2011年発行の田代茂訳「アスカニオのマジック」の110ページを読んでいたときに驚きの記載を見つけました。カードマジックで一番よい本との質問に対して、アスカニオの返答が「エキスパート・カード・テクニック」でした。今後何年たっても、あれほどまでに優秀で、細かいところまで記述されている本は出てこないのではないかと書かれていました。さらに、カードマジシャンにとってのバイブルとまで書かれてありました。アードネス著の「エキスパート・アット・ザ・カードテーブル」の本をダイ・バーノンがバイブルだと言っていたのは有名です。1902年に発行され、20世紀のカードマジックに多大な影響を与えた奥の深い本であるからです。1940年発行の「エキスパート・カード・テクニック」は、それに匹敵する本でしょうか。2001年1月号のGenii誌の52ページでは、この本のことを「アードネス第2巻」と呼んでいる人もいることが書かれていました。何故そのように呼ばれるようになったのでしょうか。この本の2年前には「グレーターマジック」が発行されており、その中のカード部門は600ページ近くあります。この本との違いは何なのでしょうか。
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「エキスパート・カード・テクニック」を予約して送られてくるまでが楽しみでした。カード・エキスパートの奥義が解説された本だと期待していたからです。少し前に購入していた「ロイヤルロード・ツー・カードマジック」は、カードマジックの名著とされていましたので手に入れましたが、入門書の印象が強くて物足りなさを感じていました。待望の本が到着して本を開いた時の印象はガッカリすることばかりでした。イラストを見れば本全体の傾向が分かりますが、古くさい印象と難しいばかりで使い物になるのかといった印象です。その頃の私は、ジェニングス、ロイ・ウォルトン、ディングルのような新しい発想のカードマジックに興味が集中していたために、よりいっそう期待はずれになってしまったわけです。これはアードネスの本購入時の印象と共通している点があります。これらの本のすばらしさが分かるようになるのは、もう少し後になってからです。
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Jean HugardとFrederick Braueの共著です。(以下の記載では、前者をヒューガード、後者をブラウエとします。Braueはブラウイやブロゥイーに近い発音をするようですが、今回は今まで通りブラウエと記載することにします。)初版は1940年発行で448ページありました。1950年に第3版が発行され、本の後部にバーノンとDr Jacob Daleyの章が26ページ加わっています。そして、本の冒頭にはバーノンへの謝罪の言葉も加わっています。バーノンの名前をクレジットしていない部分が多数あり、バーノンが抗議していたからです。最近ではDover社版が安価で手に入りますが、これは初版の再版です。初版の本の構成は、前半が技法解説で、後半が作品解説になっています。最後には28ページをかけて、ミスディレクションとプレゼンテーションについての記載があります。
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作品や技法の解説で考案者名が記載されたマジシャンの多い順に報告します。人物名の後の数は作品や技法の数です。チャーリー・ミラー 11、ブラウエ 8、ヒューガード 7、Zingone 7、ジャック・マクミラン 3、ロッシーニ 3、バーノン 2、そして、1作品(技法)だけは8名ですが、その名前は割愛します。
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大阪で海外のマジック書に詳しいお二人に、この本で注目すべき作品や技法をお聞きしました。田中貞光氏の場合は "Le Temps Four Aces" をあげられ、レパートリーにされているとのことで実演までして頂きました。スムーズな演技で、そのすばらしさが実感できました。その後、アスカニオの3冊目の本を調べていますと "Le Temps Four Aces" が何回か登場し、アスカニオもこの本の中で特に気に入っていることが分かりました。また、田中氏の指摘では、「マーキュリー・フォウルド」が解説されていることで、この本が取り上げられることが多いとのことでした。スピーディーに秘かに折り畳む場合には実践的で見逃せない方法です。1996年発行のトミー・ワンダーとスティーブン・ミンチ共著の "The Books of Wonder Vol.1" にも、「マーキュリー・フォウルド」を使った作品が解説されています。そこには、最近明らかになったこととして、その技法の考案者はJohn Scarneと報告されていました。
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リアパームが一つの章として9ページにわたり各種の扱い方が解説されているのも興味深い点です。リアパームの最初の考案者のことは別として、ここでの解説はブラウエの方法がまとめられた可能性が高いと思われます。しかし、ブラウエの名前がどこにも見当たりません。1984年に発行されたバズビー編集「ブラウエ・ノートブック」の案内書のパンフレットの中で、1937年頃にチャーリー・ミラーがヒューガードへ送った手紙を紹介されていました。サンフランシスコのホテルの便箋に、先ほど見たばかりのブラウエのリアパームのすごさに驚嘆した感想が綴られていました。いくつか見せられたリアパームの扱いが、全くあやしさを感じさせず、解説されるまで方法が分からなかったと絶賛しています。ヒューガードとブラウエの関係は、1937年の「アニュアル・オブ・マジック」に作品が掲載されたのが最初です。その頃にリアパームの原稿も送られていたのではないかと思います。ヒューガードがブラウエの技量や彼のリアパームが実践的なものか知りたくて、同じ西海岸に住んでいるチャーリー・ミラーに、ブラウエと会うことを依頼された可能性があります。このことがきっかけで、二人がセッションしあう関係になったのかもしれません。
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ヒューガードとブラウエの共著ですが、そのほとんどがブラウエの原稿が元になっているようです。ヒューガードも独自で得た作品や技法を加えていますが、編集が中心であったと思われます。各作品や技法の前書きは、もちろんヒューガードによるものです。ヒューガードは東海岸のニューヨークで、ブラウエは西海岸のロサンゼルスです。二人は手紙のやり取りだけで顔を会わしたことがありません。ブラウエの原稿のほとんどがチャーリー・ミラーから得たものです。また、マクミランから得たものもあります。チャーリー・ミラーはギャンブル・テクニックやクロースアップマジックの名手で、バーノンからも一目置かれる存在でした。1931年頃に二人が出会ってから意気投合し、セッションを繰り返す間柄となり、その後は手紙も含めて交流を続けていました。そのために、ブラウエの原稿には、チャーリーミラーのものだけでなく、バーノンに関係したものが多数含まれていました。本が発行されて驚いたのがバーノンでした。バーノンに関係したものがいくつもあるのにクレジットされていなかったからです。もちろん、直ぐにヒューガードへ抗議したようです。その結果、バーノンが会ったこともないブラウエの原稿が元になっていたことが判明しました。そこで、同じ西海岸に住んでいるチャーリー・ミラーにブラウエのことを尋ねています。その返答として、自分が原因で漏れてしまったことを詫びています。ただし、ブラウエに要望されて、繰り返し見せたことがあっても、方法を教えたことがないと弁明されたようです。また、このような形で本が発行されるとは思ってもいなかったようです。このことに関しては、1984年10月号のGenii誌のバーノンタッチのコーナーや、1992年のバーノン・クロニクルVol.4の183ページに詳しく書かれています。
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驚きの記載を1984年発行の「ブラウエ・ノートブック」第1巻で見つけました。この本の冒頭で編集者のジェフ・バズビーが書いていたことです。ブラウエはバーノンを崇拝しており、彼の原稿には、バーノンが元になっていることが分かった部分には、バーノンの名前をきっちりとクレジットしていたと書いています。ところが、ヒューガードがバーノンを嫌っており、ヒューガードが考えた上でバーノンの名前を外した部分が多いとのことです。そのことはヒューガードからブラウエへ宛てた手紙には書かれているそうですが、その手紙の内容は公開されていません。そして、ブラウエの罪は、そのことに沈黙をしていたことだと書かれていました。ヒューガードがバーノンを嫌っていた理由の見当がつきます。ヒューガードが多くのマジシャンの最新の秘密を次々に公開していたのに対し、バーノンは秘密の公開を嫌っていたからです。バーノンに掲載の許可を求めても、良い返事が得られなかったのだと思います。1~2作品ならまだしも多数ならなおさらです。
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用語の使い方に奇妙さを感じる部分が数カ所ありました。最初に感じたのは、フラリッシュの章です。本来はあざやかであっても、不思議さを伴わない場合に使用される用語です。ところが、"Interlocked Production" は不思議さを中心にしたものであるのに、効果的なフラリッシュとして解説していました。さらに問題は、石田天海氏の方法であるのにクリフ・グリーンの方法として解説されていたことです。21年後にクリフ・グリーンが「プロフェッショナル・カードマジック」の本を発行し、その中で間違いを指摘していました。ヒューガードよりこの方法の本への掲載依頼があり、完成した本を見ると、自分の方法ではなかったことが報告されています。最近ではGeniiのホームページで、この本に関してのMagic Pediaには、本に作品掲載されているマジシャン名からクリフ・グリーンの名前がなくなり、天海の名前が加わっていました。
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バーノンの名前をクレジットすべきであるのに、何の記載もないものが多数あるようです。私が探した中でハッキリしているのが3カ所ありました。3カ所とも "Birds of A Feather" の章の作品にありました。一つはチャーリー・ミラーの "The Nomad Aces" です。これは1932年のバーノンの20ドルの作品集「テンカード・プロブレム」の中で「バーノン・フォーエーセス」として発表されたものが元になっています。二つ目が作者名のない "Migratory Aces" です。デックの中へバラバラに入れた4枚のエースが、各ポケットより1枚ずつ取り出されます。つまり、「スター・オブ・マジック」に発表されたバーノンの「トラベラーズ」と同じ現象です。バーノンはマルティプルシフトを使っていますが、こちらではグレーターマジックの本に解説されたカーディーニの方法を使っています。バーノンがエキスパートの本を元にして「トラベラーズ」を発表したと、間違った解釈をしてしまいそうです。三つ目が "Cops and Robbers の中心となる技法が、1932年のバーノンの20ドルの作品集にあるバーノンのアディションが使われています。これもバーノンの名前の記載がありませんでした。
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"TowーSixーFour" と "Dai Vernon's Mental Force" の2作品のみバーノンの名前が書かれています。その中でも、前者は特に問題を感じます。これはケース・バイ・ケースのマジックです。15通りの方法を解説する必要があります。ところが、この本では三つのケースしか解説されていません。それだけでなく、不思議さの点でも弱くなっています。この作品に対する扱いがひどかったためか、翌年(1941年)に発行されたバーノンの小冊子「セレクト・シークレット」に、バーノンの本来の方法が別のタイトルで解説されていました。15通りのケース・バイ・ケースの全てと、そのためのルールが簡潔に解説されています。現象は15枚を表向きにスプレッドして、好きなカードを1枚思ってもらうのですが、トップからの枚数も覚えてもらいます。15枚をデックに戻しシャフルした後、二つの山に分割します。何枚目を覚えたかを言ってもらうのですが、あるケースの場合、一方のパケットのトップカードを表向けると4で、そのパケットのボトムを示すと6が示されます。6から4をマイナスすると2です。他方のパケットのトップを表向けると2が現れます。そして、このパケットの2枚目より客のカードが出現します。2と6と4の3枚は全てのケースで登場します。エキスパートの本では全くセットなしで楽に行えるようにしたために、最初に2と6と4のカードを1枚ずつ表向きに取り出し、特定のセリフを言っています。その後、その両サイドに6枚ずつ表向きに並べています。これでは2と6と4を見た印象が強くなり、後でこの3枚が現れても不思議さやインパクトが弱くなります。本来のバーノンの方法では、15枚を表向きに並べる時に中央へ6と2と4をもってきているだけです。なお、2と6の位置が入れ替わっていました。
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今回は本全体のことが中心となり、各内容については私の興味がある部分しか報告できませんでした。まだまだ取り上げるべき項目が多数あります。例えばトップパーム一つにしても、アードネスの本と今回のブラウエの方法、そして、バーノンの方法との関連性や違いは面白いテーマとなります。このことを調べますと、あらためてバーノンのすごさが分かります。ヒューガードとブラウエにはいろいろ問題があります。しかし、二人のおかげで、1920年代後半から1930年代にかけてのカードマジックの奥深い部分の一端が明らかになったのも事実です。その中心的人物がバーノンであるといえます。その点が、膨大な情報量のグレーターマジックの本とは違った魅力をもっています。そして、「エキスパート・カード・テクニック」の面白さです。今回の調査により、バーノンだけでなくチャーリー・ミラーとブラウエのすばらしさがよく分かりました。ヒューガードに対しては、少し辛口の記載となりました。しかし、彼のマジックに対する情熱と残した功績がすばらしく、1943年から65年まで発行された「ヒューガード・マジックマンスリー」誌も高く評価されています。そして、まだ購入していなかった彼の数冊の小冊子も全て手に入れたくなったことを書き加えておきます。また、機会があればパート2としてまとめたいと思います。 |