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コラム

第16回 デル・レイの信じられないクロースアップマジックの世界 (パート1) (2004.5.19up)

はじめに

日本のマジックのマニアの方で、デル・レイ(Del Ray)の名前を知っている方は少ないと思います。しかし、アメリカにおいてはマジックの大会で常に話題をさらってきたマジシャンであり、彼独自の今までに見たこともない信じられない世界を実演されてきました。

デル・レイの数多くあるレパートリーの1つが、日本のマジシャンによりテレビで放映された時に、すごい反響を呼びました。全く信じられないことが起こったからです。そのような素晴らしい不思議の世界を提供されてきましたデル・レイが、2003年11月に他界されました。76才でした。

今回は、もう見ることができなくなりましたデル・レイのクロースアップ・マジックの内容を、私が見たときの印象を交えながら、後で詳しく報告したいと思っています。

しかしその前に、デル・レイと私の関係や、デル・レイ自身についての紹介から報告を始めたいと思います。

デル・レイは私の渡米に大きな影響を与えたマジシャンでした。私の場合、海外のマジック大会への参加はデル・レイで終わり、デル・レイで再開されたといってもよいといえるからです。

1985年までには、私は何回かの海外の大きなマジック大会に参加してきました。見たいマジシャンの演技もほとんど見ることができ、ディーラー・ショップでのマジックの商品も変わりばえしなくなり、手に入れたい書籍も一定度の購入ができました。そこで、このあたりで海外の大会への参加をひとまず終わることに決めました。その最後として、どうしても見ておきたかったマジシャンが、デル・レイであったのです。

1985年のカンザスシティでのIBM大会にデル・レイがゲスト出演するということを知りました。そのために、アメリカ中央部に位置して、観光するところも何もないカンサスシティを訪れることにしたわけです。そして、そこで見たデル・レイのクロースアップ・マジックは最後をかざるにふさわしい大きな感動を与えてもらえました。

しかし、残念なことは、私の帰国の飛行機の都合で、最終日の夜に出演予定のデル・レイのステージでの演技が見れなかったことです。その後になってから、デル・レイのステージでのナイトクラブアクトとはどのようなものであったのかが気になってきました。

1995年にワシントンで開催されますワールド・マジック・サミットにデル・レイがステージショーだけに出演するということを知り、10年ぶりにアメリカの大会に参加することを決めました。デル・レイが出演するということにより、私の海外へのマジック大会参加への熱が再びたかめられるというきっかけを与えられたわけです。

しかし、今から思えば、このときのデル・レイのステージショーは引退を正式表明するためのステージであったのかも知れません。健康状態は決して良いとはいえなかったからです。デル・レイはワイヤレスマイクをつけて話しながら演じていたのですが、観客席には「ハー、ハー」という苦しそうな息づかいが聞こえてきて、見ているのがつらくなる状況でした。それでも熱演されるので、ステージ上で心臓発作をおこしてしまうのではないかといった心配までしてしまいました。

このときの演技内容で私の記憶に残っていますことは、ぬいぐるみの熊とのやりとりで、客のカードを当てていたことです。この熊は手に持った小さいワインボトルからグラスにワインをそそいで飲んでいたようでした。熊がこの動作をした時のカードが客のカードであるといった合図の演出として使われていたような気がします。また、ライジングカードの演技も、離れた位置からこの装置に命令したり話しかけていたように思います。

決して良い状態でのステージショーとはいえませんでしたが、50年前よりデル・レイはこのようなステージでも不思議の世界を提供されていたことを知り、それを見ることができたのは収穫でした。

ただ、1985年に見たクロースアップ・マジックのインパクトの強さが焼き付いているためか、デル・レイのマジックの醍醐味はクロースアップ・マジックにあるとの印象を受けてしまいました。

デル・レイは1927年生まれで、1946年にハイスクールを卒業しています。海軍に入隊しますが、短期で除隊しています。当時は学生以外は18才からの徴兵制でした。今日では志願制に変わっています。その後、初代のブラックストーン一座の座員を勤め、1940年代の終わり頃には一座から離れ、ナイトクラブでの活動が中心となります。カードのマニピュレーションがメインで演じられており、シガレットやシンブルも行っていたようです。また、カードによるクロースアップも演じられています。1951年にはテレビに初出演しています。

その後の1950年代に精密な人形や装置を取り入れた独自のスタイルを作り上げます。もちろん、このためには何人かの協力者があって可能となったことです。20分程度のステージショーのために、事前のセットアップに3時間もかかっていたそうです。

1960年代に入ってからは、彼独自の方式によるトレードショーに進出します。トレードショーの企業とは長期の契約を結んだそうです。1970年代80年代にはいくつかのマジック大会にゲスト出演しています。しかし、1980年代に入って深刻な健康上の問題が生じ、最終的には心臓のバイパス手術をおこなっています。そして、1990年代に入って引退することになりました。

1984円の「不思議10号」には麦谷真里氏により、デル・レイのクロースアップマジックの演技の一部が紹介されています。このマジック誌をお持ちの方はそちらの方も参照されますことをおすすめしますが、その中には、1984年のルイス・タネンの大会にゲスト出演の予定であったデル・レイが心臓発作により出演できなくなったことが報告されています。

そういった意味では、私の参加しました1985年のIBM大会で長時間にわたるクロースアップショーの演技を観れたことはラッキーでした。この時の1時間20分ほどにわたる演技は、寿命をすり減らしているのではないかと思える熱演で、それだけでも感動させられました。

日本にも是非来て頂いて多くの人に観て欲しかったマジシャンでありましたが、ある事情で飛行機に乗るのを拒否するようになったそうです。また、精密な装置を使用するので、故障を恐れたことも理由のひとつかも知れません。移動はどんなに遠くても自動車を使用されています。活動範囲は自動車による移動がしやすい東海岸が中心であったようです。

デル・レイのクロースアップショーには精巧にできた人形や装置を使いますが、それだけではありません。スライハンドのテクニックを大いに取り入れて、全体の演技の内容が単調にならないようにしています。そして、全てのマジックで客とのかかわりがあり、客とのやりとりで熱っぽくして面白さを高めています。

その1つとして、失敗した場合には手伝ってもらった方に50ドル紙幣を差し上げますといって、毎回50ドル紙幣を横に置いて演技されるのですが、このやりとりも全体を盛り上げる演出となっています。不可能に思えることが、はらはらどきどきさせながら成功させていっていました。

今回報告させて頂きます内容は、1985年にデル・レイが1時間20分ほどかけて熱演されたクロースアップショーです。思い違いや欠落している部分があると思いますが、20年ほど前で私もまだまだ視力と記憶力が良かった頃のことで、帰国の飛行機のなかで記録した内容です。

クロースアップ全体には大きな木製のテーブルが置かれています。これにはテーブルクロスがかけられていませんので、下側は見えている状態になっています。このテーブルのまわりを観客が取り囲むように座っています。

それでは、順を追って演技内容を紹介してゆきたいと思います。

ハシゴを上る人形とダイスの目当て

テーブルの上には垂直に立てられた小さなハシゴがあります。ハシゴの各段の横板には、2つずつ様々なダイスの目がかかれています。2つの赤色の透明ダイスを客に改めさせます。この2つをダイスカップに入れてテーブルに伏せてカップをあけることを何回か繰り返します。毎回、いろいろな目が出る事が確認されます。その後、客にダイスをカップに入れてカップをふせたままにさせておきます。小さな人形を取り出しますが、この人形がハシゴを昇ってカップの中の2つのダイスの目を当てるわけです。「当たらなかったら50ドルをあげます」と行って、ダイスカップをふせた客の前へ50ドル紙幣が置かれます。

人形がハシゴを登り、特定の位置で止まります。そこに書かれた2つのダイスの目を発表して、カップを開けると当たっています。他の客にも同様に行わせますが、毎回あたります。最後には人形がハシゴのトップまで昇り、飛び降りてしまいます。これをデル・レイが手で受け止めて終わりとなります。

小さなウサギとカエルのアクロバット

底が広い透明なグラスを口を下にしてテーブルにふせて置きます。この底の上へ、客によりあらためられた小さなウサギの人形を寝かして置かせます。客に小さな数を言わせ、ゼロから順にカウントすると、客の指定数のカウントでひょっこり立ち上がります。

客に手をださせ、手のひらにウサギを寝かせておきます。客の手はテーブルより10センチほど上空にあります。このウサギをカバーするように透明グラスの口を下にして手のひらに置きます。この状態で、同様にカウントするとウサギが立ち上がります。この時も、失敗した時にわたす50ドル紙幣が客の前へ置かれます。

次にウサギの友達だといってカエルを取り出し、客に調べさせます。これも、客の指定数のカウントにより、ひっくり返って正しい位置にもどります

すべり台とダイス

この作品が日本のテレビで放映されて話題となったものです。すべり台がテーブル上に置かれますが、すべてが透明な物質で作られています。さらに、転がってきたダイスを受け止める容器も透明です。すべり台の構造は「ソ」の時が縦に2つ並んだ状態で、4つの斜めに傾いた板からなっています。ダイスが単に滑り落ちるのではなく、転がっては落ちる事が繰り返されることにより、どのような目が上になるかがコントロールできない状態となっています。

まず2つのダイスを客によく調べさせます。このダイスは赤色の透明ダイスです。客に2つのダイスの目を指定してもらいます。それだけでなく、何回目にその目を出すのかも指定させます。2つのダイスをすべり台の上方から落としてころがすことを繰り返しますが、指定された回数目に指定された2つの目が出されます。

次に2つのダイスを追加して、4つのダイスで同様のことを行います。もちろん指定された4つのダイスの目を出す訳です。この時は、1つずつ転がして行っていました。容器の中に転がり落ちたダイスが、前に落としてあったダイスにぶつかって目が変わる事がありますが、それでも最後には、さらにぶつかったダイスにより指定した4つの目が出そろう事になりました。

もちろんこの時も、それぞれの客の前へ50ドル紙幣が置かれて、熱っぽいやりとりで演じられていました。これ以降の作品でも50ドル紙幣のやりとりは同様に続けられますが、解説の簡略化のため、今後は省略することにします。

この後、テクニックを使ったカードやダイスカップのマジックや、人形のネズミや小鳥を使って話題となったマジックなどが10演目続けられました。しかし、解説が長くなりますので、残りはパート2として次回に紹介させて頂きます。


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