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コラム



第54回 フライングクイーン(ホーミングカード)の謎と変化(2012.5.11up)

はじめに

「フライングクイーン」は石田天海氏のカードマジックの代表作です。かなり以前に、フレッド・カップスが演じている映像を見たことがあります。あまりのすばらしさに、見終わった後、呆然としてしまいました。完璧な技術と演技力、そして、コミカルであるのに気品を感じさせる演技です。現在では、You Tubeの発達により、検索すれば、簡単にこの映像が見れる時代となりました。是非、この映像は見て下さい。

日本では、このマジックの原案者が石田天海氏であると思われていました。私もその一人です。ところが、いつの頃からか、海外では「ホーミングカード」の名前で知られており、Frederick Braue が原案者としてクレジットされていることが分かってきました。( Braue は特別な発音があるようですが、ここでは、ブラウエと表記することにします) 何年か前に、その点をはっきりさせるために、少し調査したことがあります。それに対して、今回、徹底的に調べ直した結果、新たな多数の事実が判明し、前回とは大幅に違った結論となりました。

ところで、ブラウエが発表した「ホーミングカード」とフレッド・カップスが演じていた方法と同じものでしょうか。さらに、石田天海氏の方法と、どのような点で違いがあるのでしょうか。石田天海氏の場合、最初の方法から次々に改良されて、方法が変化しています。どのような点を変化させていたのでしょうか。日本や海外でも、改案が次々に発表されています。それは、どのような点を改良しているのでしょうか。私がこれまでにもっていた「フライングクイーン」の疑問の全てを、今回、徹底的に調べました。それらをこれから報告しますが、その前に、最近発行された日本語訳の本で、今回のテーマとも関連性があるだけでなく、読み終えて大きな感銘を受けましたので、その本のことから報告を始めることにします。

日本語訳版「アスカニオのマジック」の本の面白さ

2011年11月に、アスカニオの本の日本語版が、田代茂氏の翻訳により発行されました。350ページもある本ですが、読み始めると夢中になり、あっという間に読み終えてしまいました。この本は、2005年から2008年までに、英語版で4巻発行されたアスカニオの本の1巻目です。この1巻だけは理論編で、マジックの作品解説がありません。そのために、私は2巻目以降の英語版の3冊は購入していましたが、1巻目は持っていませんでした。かなりのボリュームがあるだけでなく、アスカニオの理論は堅苦しいイメージがあったために購入しませんでした。しかし、日本語版が発行されるのであれば、是非、読みたいと楽しみにしていました。

職業が法律家で、理屈っぽい堅さが感じられます。しかし、マジックを芸術に高めようとする情熱と、マジック界のレベルを高めようとする思いが強く伝わってきます。一気に読み終えたのは、読みやすい日本語訳のすばらしさが大きかったと思います。そして、タマリッツとの対談が、本の3分の1を占めており、予想外に面白く読めたことも理由の一つです。しかし、私にとっては、もっと重要な要素がありました。アスカニオがフレッド・カップスと深い関係を持っていたことが分かったからです。二人の間には、何らかの関係があることは知っていましたが、フレッド・カップスを師と仰ぎ、深い交流関係にあることを初めて知りました。1953年にカップスの演技を見て圧倒され、彼に影のように付きまとい、テクニックや考え方を吸収して、新たな段階へ進むきっかけとなったことを報告していました。1959年のセビリアの大会(スペインの全国大会)でグランプリを受賞し、1970年のFISMアムステルダム大会のカード部門で優勝したのも、アスカニオ自身の努力もありますが、フレッド・カップスの影響が根底にあったものと考えられます。フレッド・カップス関連の本が少ない中で、タイプは違いますが、カップスが影響を与えたアスカニオの考え方に興味がわいたために夢中で読み終えてしまったわけでした。

フレッド・カップスの代表的なカードマジックの一つが、今回のテーマとなる「フライングクイーン」の現象です。彼の方法の全てをアスカニオに伝授しているのに、アスカニオはそれを演じたり、手を加えることがありませんでした。そうであるにも関わらず、石田天海氏の「フライングクイーン」を改良して、1970年のFISMの演技に取り入れて優勝しています。何故そのようにしたのかは、この本の中で、その理由や考え方を報告していました。そして、このテーマは一生改良し続ける作品として、70年度版だけでなく、81年度版、85年度版、95年度版(最終版)も発表していることが分かりました。その4作品については、第3巻の冒頭で、「レストレスレディー」のタイトルで40ページ以上をかけて解説されています。

フライングクイーンについて

クイーン1枚と数のカード4枚(実際は5枚)を使い、テーブルへ置いたはずのクイーンが、手元のカードの1枚と入れ替わっています。これが繰り返され、全てが数のカードとなって終わったり、クイーンが胸ポケットより取り出されるクライマックスもあります。ブラウエの「ホーミングカード」やフレッド・カップスの方法では、クイーン以外のカードが使われており、クライマックスも最後の1枚がその特別なカードに変化させて終わっています。

1948年にブラウエが「ホーミングカード」のタイトルで最初に発表しています。ヒューガード&ブラウエ共著 "Show Stoppers With Cards" の中で解説されています。石田天海氏の方法は、1953年発行のロバート・パリッシュ著 "Six Tricks by Tenkai" に「カードフライト」として解説されています。1958年に天海が帰国し、「フライングクイーン」として各所で実演されていますが、次々と改良を加えられていたために、見るたびに方法が変化している印象があったようです。最近では You Tube により、フレッド・カップスだけでなく、ラリー・ジェニングス、Trover Lewis、Joshua Jay の映像も見ることが出来ます。なお、1947年発行の「スター・オブ・マジック」には、フランシス・カーライルの「ホーミングカード」が解説されています。しかし、これは、ポケットへの飛行現象のマジックで、今回のテーマとは別のマジックとなります。

フライングクイーンの原案者は誰か パート1

まず、結果から報告しますと、ハッキリとした結論が出せない状況です。最初の発表者がフレデリック・ブラウエですので、彼の名前がクレジットされている場合が多いようです。しかし、ブラウエの方法は、天海の方法が元になっていると記載しているものもあります。まだまだ、不明な点が多いようです。

このことは、以前に私が調査した時の結論に比べますと、かなりの違いがあると言えます。前回の調査では、1948年に発表されたブラウエの「ホーミングカード」を原案と結論づけてしまいました。この本には、グライドを使った特殊なカウント「ファン・フォールスカウント」が、ブラウエの技法として解説されています。その後で、ブラウエの「ホーミングカード」の解説となっていました。1953年発行の "Six Tricks by Tenkai" の中の「カードフライト」でも、このカウントを使った作品となっています。そのことにより、ブラウエを原案者と結論づけてしまいました。1971年に天海賞委員会から発行された "The Thoughts of Tenkai" の「フライングクイーン」では、1949年に石田天海氏が、戦後初めて帰国された時に、東京アマチュアマジシャンズクラブで「フライングクイーン」を演じたことが紹介されています。私の考えでは、その当時の最新のマジックとなる「ホーミングカード」を天海風に改案して、帰国時のおみやげマジックとして演じられたものと思っていました。

なお、"The Thoughts of Tenkai" の本では、"Six Tricks by Tenkai" の発行が、ブラウエの発表より前の太平洋戦争中となっており、間違った記載になっていました。"Six Tricks" の本が、発行年の記載がないために生じた間違いと思われます。いろいろ調べた結果、正しくは1953年の発行であることが分かりました。それに対して、天海のカードマニピュレーションの本は、ハワイのビル村田著により、戦時中にも関わらず発行されていたようですので、それと混同されていた可能性があります。ただし、"Six Tricks" の本の場合は、各作品が、いつ頃考案されたものであるのかの記載がないだけでなく、著者のロバート・パリッシュにいつ頃見せたものであるのかも分かっていません。

原案者は誰か パート2 今回の徹底調査の結果

徹底的に調べた中で意外な発見がありました。「ホーミングカード」の方法の解説ではなく、そのマジックや用語を説明している2冊の百科事典が、いずれも同じような記載をしていたことです。1988年発行のT.A.Waters著 "The Encyclopedia of Magic and Magicians" と 1989年発行の Bart Whaley著 "Encyclopedic Dictionary of Magic"(第3版は2007年に電子図書版が発行)です。最初の発表はヒューガードとブラウエの本であることを紹介した後に、石田天海の方法が元になっていると説明されていました。この2冊は代表的なマジック百科事典ですので、大きな影響力があります。また、2005年発行の Paul Hallas著 "Small But Deadly" の本の "Tricks You Can Count On" の中では、天海のホーミングカードと書かれていました。そして、現象が説明されて後、最初に印刷されて現れたのは、ヒューガードとブラウエの本であるとなっていました。そこで、何を根拠に、このような記載となったのかを調べました。その結果、これら以前の文献で同じような記載をしていたのは、マルローの解説だけであることが分かりました。1963年の New Tops誌に解説されたマルローの「ホーミングカード」です。「このタイプのエフェクトの最初の発表はヒューガードとブラウエの本で、クレジットはブラウエになっていますが、オリジナル・エフェクトは天海のものであると思われます。」と説明されていました。しかし、マルローは何を根拠にして、そのように記載したのかは不明です。その理由については、全く触れていませんでした。

最初に発表したヒューガードとブラウエの本の奇妙さ

「ホーミングカード」のタイトルで最初に発表した "Show Stoppers With Cards" の本を、もう一度調べ直しますと、奇妙な点のあることに気がつきました。「ホーミングカード」の考案者名が(Braue)となっていたことです。また、この中で繰り返し使用される「ファン・フォールスカウント」の技法が単独で解説されていますが、その考案者も(Braue)となっていました。他の作品の場合は、Fred Braue と書かれており、もちろん、( )もありません。また、この本の冒頭で解説されている彼のダブルリフトの場合は、「ザ・ブラウエ・ダブルリフト」のタイトルとなっていました。そして、原案者名がはっきりしている作品のブラウエの改案の場合には、タイトルの下に(Braue Handling)と書かれています。なお、ブラウエ以外の人物による作品は、フルネームで書かれていました。それでは、なぜ、上記の二つの場合だけ(Braue)としたのでしょうか。その違いがよく分かりませんが、考案者をブラウエに確定するのには問題がある印象をうけてしまいます。

ヒューガードとブラウエとの関係は、編集作業担当の東海岸のヒューガードへ、西海岸のブラウエが原稿を郵送していただけの間柄のようです。二人による最初の共著は、1940年発行の「エキスパート・カード・テクニック」です。この本も、送られてきたブラウエの原稿が大きなウエイトを占めています。チャーリー・ミラーから見せてもらった多数の技法や作品を、ブラウエ自身が推理解釈して原稿にして、ヒューガードへ送ったものです。チャーリー・ミラーが見せたものの中には、チャーリー・ミラー自身のものだけでなく、バーノンのものや、それを改案したものが含まれています。勝手に発表され、しかも、考案者名もなく発表されていたものも多く、バーノンもチャーリー・ミラーも驚いたようです。バーノンもヒューガードにかなり抗議しています。これらのことに関連した一例として、「エキスパート・カード・テクニック」には、天海氏の作品に関する大きな間違いがありました。天海の「木の葉カード」(インターロックド・カードプロダクション)が解説されていますが、作者名がこの現象の原案者のクリフ・グリーンとなっています。二人の方法は全く違うのですが、ヒューガードはグリーンから許可をもらい、掲載したのはブラウエの原稿にあった天海氏の方法であったわけです。このことは、1961年発行のクリフ・グリーン著 "Professional Card Magic" の中で報告されています。このマジックに関しては、ブラウエの原稿にタイトルの記載はあっても、作者名がなかったのではないかと思っています。

ヒューガードは多数の著書により、多数のマジックを公開された多大な功績があります。しかし、その反面、間違いや各種の混乱も残しています。また、ブラウエの原稿は、見たものを推理して方法を解説していたために、原案のとおりでなかったり、本当の考案者名の記載が抜けているものが多かったようです。二人とも、いろいろと問題があります。しかし、二人のおかげで、秘密を守っていたバーノンやチャーリー・ミラーの当時の最先端の一端を知る手がかりとなりました。皮肉にも、ブラウエを研究することが、当時のバーノンやチャーリー・ミラーの研究にもなるわけです。結局、ブラウエの名前で発表されているものでも、どこまでそれが信頼できるのかといった問題があります。原案が発表されていないだけであり、それを少し改案しただけのものである可能性もあるわけです。そもそも、このマジック考案の元となると言われています「シックスカード・リピート」と今回の「ホーミングカード」とでは、現象や方法でかなりの違いがあります。それをブラウエがここまでの作品に仕上げる力量があったのかといった疑問があります。

シックスカード・リピートに使用されたカウントとの違い

「ホーミングカード」の元になるのは、1936年に発表されたトミー・タッカーの「シックスカード・リピート」と言われています。現象は全く違いますが、共通点は、グライドを使ったカウントにより、現象が繰り返し起こることです。このカウントも、両者の間では大きな違いがあります。「シックスカード・リピート」では、左手のグライドポジションにあるパケットのトップ側から右手に次々とカードを取り、右手カードの上へ重ねています。もちろん、5枚目を取る時はグライドにより、数枚の束を右手のカードの上に取っています。つまり、左手側の上から取って、右手側の上へ重ねているわけです。

これに対して、ファン・フォールスカウントの場合は、左手パケットのボトム側から取って、右手のカードの下へ重ねています。しかも、少し左側へ広げて重ねることにより、ファン状にしています。このようにすることにより、カードの枚数がハッキリ分かるだけでなく、ファンを表向ければ、特定のカードの存在が分かる利点があります。その反面、「シックスカード・リピート」のように多数のカードを使用する場合には、5枚目に取るカードの厚みがばれる恐れがあります。いずれにしても、グライドを使ったファン・フォールスカウントは、その後はほとんど使われなくなります。

ブラウエとフレッド・カップスの方法との違い

このマジックの知名度を高めたのは、やはり、フレッド・カップスです。1964年2月のエド・サリヴァンショーのTVに出演され、このマジックを演じられました。白黒画像の時代ですが、その映像だけでなく、その後、カラー放送の時代にも別の番組で演じられています。その両者の映像をYou Tubeで見ることが出来ます。

フレッド・カップスはブラウエの方法を完璧な技術と演技で実演されているものと思っていました。今回、両者をよく比べますと、基本的な点は同じですが、いくつかの点で違いがあることが分かりました。ブラウエは赤い9のカードと5枚の黒い数のカードを使っていますが、カップスは黒いキングと5枚の赤い数のカードを使っています。また、ブラウエはデックから必要なカードを取りつつ全体で5枚にカウントしていますが、カップスは5枚のパケットとして示す状態から開始しています。グライドを使ったファン・フォールスカウントは、エンド側からカードを引き出していますが、カップスはサイド側から引き出している違いもあります。しかし、それらよりも、もっと大きな違いが演出です。ブラウエはおじさんから見せてもらったマジックとして、捨てたはずの赤い9が手元のカードと入れ替わることが繰り返される演出です。カップスの場合は、黒いキングが、毎回、邪魔をして、マジックが出来なくなると言った演出です。5枚の赤いカードを使ったマジックを行うと言って、5枚をカウントしてみせますが、何故か黒いキングが1枚混ざっています。このことをカップスは気づかないふりをして、観客の反応でおかしいと感付く演技をしています。つまり、演技力が重要な要素となります。これを繰り返して、最後の1枚のカードも黒いキングにカラーチェンジして、赤いカードを使ったマジックが出来なくなるので、このカードを投げ捨てて終わっています。ところで、カップスは1950年、55年、61年の3回にわたりFISM大会のグランプリを受賞していますが、この「ホーミングカード」の演技を、いつ頃から行っていたのかが気になっています。

ブラウエと天海氏の方法との違い

ここでは天海氏が海外で発表された1953年の "Six Tricks by Tenkai" に解説された「カードフライト」と比べることにします。この方法では、デックを使用せずにパケットの状態で開始し、1枚の特別なカードはクイーンを使っています。大きな違いは、ブラウエもカップスもパーラーマジックとして演じていますが、天海氏はテーブルを使ってクロースアップマジックとしている点です。さらに、彼らはファン・フォールスカウントを7回も使っていますが、天海氏は最初の部分の2回だけです。そして、最初のカウントを終わった段階で、1枚の数のカードとクイーンをテーブルへ出しています。残りは3枚として示すだけですので、繰り返しが減ってスマートになった印象があります。

このマジックに使用された天海氏の特徴的な技法が天海ターンオーバーです。左手に持ったパケットを、片手でひっくり返しながらスプレッドしています。この技法の役割は、スプレッドの一番下の2枚のカードが重なった状態で保てることです。少し難しく感じられるためか、日本での天海氏以外の改案では、この技法を使わないでも出来るように工夫されています。天海氏のクライマックスでは、クイーンが消失して、5枚とも数のカードになってしまいます。また、別のクライマックスでは、左手のパケットを右手に取ってテーブルへ広げつつ、左手はボトムパームにより、上着の内ポケットからクイーンを取り出しています。今回、この解説をじっくり読んで意外であったのは、クライマックスのために天海パームが使われていなかった点です。また、クライマックスとして、上着の外胸ポケットからクイーンを取り出すことも記載されていませんでした。

その後の石田天海氏の改案の特徴

1953年の "Six Tricks by Tenkai" の後、天海氏の改案が文章化されて発表されたのは2冊の本だけです。いずれもフロタマサトシ氏の記録から原稿化されたもので、1958年と1960年頃の天海氏の改案です。1971年の "The Thoughts of Tenkai" と1996年の「天海 I.G.P.Magic シリーズ Vol.1」の2冊の本に3作品が解説されています。英語解説の「カードフライト」では、2回のファン・フォールスカウントが使われていましたが、その後の改案では、それがなくなっています。巧妙なブレークによるトリプルリフトやダブルリフトが中心となります。また、クライマックスでクイーンが消失して終わっている点は変わりませんが、「カードフライト」の方法のように、バックルカウントだけのシンプルさで終わっていません。天海パームによりクイーンをラッピングして完全に消失させたり、ツバを使ってクイーンをくっつけて終わっています。クライマックスで外胸ポケットからクイーンを取り出す方法は、1960年以降と思われますが、天海氏本人の方法として正式に解説されたものがありません。なお、天海ターンオーバーの技法は、上記2冊の本の改案にも継続して取り入れられていました。

日本の研究家による改案

厚川昌男氏、気賀康夫氏、松浦天海氏、松田道弘氏が改案を発表されています。それぞれの共通点は、グライドを使ったファン・フォールスカウントや天海ターンオーバースプレッドも使われていないことです。出来るだけシンプルで楽に行えるように改案されています。特に驚いたのが気賀康夫氏の方法です。ダブルリフトを含めた専門的な技法をほとんど排除されています。バックルカウントさえ出来れば可能なように組み立てられていました。マジックの初心者でも行えるようになっています。しかし、演技力は十分に発揮する必要があります。また、気賀氏や松浦氏のクライマックスでは、消失したはずのクイーンを外胸ポケットから取り出して終わっています。

海外でのその後の改案

1948年にブラウエが発表した後、最初の改案者は1952年のビル・サイモンです。1950年頃のエド・マルローとの会話の中で、グライドのカウントを使わない方法が検討されました。サイモンの方法では、4枚の2とスペードのエースで始められ、クライマックスでテーブルの4枚を取り上げると全てがエースで、手元には1枚の2が残ります。マルローも1952年には改案を考案して記録していますが、その発表はかなり後になってからです。また、マルローはその改案以外に、1960年に「カムバックカード」のタイトルで作品を発表し、63年にも別の改案を報告しています。グライドを使うファン・フォールスカウントをそのまま取り入れているのが、1957年発表のブラザー・ジョン・ハーマンです。泥棒のストーリーが加えられ、クライマックスでは銀行としてのサイフより泥棒のカードが取り出されます。その後の改案では、グライドの使用もストーリーもなくなっています。1968年の Bob Ostin と73年の William Zavis の改案では、バックの色が1枚だけ違うカードを使った現象です。

その後、レギュラーカードを使った作品として、ラリー・ジェニングス、マイク・ロジャー、アスカニオ、Guy Hollingworth が文献上に登場します。しかし、別の人物の作品では、特別なカードやセミジャンボカードを使ったものが多くなります。また、単一商品として販売されたり、 DVDの中だけで解説される作品も多くなります。各作品の内容を紹介しますと長くなりますので、後の文献一覧を参考にして下さい。ただし、これらの中で、私の好きな2作品だけ紹介させて頂きます。予想外の結末で頭の良さを感じたのが、フィル・ゴールドステインの "Lassie" です。Ton・おのさか和訳「パケット・トリック」の本では「恋人」として解説されています。クライマックスでは、使用された4枚全てがブランクカードになる驚きの結末となります。レギュラーカードを使った正統派の改案で、思わずうなってしまったのがビル・マローンのDVDです。"Malone Meets Marlo" Vol.1 の「ホーミングカード」です。初めて映像を見た時に、最初のスイッチと最後の1枚のカラーチェンジの場面では、思わず「えっ!」と、うなってしまいました。もちろん、直ぐに映像を見直しました。どちらもシンプルで難しいことをしていないのに、うならされた点に頭の良さと気持ちよさを感じてしまいました。

原案者は誰か パート3 天海メモの調査から

大阪の中之島図書館には、天海メモ16巻がコピーされ所蔵されています。借り出しは出来ませんが、館内での閲覧が可能です。昔のB4のコピー用紙で、1巻だけでもかなりの厚みと重さがあります。1枚ずつめくって、全体の記載内容をチェックするだけで、1冊に1時間を要します。今回、職場からの帰宅途中に図書館に立ち寄り、平日の6時から閉館の8時まで2冊ずつ内容をチェックしました。天海氏の手書きで、漢字や仮名づかいが戦前の記載方法のため、読みにくくなっています。それだけでなく、マジシャン名やマジック用語は耳で聞いたカタカナ表記になっています。例えば、タップはトップ、ボーナンはバーノンのことです。数ページにわたる1作品の内容を理解しながら読もうとしますと、それだけでかなりの時間を要します。そのような解説は、16巻全てのチェックを終了した後で時間をかけて読みました。ハッキリとした目的を持って閲覧しないと、数ページをめくっているだけで睡魔が訪れます。天海メモ全体が年代順になっていないだけでなく、何年に記載されたものか分からないメモが多数あります。項目別や年代別になっている部分もありますが、不明な点が多いのが残念です。天海氏が考案されたもののほとんどが、天海オリジナルや天海創作、または、天海改作と書かれています。バーノンやマルローなどのように作者名がハッキリしている場合は、そのことを記載されていますが、何も書かれていないものも多数あります。

今回のフライングクイーンに関しては、3冊に関連した数作品が解説されていました。中之島図書館のコピーでは、3巻、9巻、13巻です。13巻では、ブラウエの「ホーミングカード」とほぼ同じ内容の解説を見つけました。作者名も特別なタイトルもなく、天海氏の創作とも書かれていません。何年にメモされたものであるのかも分かりません。解説の半分程書き進んだところで中断して、多忙故に後で記すと書かれています。これにはキングが使われていますが、隣のページでは、ダイヤのエースを使ったよく似た内容の作品が解説されていました。そこから40ページほど後には、上記のページの作品の天海創作として、"Six Tricks by Tenkai" に解説された方法とほぼ同じ記載がありました。ただし、クイーンではなく、絵のカードと書かれているだけでした。また、天海氏は左利きですが、左利きとしての解説とイラストになっていました。9巻には、1949年天海創作の作品が解説されていました。毎回、絵カードを上着のポケットへ入れて、残りのパケットは数のカードだけであることを示しています。その後、絵カードがパケットへ戻り、ポケットからカードを取り出してテーブルへ置いています。これを繰り返し、最後の1枚の数のカードを示した後、絵のカードにチェンジして終わっています。天海ターンオーバーが最初の入れ替わり時だけ使われていますが、絵カードの部分で分割してステップを作っているだけです。この後で両手を使ってスプレッドしています。この頃は、片手だけでターンオーバーしつつスプレッドする方法が完成していなかったのでしょうか。なお、これ以降の作品では、毎回のポケットの使用を省略されています。3巻では、シカゴでバーノンに改案を見せられ、天海もさらに改案を考えたと書かれています。これは、1954年春にシカゴでバーノンがレクチャーされた時に会われたのだと思います。このバーノン自身の改案は、いずれの本からも見つけることが出来ませんでした。9巻では「Qは戻る」のタイトルが使われたり、この3巻では、「Qの変転」や「Qはイズコ」のタイトルも使われています。また、「Qの変転」は1950年に完成したとも記載されていました。そして、1957年の改案解説では、7~8回改作を繰り返しているが、さらに改作の必要が生じたと書かれていました。この頃では、見やすくするために簡易な細長いスタンドや底の浅い箱が使われています。また、ワックスを使ったりダブルフェイスを使ったりして、様々な試みがされていたようです。1960年代では、よく似た現象でキングを使う作品も考案されています。1963年のTVでは、数のカード6枚と1枚のキングが使われ、7枚全てがキングになる現象を演じたことを報告されていました。

現段階での私の考え

以上のことから、天海氏の「フライングクイーン」は、ブラウエの「ホーミングカード」の後で創案された可能性が高いと考えられます。それでは、ブラウエが「シックス・カード・リピート」からダイレクトに「ホーミングカード」を考案したのかといえば、そのことにも疑問を残したままです。二つの作品の間に位置する誰かの別の作品があり、それを改案した可能性もあるからです。そこに天海氏の作品が関わっている可能性も捨てきれません。1985年にバズビーにより「ブラウエ・ノートブック」が数冊発行されました。その5冊目には、1936年にブラウエが天海氏のカード・アディションを見て、その改案を報告しています。また、2冊目では、天海氏の友人でもある Charlie Miller や Charlie Kohrs から見せられた天海氏のマジックとして、3作品が報告されています。これらは1937年から39年の間のことです。天海氏は1941年11月にハワイへ出発し、その巡業中に太平洋戦争が始まり、1949年4月までハワイから出ることが出来ませんでした。その間は、ブラウエへ直接影響を与えることは不可能です。その反対に、1948年から49年の初めにかけて、天海メモにはハワイのマニアとの交流がよく行われていたことが記載されており、ブラウエの「ホーミングカード」の情報を得ていた可能性が高いと思っています。この本は、1948年5月には既に発行されていました。 今回の調査の目的の一つとして、特定のカードが繰り返してパケットへ戻ってくる現象は、誰が最初かを調べることでした。これは「ホーミングカード」や「フライングクイーン」の現象以外の作品も含めてのことです。ブラウエの「ホーミングカード」以前に、そのような作品があったのかを調べましたが、特に見つけることが出来ませんでした。現段階ではブラウエの発表が最も古いのですが、まだまだ不明な点が多く、謎が残ったままです。今後も調査を続けてゆくつもりです。

おわりに

「フライングクイーン」は、以前から調査してまとめたかったテーマの作品です。今年に入って、石田天海氏の作品を研究されています小川勝繁氏より、いくつかの「フライングクイーン」を見せて頂きました。そのすばらしさに感動して、直ぐにも調査したかったのですが、前回のテーマに時間が取られて少し遅くなってしまいました。その時に指摘して頂いて参考になったことがあります。天海氏は左利きで、インデックスを見やすくするために、一般に知られている方法と扱いが違うことです。天海メモを読むにあたって、解説やイラストが左利きとして書かれているだけでなく、少し変わった扱い方をされている理由が分かり、混乱することが防げました。ここで改めてお礼申し上げます。

今回の調査により、このテーマのまとめが出来ただけでなく、以前からしたかった天海メモ16巻の内容チェックが出来たことも大きな成果です。また、天海氏のアメリカでの年代別の所在地と交流マジシャンについてもまとめることが出来ました。バーノン、ターベル、コスキー、ジョー・バーグとの交流は分かっていましたが、マルローについても知ることが出来たのが大きな成果です。1953年のシカゴで何度か交流していることが分かりました。さらに、今回の調査で、いろいろと新たな情報と刺激を受けることが出来ました。それらのことは、今後のこのコラムに生かしてゆきたいと思っています。

参考文献一覧
1936 Tommy Tucker The Six Card Repeat
       Eastman著 Expert Manipulative Magic
1948( Braue ) The Homing Card Show Stoppers with Cards
      ( Braue )Fan False Count
1952 Bill Simon Four Deuces And The Ace of Spades
       Effective Card Magic
1953 石田天海 Card Flight Robert Parrish著 Six Tricks by Tenkai
     1957 高木重朗編集「奇術研究講習テキスト第8講」に和訳
     1974 Gerard Kosky編集 "The Magic of Tenkai" に再録
     1994 松田道弘著「ミラクル・トランプ・マジック」に同様な方法
1958 Bro. John Hamman S.M. The Elusive Burglar
       Paul LePaul著 The Card Magic of Bro. John Hamman S.M.
     1985 日本語訳版「ジョン・ハーマンのカード・マジック」金沢文庫
     1964 松田秀次郎「世界の110番」として奇術研究35号に
1960 Ed Marlo Come Back Card Genii 9月号 Vol.25 No.1
       Impromptu Version Double Face Version
     1965 力書房(奇術研究の発売元)より Double Face Versionの商品
     1967 奇術界報に Impromptu Version が日本語訳にて
1963 Ed Marlo Homing Card New Tops 11月号 1956年5月考案
     1988 M.I.N.T. Vol.1 に再録
          1952年考案の Original Homing Card Routine も収録
1968 Bob Ostin The Backward Card Trick Fingertip Fantasies
1969 Larry Jennings Homing Card Expert Card Mysteries
     1986 The Classic Magic of Larry Jennings に再録
1970 松浦康長 天海のフライングクイーン まじっくすくーる 70号
1971 石田天海 フライングクイーン The Thoughts of Tenkai
       1960年頃の天海の方法
1973 William Zavis The Recurring Cards Divers Deceits
1975 Phil Goldstein Time Out 商品として
1976 Mike Rogers The Homing Cards ala Ascanio The Ascanio Spread
1979 Phil Goldstein Lassie Genii 誌1月号
     1989 石田天海賞委員会配本21としての彼の作品集に再録
     1990 Phil Goldstein著 Focus に再録
     2005 上記の 日本語訳版「パケット・マジック」に「恋人」として
1988 T.A.Waters The Encyclopedia of Magic And Magicians に原案紹介
1989 Bart Whaley Encyclopedic Dictionary of Magic に原案紹介
1989 Bro. John Hamman Homing Card
       Richard Kaufman著 The Secrets of Brother John Hamman
     2007 日本語訳版「ブラザー・ジョン・ハーマン・カードマジック」
1994 松田道弘 改案を松田道弘のクロースアップ・カードマジックに
1996 石田天海 天海のフライングカード 天海 I.G.P. Magicシリーズ Vol.1
       1958年の方法と1960年1月の方法
1999 Guy Hollingworth The Homing Card Drawing Room Deceptions
2001 泡坂妻夫 天海のフライングクイーン カードの島
     2006 「泡坂妻夫マジックの世界」に再録
2003 Trover Lewis Homing Card ジャンボカードの商品として
2005 気賀康夫 飛行カード ステップアップ・カードマジック
2005 Paul Hallas Tricks You Can Count Onに文献紹介 Small But Deadly
2005 Joshua Jay Overlap Homing Card
     2009 日本語訳版 "Sleight of Hand and a Twist of Fate" に再録
2006 松田道弘 新工夫を松田道弘のオリジナル・カードマジックに
2008 Ascanio The Restless Lady Etcheverry著 The Magic of Ascanio
       1970, 1981, 1985, 1995 Version
2009 Bill Malone The Homing Card DVD "Malone Meets Marlo" Vol.1
2010 Helder Guimaraes Homage DVD "Red Mirror"


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