 7、Zingone 7、ジャック・マクミラン 3、ロッシーニ 3、バーノン 2、そして、1作品(技法)だけは8名ですが、その名前は割愛します。

興味深いことは、上記のように複数回名前が取り上げられたマジシャンのほとんどが、アードネスの本に強い影響を受けていたことです。中でも、バーノン、チャーリー・ミラー、ジャック・マクミラン、Zingoneはカードギャンブル技法のエキスパートです。ポール・ロッシーニの場合は特別で、カードに関してはバーノンに指導を受けたマジシャンです。一時期はカードマジックに関して、バーノンのイミテーションと言われたこともあるようです。二人の関係のことは、1999年のポール・ロッシーニの本 "House of Cards" の47ページに書かれています。

Zingoneの作品 "The Zingone Spread" では、アードネスの本を手本にされていたことがよく分かります。アードネスの本に解説されたカルシャフル・システムとパーム・システムをマジックに応用した場合の一例ともいえる作品になっていたからです。デックをスプレッドして、トップ近くの部分で3人の客に1枚ずつアウトジョグさせます。そして、それぞれのカードをのぞき見てもらいます。スプレッドしていますので、各カードが何枚ずつ離れているかが分かります。これをアードネスのカルシャフル・システムで3枚をボトムへコントロールして、さらに、ボトムパームによりポケットより取り出しています。

ジャック・マクミランの経歴を知って驚きました。鉄道マネージャーでカードギャンブルに精通し、セミプロ・クロースアップマジシャンでもあったからです。つまり、1年前のコラムでアードネスの正体を取り上げましたが、パート2での鉄道会社員のE.S.アンドリュースと同様な存在となるわけです。ただし、アンドリュースの場合は、ギャンブルやマジックに詳しい存在であったかは分かっていません。マクミランはサンフランシスコに住んでおり、ブラウエへは直接に影響を与えていたようです。「ブラウエ・ノートブック」によりますと、1937年1月よりマクミランの名前が何回か登場し、よく二人が会っていたことが分かります。

注目すべき記載

大阪で海外のマジック書に詳しいお二人に、この本で注目すべき作品や技法をお聞きしました。田中貞光氏の場合は "Le Temps Four Aces" をあげられ、レパートリーにされているとのことで実演までして頂きました。スムーズな演技で、そのすばらしさが実感できました。その後、アスカニオの3冊目の本を調べていますと "Le Temps Four Aces" が何回か登場し、アスカニオもこの本の中で特に気に入っていることが分かりました。また、田中氏の指摘では、「マーキュリー・フォウルド」が解説されていることで、この本が取り上げられることが多いとのことでした。スピーディーに秘かに折り畳む場合には実践的で見逃せない方法です。1996年発行のトミー・ワンダーとスティーブン・ミンチ共著の "The Books of Wonder Vol.1" にも、「マーキュリー・フォウルド」を使った作品が解説されています。そこには、最近明らかになったこととして、その技法の考案者はJohn Scarneと報告されていました。

宮中桂煥氏の場合には、パーフェクト・リフルシャフルが解説されていることを指摘され、その一点だけでもこの本の価値があると話されました。パーフェクト・リフルシャフルはこの本が最初で、これ以降、どの本にも解説されていないようです。ここでの解説はチャーリー・ミラーが行っていた方法と書かれていました。1970年代を思い返しますと、日本では、名古屋の故谷川徹夫氏がパーフェクト・リフルシャフルが出来ることで名前が知られていました。その方法がこの解説と同じか独自のものかは分かりませんが、パーフェクトが可能なことが分かりました。さらに、書き加えますと、そのすぐ後で解説されていますチャーリー・ミラーのストリップアウト・フォールスシャフルもこの本の価値を高めています。デック全体の配列を崩さないフォールス・リフルシャフルです。グレーターマジックでは、このシャフルの簡易な方法が解説されていますが、弱点のある方法でした。リフルシャフルの後、そろえる時に右半分を完全に左半分の中へ押し込まずに、少し右側へ残して、右手でカバーしていました。これをチャーリー・ミラーは完全に押し込んでそろえたように見せています。その後で右側へ戻して抜いています。

上記以外で注目すべき点は、52枚でアウトのパーフェクト・フェロウシャフルを8回繰り返すと元の順序に戻ることや、エンドレス・ベルトのことが解説されていたことです。また、18枚目と35枚目に関しては、シャフルのたびに位置が入れ替わるだけであることも報告されています。これらのことを一覧表を使って詳しく報告しています。8回繰り返すと元に戻ることは、1919年のチャールズ・ジョーダン著 "Thirty Card Mysteries" の "The Full Hand" の作品の最後に触れられています。この作品は16枚で4回のシャフルを繰り返すと元に戻る原理を使っていますが、ダウンズは52枚のデックを8回のシャフルで元に戻すことができると書き加えられているだけです。1992年にDover社から発行されたジョーダンのベストカードトリックの本の "The Full Hand" の解説では、52枚使用の場合のことは削除されていました。

さらに、注目点として、デックのトップカードを大きく右サイドへ押し出して、右手でカバーしてテーブル上でこすると、カードが消失するRub-A-Dub-Dubも解説されていることです。意外であったのは、アンビシャスカードで湾曲をつけたカードを中央へ入れると、ポップアップしてトップに来る解説がされていたことです。この本で初めて解説されたと思いますが確信はもてません。そうでなかったとしても、この本の影響は大きいと思います。最近の文献では、考案者をブラウエと書かれていたり、ブラウエ・ポップアップの名前が付けられていました。

作品としての注目点は、「サイキック・ストップ」やチャーリー・ミラーの「ダンバリー・デリュージョン」もよく取り上げられています。「サイキック・ストップ」は7枚目へ客のカードをもってきて、配るのは演者となっていました。ゆっくりと配っています。しかし、「ブラウエ・ノートブック 8」(1997年発行)では8枚目にもってきて、客が配るようになっています。問題はこの作品がノートされた年数が分からないことです。エキスパートの本発行より以前のことなのでしょうか。それ以前の文献としては、1937年発行の"Encyclopedia of Card Tricks"にも同様な作品が解説されています。「サイコロジカル・ストップ・トリック」のタイトルで10枚目にもってきて、客に少し早いペースで配らせていました。ここには、Paul NoffkeやMax Holdenが演じていたことを報告しています。エキスパートの本の方法は、マクミランの方法が元になっており、それに手が加えられ少し変えられてしまったものとの報告があります。「ブラウエ・ノートブック」についてもう少し書き加えますと、第3巻中頃までは年代順になっており、1935年から43年末まで記載されています。ところが、その後は8巻まで技法別や現象別にまとめられています。バラバラになっていたり、年数の記載がなかったからのようです。

フラリッシュの章の中で私が好きなのは、最後に解説されています "There It Is !" のタイトルが付けられた方法です。突然、表向きカードが指先に挟まれて出現します。この方法の開始部分のイラストがDover社版の本の表紙に使われていたので驚きました。デックのトップカードを右手で取って表を示し、トップへ戻すと同時に、右手の薬指と小指の間にカードのコーナーが挟まれた表向きカードが出現します。これには考案者名の記載がありませんでした。ところが、直ぐに考案者が分かり、これに関しては素早い対応をしています。1941年発行の「モア・カード・マニピュレーション 4」の中で、書体を変えて、「エキスパート」の本の "There It Is !" は、ルポールの考案であることが分かったと記載されていました。問題はそのことが知れわたっていないことです。最近のマジック誌で、これを「ブラウエ・フラリッシュ」と書かれていたのにはガックリとしました。この操作の注目点は巧妙なスイッチに応用できることです。

リアパームとブラウエとチャーリー・ミラーとの関わり

リアパームが一つの章として9ページにわたり各種の扱い方が解説されているのも興味深い点です。リアパームの最初の考案者のことは別として、ここでの解説はブラウエの方法がまとめられた可能性が高いと思われます。しかし、ブラウエの名前がどこにも見当たりません。1984年に発行されたバズビー編集「ブラウエ・ノートブック」の案内書のパンフレットの中で、1937年頃にチャーリー・ミラーがヒューガードへ送った手紙を紹介されていました。サンフランシスコのホテルの便箋に、先ほど見たばかりのブラウエのリアパームのすごさに驚嘆した感想が綴られていました。いくつか見せられたリアパームの扱いが、全くあやしさを感じさせず、解説されるまで方法が分からなかったと絶賛しています。ヒューガードとブラウエの関係は、1937年の「アニュアル・オブ・マジック」に作品が掲載されたのが最初です。その頃にリアパームの原稿も送られていたのではないかと思います。ヒューガードがブラウエの技量や彼のリアパームが実践的なものか知りたくて、同じ西海岸に住んでいるチャーリー・ミラーに、ブラウエと会うことを依頼された可能性があります。このことがきっかけで、二人がセッションしあう関係になったのかもしれません。

奇妙なのは、「ブラウエ・ノートブック」にチャーリー・ミラーの名前が登場するのが1939年に入ってからであったことです。1938年には、チャーリー・ミラーだけでなく、ジャック・マクミランの名前も登場しません。さらに奇妙なのは、「ブラウエ・ノートブック」には「エキスパート・カード・テクニック」に関する内容の記載が全くなかったことです。本の原稿のためにその部分が外され、使用されなかったものだけが残ったのでしょうか。1937年から38年にかけてチャーリー・ミラーと何回かセッションしていたとしたら、ミラーの技量と奥深い情報量に圧倒させられたと思います。それがかなりのボリュームのあるノートとなり、ニューヨークのヒューガードへ送られ、エキスパートの本の元になったのではないかと勝手な想像をしています。ブラウエはオークランド新聞社の記者で、文章を書いたりまとめるのは専門家です。オークランドはサンフランシスコの対岸に位置しています。

なお、「ブラウエ・ノートブック」は1935年から始まっていますが、35年8月にリアパームのことがノートされていました。その冒頭での記載には、誰かが考案され使っているに違いありませんが、これが解説されているのを見たことがないと書かれています。そして、彼の基本的なリアパームの仕方と、リアパームしながらリフルシャフルして、その後、デックのトップへ戻す方法がノートされていました。気になることは、エキスパートの本では、リアパームしたままでリフルシャフルすることの記載がなかったことです。

本の製作上の問題とそれに関わる人物

ヒューガードとブラウエの共著ですが、そのほとんどがブラウエの原稿が元になっているようです。ヒューガードも独自で得た作品や技法を加えていますが、編集が中心であったと思われます。各作品や技法の前書きは、もちろんヒューガードによるものです。ヒューガードは東海岸のニューヨークで、ブラウエは西海岸のロサンゼルスです。二人は手紙のやり取りだけで顔を会わしたことがありません。ブラウエの原稿のほとんどがチャーリー・ミラーから得たものです。また、マクミランから得たものもあります。チャーリー・ミラーはギャンブル・テクニックやクロースアップマジックの名手で、バーノンからも一目置かれる存在でした。1931年頃に二人が出会ってから意気投合し、セッションを繰り返す間柄となり、その後は手紙も含めて交流を続けていました。そのために、ブラウエの原稿には、チャーリーミラーのものだけでなく、バーノンに関係したものが多数含まれていました。本が発行されて驚いたのがバーノンでした。バーノンに関係したものがいくつもあるのにクレジットされていなかったからです。もちろん、直ぐにヒューガードへ抗議したようです。その結果、バーノンが会ったこともないブラウエの原稿が元になっていたことが判明しました。そこで、同じ西海岸に住んでいるチャーリー・ミラーにブラウエのことを尋ねています。その返答として、自分が原因で漏れてしまったことを詫びています。ただし、ブラウエに要望されて、繰り返し見せたことがあっても、方法を教えたことがないと弁明されたようです。また、このような形で本が発行されるとは思ってもいなかったようです。このことに関しては、1984年10月号のGenii誌のバーノンタッチのコーナーや、1992年のバーノン・クロニクルVol.4の183ページに詳しく書かれています。

第3版が1950年に発行されますが、それにはバーノンとDr. Daleyの特別の章が加わっています。これは『スター・オブ・マジック」を編集発行したジョージ・スタークが提供したものです。そこには、バーノンの「オールバック」の作品も解説されています。この第3版の冒頭には、ジョージ・スタークへの謝辞とバーノンへの謝罪の言葉が述べられていました。しかし、それに続けて、読者の方なら、クレジットを正確にすることが困難であったことを理解して頂けるであろうと書かれています。そして、作品数が多かったことと、著者二人が遠く離れて手紙のやり取りだけで行っていたために、クレジットをハッキリさせることが困難なケースが多かったと弁解しています。結局、ジョージ・スタークが間に入って、本の再版をバーノンにも納得してもらうことになったのだと思います。この第3版が、イギリスとフランスからも発行されることになります。

ヒューガード対バーノン

驚きの記載を1984年発行の「ブラウエ・ノートブック」第1巻で見つけました。この本の冒頭で編集者のジェフ・バズビーが書いていたことです。ブラウエはバーノンを崇拝しており、彼の原稿には、バーノンが元になっていることが分かった部分には、バーノンの名前をきっちりとクレジットしていたと書いています。ところが、ヒューガードがバーノンを嫌っており、ヒューガードが考えた上でバーノンの名前を外した部分が多いとのことです。そのことはヒューガードからブラウエへ宛てた手紙には書かれているそうですが、その手紙の内容は公開されていません。そして、ブラウエの罪は、そのことに沈黙をしていたことだと書かれていました。ヒューガードがバーノンを嫌っていた理由の見当がつきます。ヒューガードが多くのマジシャンの最新の秘密を次々に公開していたのに対し、バーノンは秘密の公開を嫌っていたからです。バーノンに掲載の許可を求めても、良い返事が得られなかったのだと思います。1~2作品ならまだしも多数ならなおさらです。

1930年1月号のスフィンクス誌にヒューガードが「オールバック」の広告を掲載しています。それに関係することが、1992年発行の "The Vernon Chronicles Vol.4" の186ページに興味深い報告がされていました。バーノンがヒューガードにレギュラーデックで演じる「オールバック」の作品を見せています。ヒューガードがバーノンに、これのプライベート解説書を作って販売することを提案しています。これに対してバーノンは反対します。当時は、まだ、ダブルバックの存在がマニアの間で知られていなかったからです。「オールバック」を発表することは、マニアに対してバーノンがダブルバックを使っている可能性をほのめかしてしまうことになります。バーノンの有名な「フール・フーディーニ」の作品で、解けないマジックはないと自慢していたフーディーニを降参させています。1920年代初めのことです。これにはダブルバックとダブルリフトが使われていますが、いずれも20年代では数名にしか知られていなかったものです。また、モハメッド・ベイ(サム・ホロウィッツ)に対しても同じマジックで、1920年代中頃に不思議さで夜も寝れない状態にさせてしまいます。他のマジックでも秘かにダブルバックを使ってマジシャンやマニアを煙に巻いていました。ところが、その後、ヒューガードが自分の考えを加えて、勝手に解説書を作り広告したわけです。バーノンの方法が初めて解説されるのは、1949年6月号のヒューガード・マジック・マンスリー誌においてです。バーノンの方法はデックの両面が全て裏ばかりになる現象です。ヒューガードの方法では、客に1枚選ばせて、オールバックの現象の最後に、そのカードだけひっくり返った状態で現れることが加えられているようです。

1934年にヒューガードが発行した「カードマニピュレーション2」での冒頭にダブルリフトが解説されています。これは明らかにバーノンの方法です。しかし、バーノンからの許可が取れなかったためか、誰の名前も書かれていません。ただし、その最後の部分で、バーノンも同様の方法で3枚でも4枚でも同様に行っていると、苦しまぎれの記載が加わっていました。

バーノンの場合、1932年に初めて彼の作品集の冊子を発行することになります。それはバーノンの家庭の事情(第2子の誕生)でお金を必要としていたからです。友人のFaucett W. Rossの提案で10作品が解説された冊子を制作することになりました。しかし、発行数を少なくして、1冊20ドルの値をつけて発行することになります。秘密が広まるのを最小限にしたかったこともあるのでしょう。1962年にその冊子を含めたバーノンの初期の作品を集めた "Early Vernon" が発行されますが、その中で、当時の20ドルは60ドルの価値があると書かれています。1962年の日本では1ドルが360円でしたので、2万円以上の価格となります。

問題のある記載

用語の使い方に奇妙さを感じる部分が数カ所ありました。最初に感じたのは、フラリッシュの章です。本来はあざやかであっても、不思議さを伴わない場合に使用される用語です。ところが、"Interlocked Production" は不思議さを中心にしたものであるのに、効果的なフラリッシュとして解説していました。さらに問題は、石田天海氏の方法であるのにクリフ・グリーンの方法として解説されていたことです。21年後にクリフ・グリーンが「プロフェッショナル・カードマジック」の本を発行し、その中で間違いを指摘していました。ヒューガードよりこの方法の本への掲載依頼があり、完成した本を見ると、自分の方法ではなかったことが報告されています。最近ではGeniiのホームページで、この本に関してのMagic Pediaには、本に作品掲載されているマジシャン名からクリフ・グリーンの名前がなくなり、天海の名前が加わっていました。

セルフワーキングの章での記載も奇妙です。2作品ではボトムからのサイドスリップが繰り返し使用されており、1作品ではワンハンド・トップパームが使われています。また、フォースのためにパームを使っている作品もありました。エキスパートの本として技法と合体させたのかもしれませんが、セルフワーキングの章に含めるのには違和感がありました。

「エース・アセンブリー」の用語の使い方も奇妙に感じました。そのタイトルの作品があるのですが、4分割したパケットの各トップからエースが出そろう現象です。1カ所に集まる現象ではありません。本来のアセンブリーの現象の作品には、それぞれ独自のタイトルがついており、アセンブリーでない作品にアセンブリーがついていたので、より奇妙に感じました。さらに、この作品の新しい方法の問題は、1年前のマジック誌「ドラゴン」6月号に解説されたばかりのSteve Belchouの作品であったことです。作者名が明記されず、勝手に発表されたことになります。

ダイ・バーノンとの関わり

バーノンの名前をクレジットすべきであるのに、何の記載もないものが多数あるようです。私が探した中でハッキリしているのが3カ所ありました。3カ所とも "Birds of A Feather" の章の作品にありました。一つはチャーリー・ミラーの "The Nomad Aces" です。これは1932年のバーノンの20ドルの作品集「テンカード・プロブレム」の中で「バーノン・フォーエーセス」として発表されたものが元になっています。二つ目が作者名のない "Migratory Aces" です。デックの中へバラバラに入れた4枚のエースが、各ポケットより1枚ずつ取り出されます。つまり、「スター・オブ・マジック」に発表されたバーノンの「トラベラーズ」と同じ現象です。バーノンはマルティプルシフトを使っていますが、こちらではグレーターマジックの本に解説されたカーディーニの方法を使っています。バーノンがエキスパートの本を元にして「トラベラーズ」を発表したと、間違った解釈をしてしまいそうです。三つ目が "Cops and Robbers の中心となる技法が、1932年のバーノンの20ドルの作品集にあるバーノンのアディションが使われています。これもバーノンの名前の記載がありませんでした。

バーノン考案でなくても、バーノンを経由してチャーリー・ミラーに伝わったものも多数あるようです。例えばセンターディールです。これはこの本での解説が最初で、五つの方法が紹介されています。その中でも最初のものはケネディーの方法です。1930年代初めに、バーノンがセンターディールを使うギャンブラーを探し求めた話は有名で、ケネディーに会って見せてもらうことが出来ました。このことはチャーリー・ミラーにも報告しています。

バーノンの名前がクレジットされた2作品について

"TowーSixーFour" と "Dai Vernon's Mental Force" の2作品のみバーノンの名前が書かれています。その中でも、前者は特に問題を感じます。これはケース・バイ・ケースのマジックです。15通りの方法を解説する必要があります。ところが、この本では三つのケースしか解説されていません。それだけでなく、不思議さの点でも弱くなっています。この作品に対する扱いがひどかったためか、翌年(1941年)に発行されたバーノンの小冊子「セレクト・シークレット」に、バーノンの本来の方法が別のタイトルで解説されていました。15通りのケース・バイ・ケースの全てと、そのためのルールが簡潔に解説されています。現象は15枚を表向きにスプレッドして、好きなカードを1枚思ってもらうのですが、トップからの枚数も覚えてもらいます。15枚をデックに戻しシャフルした後、二つの山に分割します。何枚目を覚えたかを言ってもらうのですが、あるケースの場合、一方のパケットのトップカードを表向けると4で、そのパケットのボトムを示すと6が示されます。6から4をマイナスすると2です。他方のパケットのトップを表向けると2が現れます。そして、このパケットの2枚目より客のカードが出現します。2と6と4の3枚は全てのケースで登場します。エキスパートの本では全くセットなしで楽に行えるようにしたために、最初に2と6と4のカードを1枚ずつ表向きに取り出し、特定のセリフを言っています。その後、その両サイドに6枚ずつ表向きに並べています。これでは2と6と4を見た印象が強くなり、後でこの3枚が現れても不思議さやインパクトが弱くなります。本来のバーノンの方法では、15枚を表向きに並べる時に中央へ6と2と4をもってきているだけです。なお、2と6の位置が入れ替わっていました。

"Dai Vernon's Mental Force" は「ルーティーン」の章で、5枚のカードを使用するマジックの一つとして紹介されています。これが最初に解説されたのは1932年の20ドルの冊子です。そこでは「バーノン・ファイブカード・メンタルフォース」のタイトルになっています。その後、1935年のルーファス・スティールの冊子や1937年の"Encyclopedia of Card Tricks"にも取り上げられています。つまり、1940年にはバーノンのマジックとして知られており、ルーティーンの一つとして取り上げられていただけです。この4冊の解説は使用するカードもセリフも全てが同じです。このマジックに関して驚くべきことが分かりました。今回のエキスパートの本のことから離れますが、1983年のバーノンのビデオ "Revelations" の7巻目でバーノンが語っていたことです。このビデオはその後DVD化され、最近ではスクリプト・マヌーヴァ社より日本語字幕版が販売されています。面白いエピソードが長々と語られるのですが、バーノンのスピーチが聞き取りにくく問題に感じていました。日本語字幕版となったことにより、重要で興味深いことを語っていたことが次々と分かり、字幕版の価値の大きさが分かりました。「ファイブカード・メンタルフォース」も意外な内容でした。スティーブ・フリーマンが本に解説されていた通りに演じたところ、バーノンが本当に行っていた方法との違いを次々に指摘されました。これには驚かされてしまいました。本に解説されていたのは、何であったのかと言いたくなります。高額をかけたギャンブルの場合と、一般客相手のマジックの解説用に少しアレンジして書いた違いなのでしょうか。ところで、このマジックを含む1932年の冊子の全ては友人のFaucett W. Rossが解説を書いています。

おわりに

今回は本全体のことが中心となり、各内容については私の興味がある部分しか報告できませんでした。まだまだ取り上げるべき項目が多数あります。例えばトップパーム一つにしても、アードネスの本と今回のブラウエの方法、そして、バーノンの方法との関連性や違いは面白いテーマとなります。このことを調べますと、あらためてバーノンのすごさが分かります。ヒューガードとブラウエにはいろいろ問題があります。しかし、二人のおかげで、1920年代後半から1930年代にかけてのカードマジックの奥深い部分の一端が明らかになったのも事実です。その中心的人物がバーノンであるといえます。その点が、膨大な情報量のグレーターマジックの本とは違った魅力をもっています。そして、「エキスパート・カード・テクニック」の面白さです。今回の調査により、バーノンだけでなくチャーリー・ミラーとブラウエのすばらしさがよく分かりました。ヒューガードに対しては、少し辛口の記載となりました。しかし、彼のマジックに対する情熱と残した功績がすばらしく、1943年から65年まで発行された「ヒューガード・マジックマンスリー」誌も高く評価されています。そして、まだ購入していなかった彼の数冊の小冊子も全て手に入れたくなったことを書き加えておきます。また、機会があればパート2としてまとめたいと思います。


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