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コラム

第23回 ダブル・リフトについて パート2 (2005.11.30up)

パーフェクトなダブル・プッシュ・オフ

2002年のダブル・リフトについてのコラムで、当時の考えを報告させて頂きました。その冒頭で、ジョシュア・ジェイが、このフレンチ・ドロップにおいて、レクチャー後に実演されたダブル・プッシュ・オフやマルティプル・プッシュ・オフについて触れました。事前にブレークをつくらないで、ダイレクトに左親指で押し出して行う方法です。続けて2枚ずつ、3枚ずつ、そして、それ以上の枚数でも、重ねた状態でテーブルに配っていました。しかも、親指はトップ・カードの上に置いたままで、普通にカードを右へ押し出す時と同じ状態で行われました。

この方法で行うための説明をされましたが、それは、以前に、私が練習していた方法と同じでした。私もこの方法が、もっとも自然に見えると思ったからです。それまでの方法では、親指を左サイドや外エンド、あるいは、左外コーナーにあてていました。しかし、親指をトップ・カードの上において行う方法はかなりむずかしく、練習段階でも失敗することが多い状態でした。結局、実践では使えるものではないと判断し、練習を中断していました。それを、ジョシュア・ジェイはスムーズに、そして、パーフェクトにこなしていました。しかも、それだけではなく、3枚でも4枚でも5枚でも6枚でも行ったので、驚くと同時に感激してしまいました。

しかし、その後になって思ったことですが、あれほどパーフェクトなのは、何かカードに細工されていたからではなかったのかと疑い始めました。この細工は簡単に出来ます。レクチャーが終了した後ですので、それ以上、嘘偽りのないレクチャーに徹する必要はないわけです。不可能に近いテクニックを、現象として見せるマジックとして、コツをレクチャーする演出で演じられていたのではないかと考えたわけです。

ところが、最近になって、RRMCの例会でダブル・リフトの話になり、メンバーの一人が、ジョシュア・ジェイが行っていたのと同じ方法のテクニックを実演されました。彼は2枚ずつでも、3枚ずつでも、スムーズに、そして、ほぼパーフェクトにテーブルへ配ってゆくのです。ジョシュア・ジェイの方法を見た後、かなり練習したようです。4枚ずつは、まだ完璧ではないと言いつつも、かなり可能な状態になっていました。指の感触がなれれば、5枚でも、6枚でも出来そうだと言われました。

ただし、最近のカードはすべりすぎますので、テーブルに置いた時にカードが少しずれることがあります。これは、テーブルに配らずに、本来のダブル・リフトのように、デック上にターンオーバーするのであれば問題ありません。特に2枚の場合は、目の前で見ていても、1枚のカードを普通に表返す操作と差がないといえます。

このダブル・プッシュオフが出来るようになっている人は彼だけではなく、彼が知っているだけでも数人おられるそうです。そういったわけで、私もこのテクニックの練習の再開を心にきめた今日この頃です。

ダブル・リフトの最初の頃の歴史

ダブル・リフトについては、調査すべきこと、まとめたいことが多数あります。今回は、歴史上の初期の段階でのことを中心に報告したいと思います。1910年頃までは、どのような使われ方をしていたのか。そして、1910年代から1920年代にかけて、現代的なダブル・リフトの誕生期と言われていますが、それはどういったことであるのか。さらに、ダブル・リフトの技法名で解説され始めた1930年代前半では、どのように解説されていたのかを報告したいと思います。

しかし、その報告に入ります前に、初期の歴史上において、間違って伝えられているのではないかと気になっている点がありますので、少し長くなりますが、その事から報告させて頂きたいと思います。

最初にこの操作が文献上に登場しますのは、1716年のリチャード・ニーブによる"The Merry Companion"の本といわれています。その方法についての詳細が書かれた文献や、ニーブの本の復刻版も発行されていませんので、実体が分かりません。その後、一世紀以上の長い間、この操作が文献上には登場しませんでした。私が問題としていますのは、その次に文献上に現れるのが、何年の誰の本となるのかということです。

2番目に文献上に現れるのは、フランスのPonsinの本か?

多くの文献には、それは、1853年のフランスのPonsinの本であると書かれています。しかし、私個人としては、いろいろ調査しました結果、この報 告は、間違っているのではないかと考えるにいたりました。

Ponsinの本であると書かれる元となった本は、1934年のJean Hugardの「カード・マニピュレーションズ No2」です。この本のダブル・リフトの解説の最後の部分に、その事が報告されています。その当時は、1716年のリチャード・ニーブが最初である事が分かっていなかった時代ですので、1853年のPonsinの本が最初と書かれていました。その後、ダブル・リフトが解説された文献には、時々、Ponsinの名前が登場するようになりました。しかし、それらの著者はPonsinの本を読んでおらず、Hugardの報告をそのまま受け入れて紹介されているだけのようです。

フォーエース・アセンブリーのコラムでも触れましたように、フランス語のPonsinの本の完全な英訳本は、今日まで発行されていません。しかし、その本のカード・マジックや技法のほとんどが、1876年のプロフェッサー・ホフマンによる「モダン・マジック」に英訳して解説されています。また、そこに英訳されなかった部分については、1937年(再版は1987年)のS.H.Sharpeの"Ponsin on Conjuring"に英訳されています。ところで、この両方の本を調べても、ダブル・リフトらしい操作の記載がなかったのです。また、Hugardによりますと、この操作は、アンビシャス・カードの現象に使用されていることにも触れられています。しかし、それに該当する作品も見当たりませんでした。私には、Hugardが大きな思い違いをしたとしか考えられません。

1934年のHugardの本でのこの部分の記載の概要は、次のとおりです。まず、Ponsinの本が最初であることを発見したと書かれています。そして、それを使用したトリックとして、2枚のカードが1枚として示され、デックのトップに戻されて、トップ・カードをデック中央へ入れると、トップへ戻ってくる現象の事が書かれています。著者は、それを「インビジブル・パス」と呼んでいるそうです。このアンビシャス現象のマジックが、間違いなくPonsinの本に解説されていたのであれば、それを見逃して、1876年の「モダン・マジック」にのせていないはずがないと考えられます。

アンビシャス・カードとダブル・リフト

英語の文献でアンビシャス・カードが最初に解説されたのは、1887年のホフマンの "Drawing-Room Conjuring"といわれています。これは、フランスのDelarueにより発行された本の英訳本ですが、フランスの原書の発行年は書かれていませんでした。しかし、最近発行の本とありましたので、1885年前後と考えられます。この英訳本では、すでに「アンビシャス・カード」と書かれています。トップへは4回移動しますが、最初の2回はパスによる方法で、残り2回は、トップ・チェンジによる方法が使用されています。ダブル・リフトは使われていませんでした。

アンビシャス・カードの現象にダブル・リフトが使われた作品として、David Devantの "The Magic Slap"があげられます。7と8のカードをうまく使った作品で、デックの中へ入れる直前にも表を示し、デックのトップをパシッとたたいた後、トップに戻ってきたことを見せています。1909年の "Tricks for Everyone"に解説されています。ただし、1回だけのアンビシャス現象です。

また、1914年のフランスのGaultierの本(1945年にHugardにより英訳版が発行)には、デック中央ではなく、トップから2枚目に入れたカードが、トップに戻ってくる現象として解説されています。3回繰り返されます。この中で、1回だけダブル・リフトが使用されています。これは、フランスのMoreau(1890年死亡)が演じていた方法で、今までに文献には発表されていないとのことです。このことから、ダブル・リフトがフランスにおいては、1800年代後半には使われていたことが想像出来ます。

ドイツ語の文献でのダブル・リフト

Reinhard Mullerの "Escorial 1993"には、ドイツ語の20世紀以前のマジック書とホフジンサーのマジックについてがまとめられています。それによりますと、1839年にPoppeによる6巻からなる本が発行されており、その中に、2枚を1枚として見せる事を使ったマジックについて触れられています。概略説明によりますと、その操作の部分は、客のカードの表を別のカードでカバーして、デックより取り出すとなっています。つまり、デックのトップからのダブル・リフトではないのかもしれません。

同時期、または19世紀中頃、ダブル・リフトを使用していた可能性の高いマジシャンが登場します。オーストリアのホフジンサー(1807年〜1875年)です。1910年にはOttokar Fischerによるホフジンサーの本がドイツ語で発行されています。これを英訳・再編集して、1931年に「ホフジンサー・カード・カンジャリング」として S.H.Sharpeが発行されています。この中の "Remember and Forget"のマジックの第一の方法で、ダブル・リフトの操作が行われた記載がされていました。まず、客から受け取った2枚のカードと、デックのトップ・カード1枚とを、トップ・チェンジしています。この時に、デック上へ移動した2枚の客のカードの下へブレークを保ち、後でダブル・リフトして取り上げています

1910年までの英語の文献でのダブル・リフト

1716年のリチャード・ニーブの後、英語の本で、次にダブル・リフトの操作の記載が登場するのは、1897年のRoterbergの「ニュー・エラ・カード・トリックス」です。このことは、現段階では、まず間違いなさそうです。この中に二つの使い方が解説されています。どちらも、ダブル・リフトとしてのテクニックの解説ではありません。取り上げた2枚を使って、表を示したカードをチェンジするための方法の解説となっています。

一つの方法が、Adrian Plateによる "The Excelsior Change"です。デックのトップから右手で取り上げたカードの表を示した後、左手に渡しますが、このカードが別のカードに変わってしまいます。表を示したカードは、右手にパームしてしまう方法です。興味深い事は、1902年に発行されましたアードネスの「エキスパート・アット・ザ・カード・テーブル」に、この方法が「パーム・チェンジ」のタイトルでのせられましたが、作者名の記載がありませんでした。その後、アードネスの本だけが何回か再版されるようになり、このテクニック名がマジシャンの間で、「アードネスのパーム・チェンジ」として、誤った伝わり方をしてしまいました。この間違いが訂正されて書かれだしたのは、1990年代に入ってからです。なお、アードネスの本では、最初の、デックからのダブル・リフトの部分の記載が削除されており、右手に2枚重ねで持って表を示すところより、説明が始められています。

Roterbergの本で、もう一方の方法は、今日では「プッシュ・イン・チェンジ」と呼ばれている方法です。これが初めて解説された文献ともいえます。この本では「ミステリアス・チェンジ」のタイトルで解説されています。2枚を取り上げて表を示し、デックの外エンドより差し込み、突き出した状態で残した後、取り出すと違ったカードになっているものです。

この次にダブル・リフトが取り入れられた文献は、1909年のネルソン・ダウンズの「アート・オブ・マジック」です。「ジェネラル・カード」のマジックの中で、「ダウンズ・チェンジ」と呼ばれる技法の最初の部分に使用されています。デックを表向きにして、上部の2枚を取り上げて、右サイドへ半分程ずらす時に用いられました。その後、デック全体を裏向けて、ずらしたカードをテーブルへ置きつつチェンジしてしまうのが「ダウンズ・チェンジ」です。

このマジックの中には、別な部分で、もっともシンプルなダブル・リフトによるチェンジが使用されています。2枚の両エンドを持って取り上げ、表を示して、デック上へ戻し、トップ・カードをテーブルへ配る方法です。この方法は、前に書きました1909年のDevantのマジックにも使用された方法です。そして、1914年のフランスの Gaultierの本によりますと、L' HommeMasqueの方法とされています。彼はチリ出身で、目をカバーするようなマスクをつけて、1890年代にヨーロッパでデビューしたマジシャンです。この方法は、彼がよく使っていたのでしょうが、彼が最初かどうかは分かりません。

この翌年の1910年には、Henry Hatton and Adrian Plate共著による "Magicians Tricks"が発行されます。この中で、Roterbergの本で発表されたAdrian Plateの方法が「シングル・チェンジ」の名前で再録されています。そして、別の部分には、興味深い方法も解説されていました。これまでの方法のようにデックから完全に持ち上げるのではなく、左サイドはデック上に付けたまま、右サイドを客に向けて、トップ2枚の右サイドだけを持ち上げて表を示しています。"turn up"と表現されています。残念なことは、ターンオーバーではなかったことです。この後、トップに裏向きに戻し、トップ・カードのみテーブルへ配っています。

1910年頃までの特徴点

これまでのダブル・リフトの記載を振り返ってみますと、共通点は、2枚持ち上げると書かれていても、持ち上げるための具体的な記載が、ほとんどなかったことでした。また、ダブル・リフトであっても、ダブル・ターンオーバーではなかったことです。2枚を取り上げたり、2枚をターンオーバーするための方法に焦点を当てて、ダブル・リフトの技法名で詳細な解説がされるようになるのは、1930年代の文献からです。

なお、1987年発行のスティーブン・ミンチ著「ダローのアンビシャス・カード・オムニバス」の本や、1989年のスティーブン・ミンチ著 "Tha Vernon Chronicles Vol.3"には、ダイ・バーノン曰く、ダブル・リフトの名前は、アンネマンにより名付けられたと書かれています。彼は1925年に18才でプロ・デビューしています。そういった事を含めて考えますと、1920年代後半には、ダブル・リフトと呼ばれ始めていた可能性がたかそうです。

ダブル・リフトの現代化の創世記ともいえる1910年代〜1920年代

この時代、ダブル・リフトの名前がないだけでなく、そのようなテクニックの存在すら、ごく一部のマジシャンにしか知られていませんでした。この操作を、独立した利用価値の高いスライトとして独自の方法を考え出し、ダブル・リフトの現代化に影響を与えたマジシャンとして、アーサー・フィンレイ、クリフ・グリーン、ダイ・バーノン、ライプチッヒがあげられます。彼らは、2枚の取り上げ方を研究されただけでなく、2枚をデックの上で、ひっくり返す方法を取り入れるようになりました。つまり、ダブル・ターンオーバーの誕生となるわけです。1956年のルイス・ギャンソン著「ザ・バーノンブック・オブ・マジック」によりますと、バーノン曰く「アーサー・フィンレイが、2枚のカードを1枚のようにひっくり返す方法を、最初に使った」と書かれています。

この時代のダブル・ターンオーバーに関係したダイ・バーノンの有名な話が、フーディーニ(1926年に急死)をひっかけた男 "Fooled Houdini"としての話です。1992年の "The Vernon Chronicles Vol.4"には「3回繰り返して見れば、謎を解き明かせないものはない」と強気発言のフーディーニを、8回繰り返して見せたにもかかわらず、解明出来なかった、アンビシャス・カードの話が書かれています。サインさせたカードを、トップから2枚目へ入れたにもかかわらず、トップに現れる現象です。フーディーニは自分でサインをしているのに「同じカードを2枚使っている」としか言えない無残な敗北をあじわった作品でもあります。

これには、ダブル・ターンオーバーとD.B.カードが1枚使用されていました。D.B.カードに関しては、バーノン曰く「このマジックを行っていた頃、ニューヨークでこのカードの存在を知っていたのは、アーサー・フィンレイぐらいであっただろう」と書かれています。グレーター・マジック(1938年)には、もう一人、レオ・ホロウィッツの名前が加えられていますが、バーノン曰く「彼がその存在を知ったのは、1920年代の後の方」とのことです。バーノンが、その存在を彼に見せることになったからです。

D.B.カードは、19世紀のオーストリアのホフジンサーが、すでに使用していました。また、1910年頃には、DeLandが「ツー・カード・モンテ」という商品に使用しています。しかし、これは、特別に印刷されたもので、レギュラー・デックに使えるものではなかったようです。レギュラー・デックにD.B.カードを秘かに加えてマジックを行う考え方は、バーノンとフィンレイぐらいであったようです。バーノンは、客から借りたどのようなデックにも対応出来るように、各種のD.B.カードを、持ち歩いていたと言われています。

ダブル・ターンオーバーが初めて書かれた文献は?

ダブル・リフトの現代化に影響を与えた上記4人のマジシャンの共通点は、自分の技法やマジックを解説したり、解説されるのが好きではなかったことです。特に1910年代〜20年代にかけては、その傾向が強かったようです。この時期には、カード・マジックにおいて、注目すべき文献が少なく感じられます。

そのような時代の本で、カード・マジックを研究する上で、現代でも評価が高いのが、1919年のCharles T.Jordanの「サーティー・カード・ミステリー」です。私が調べた範囲では、1930年以前において、ダブル・ターンオーバーの記載がされていたのは、この本でしか見つけることが出来ませんでした。「シングル・カード・リバース」のタイトルの作品に使用されていますが、使う目的が少し変わっています。このマジックの最後において、表向きデックの中央に現れた裏向きカード(実は2枚の裏向きカード)を表向ける目的で、ダブル・ターンオーバーを使っています。このカードがトップになるようにカットして、この2枚を前方へすべらせて、縦方向にひっくり返しています。

1930年代のダブル・リフトの技法名での解説

1933年の "Ralph Hull's More Eye Openers"のダブル・リフトの解説では、内エンドに当てた親指により、どのようにして2枚を取り上げるのかを、これまでにはない詳細な説明がなされています。

1934年には、もっとも現代的なダブル・リフトの解説が登場します。それが、Hugardの「カード・マニピュレーションズ No2」においての解説です。内エンドの親指により、2枚を少し持ち上げて、この2枚を右サイドへ少しずらします。そして、左親指により右へ押し出し、右手で右サイドをつかんで、デック上へひっくり返しています。

ダブル・リフトの考え方として、普通に1枚をひっくり返すのと同じ動作で、2枚をひっくり返すことが重要であると書かれています。そして、ダブル・リフトのパーフェクトな方法は、あらかじめ親指で2枚を分離させておくことなしで、1枚のようにプッシュ・オフすることであるとも書かれています。これは非常に困難なことですが、Mr.ダイ・バーノンは、これが出来るだけでなく、2枚でも、3枚でも、4枚でも随意にプッシュ・オフが可能であると書き加えられています。つまり、追加記載された部分は、当時のバーノンの方法をストレートに紹介しているのではないかと考えられます。多くのマジシャンを、あらゆる方法を駆使して煙に巻いてきた、当時のバーノンのすごさが感じられる報告です。

このバーノンの方法に、少しでも似させて、それが楽に出来るようにしたのが、Hugardの解説といえそうです。その後、「スターズ・オブ・マジック」や「バーノン・ブック」には、バーノンのダブル・リフトとして、右手で両エンドを持って、右へずらして行うダブル・リフトが解説されるようになります。しかし、これは、Hugardによって解説されてしまったバーノンのダブル・リフトに似た方法から、バーノンらしくない右手による操作を、もっと強調させたもののように思えてしまいました。こんな方法を使っているバーノンを見た事がないといったことを聞いた事があります。あくまでも、初心者向きに、本の解説やビデオの場合にだけ演じていた方法ではないかと考えられます。

その後、バーノンの本である "Ultimate Secrets"や "The Vernon Chronicles Vol.1"には、バーノンの実際的なマルティプル・プッシュ・オフについて触れられています。やはり、プッシュ・オフが終わるまでは、右手は一切関与していませんでした。また、左親指は、トップ・カードの上に置いて、押し出しているように見せていました。ただし、ダイレクトな方法ではなかった点が、ジョシュア・ジェイの行った方法との違いといえそうです。

"The Vernon Chronicles Vol.1"には「ザ・ニュー・セオリー・ダブル・ディール」が解説されており、2枚だけの操作であれば、この方が、ジョシュア・ジェイの方法に近いといえます。バーノンのこの方法から、考えを、さらに前進させたのが、ジョシュア・ジェイのダブル・プッシュ・オフやマルティプル・プッシュ・オフと言ってもよいのかもしれません。

ダブル・リフトについては、まだまだ報告したいことが多数ありますが、今回はここまでとさせて頂きます。


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