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コラム

第29回 オイル&ウォーターとエドワード・マルロー (2006.11.2up)




はじめに

うわさでは、タマリッツの「オイル・アンド・ウォーター」は、すごいと聞いていました。それを実際に見た時、魔法を見ているとしか思えない衝撃を受けてしまいました。タマリッツは特別にすばらしいのですが、このマジックを最初に考え出した人も、すごいと思ってしまいました。

その「オイル・アンド・ウォーター」の原案者といえば、エドワード・マルローです。私はそのように信じてきました。そして、今でも、その考えに変わりはありません。ところが、海外の文献では、ある時期より、マルロー以外の別の人物を、原案者としている文献を目にするようになってきました。そこで、その原案とされる作品を読みました。しかし、それが原案と言われても、すっきりと受け入れられる内容ではありませんでした。

以上の事から、海外の各文献では、原案者をどのように記載しているのか、調査の必要性を感じました。特に最近の状況が気になりました。そして、これらの調査を行う過程で、「オイル・アンド・ウォーター」の最初の作品についてと、初期の段階で、どのような改案が発表されていたのかについても興味がわいてきました。さらに、その後、どのように変化してきたのかも、同時に調べました。これらについて報告させて頂きますが、その前に、「オイル・アンド・ ウォーター」の現象の再確認から始めたいと思います。

オイル・アンド・ウォーターについて

数枚の赤カード(ダイヤ・ハート)と黒カード(クラブ・スペード)を交互に重ねて、混ざった状態にします。「油と水は、混ざり合いません」といって、パケットの表を示すと、赤と黒のカードが分離しています。そして、通常は、少し方法を変えて、数回繰り返されます。また、一般的には、4枚の赤と4枚の黒のカードを使った現象として示されています。しかし、特に枚数は限定されていません。3枚ずつの場合や、5枚以上ずつの場合もあります。

この現象のマジックに「オイル・アンド・ウォーター」のタイトルをつけ、1953年9月のMUM誌に発表したのが、エドワード・マルローです。これが紙上での最初の作品となります。また、同年発行のマルローの作品集"The Cardician"にも再録され、有名なテーマの作品となりました。

マルロー以外で、原案とされた作品について

カール・ファルブスは、1973年発行の小冊子"Notes from Underground Card Tricks"において、マルロー以外の作品を原案として書いています。まず、19世紀のホフジンサーにより、赤と黒のカードを分離する現象が、すでに考案されていたと報告しています。ただし、これはデック全体を使った現象です。パケットによるものは、ウォルター・ギブソンの"Like Seek Like"が最初としています。これは、1940年のマジック誌"Jinx"のNo.91に解説されています。このパケットによる作品の内容について報告します。

6枚のカードを裏向きにして、グライドの位置に左手に持ちます。右手により、ボトムカードを1枚ずつ引き出して、トップへまわします。これを6回繰り返しますが、その都度、「赤」「黒」と言って表を示しています。6枚を表向けると、もちろん、赤黒交互になっています。もう一度、前回と同様に、ボトムから引き出してトップへまわす操作を、6回繰り返します。ところが、今回は、6枚を表向けると、赤と黒のカードが3枚ずつに分離しています。なお、後半の操作の時、1回だけ、ボトムカードを示さずに行っています。また、グライドのテクニックが2回使用されています。

私には、これが「オイル・アンド・ウォーター」の原案だと言われても、マルローの方法や、その後、改案された様々の方法に比べ、別のマジックの印象しか受けませんでした。もちろん、赤と黒のカードの分離現象と言われれば、反論する余地はありません。しかし、「オイル・アンド・ウォーター」のタイトルをつけて、今日のこのマジックの基本形と土台を作ったのが、マルローであることも否定出来ないはずです。

マルローのオイル・アンド・ウォーターの特徴

マルローの作品は、ウォルター・ギブソンの作品に比べ、何が違うのでしょうか。大きな違いは、赤と黒に分かれたパケットの状態から、赤と黒のカードを、交互にして混ぜる操作が加えられていることです。これにより、混ぜ合わせた印象が強くなります。そして、この操作の段階が、すでに、マジックを成立させるための重要な要素となっています。また、「オイル・アンド・ウォーター」のタイトルをつけたことや、それに合わせて、「水と油は混ざり合うことがありません」といったセリフが加えられたことも、違いの一つとしてあげられます。

マルローのすごさは、このタイトルの作品を発表してから、数年の間で、斬新な発想を次々に導入して、いくつもの新たな「オイル・アンド・ウォーター」を発表していることです。これらは、今日の「オイル・アンド・ウォーター」の土台となる重要な要素が多数含まれています。つまり、バラエティーに富んだ発展性のあるマジックになりました。余分なカードを使う方法や、使わない方法もあり、また、様々な技法を使える可能性を持っています。1回だけの現象で終わらずに、少し方法を変えて、繰り返しが可能となりました。最初のマルローの作品や、その後の多くの作品でも、数段階まで繰り返されています。

これらの考えを元にして、その後、一つのテーマとして、多くの作品が考案されるようになりました。マルローの功績を無視して、「オイル・アンド・ウォーター」は語れないといってもよいでしょう。

各文献での原案者名の記載状況

海外の文献で、「オイル・アンド・ウォーター」と関わりのあるものには、可能な限り目を通しました。「アンチ・オイル・アンド・ウォーター」の混ざる現象や、ロイ・ウォルトンの「オイル・アンド・クィーン」を改案した作品も含めました。結局、100近くの作品と、「オイル・アンド・ウォーター」について書かれた記事だけのものも参考にしました。

マルローだけで、約20近い作品を発表しています。ほとんどが、1953年から1962年までか、1971年からのマルロー・マガジンにおいて発表されたものが中心となります。マルローの作品を除外しますと、マルロー派と呼ばれるJon Racherbaumer、アッカーマン、Ken Simmons、デビッド・ソロモンはマルローの名前をクレジットしています。

それに対して、アンチ・マルローの代表ともいえるカール・ファルブスは、ウォルター・ギブソンの名前だけか、ホフジンサー/ギブソンの連名にしています。マルローの名前を含めずに、そのような記載にしていたのはカール・ファルブスだけです。

もっとも興味あるのは、上記以外の中間的立場にある人です。マルローの名前をクレジットしている作品も多いのですが、誰の名前も書かれていない作品が、思っていた以上にありました。原案者名や歴史的なことの記載には無頓着なのか、二つの考え方の論争に関わりたくないからでしょうか。マジック誌「アポカリプス」の著者でもあるハリー・ロレインは、3名の作品を解説されていますが、いずれにおいても原案者名の記載をされていません。

その反対に、ホフジンサー、ウォルター・ギブソン、マルローの3名の名前と、少しのコメントを加えて書かれているものもいくつかあります。1987年のスティーブン・ミンチ著「バーノン・クロニクルスVol.1」では、赤黒分離はホフジンサー、パケットによるものはウォルター・ギブソン。しかし、「オイル・アンド・ウォーター」のプロットはマルローとしています。さらに、マルローとギブソンの作品の違いをいくつか取りあげて、「オイル・アンド・ウォーター」のタイトルをつけられた多くの作品の原点は、マルローの功績の大きいことを書かれています。その後、レイ・コスビー(1990年)、フィル・ゴールドステイン(1990年)、ジョン・カーニー(1991年)の作品をスティーブン・ミンチが解説されていますが、この時には、マルローのオイル・アンド・ウォーター・プロットとだけ書いています。

T.A.Watersの「マジックとマジシャンの百科事典」における「オイル・アンド・ウォーター」の説明にも、3名の名前が書かれています。効果の発明はウォルター・ギブソン。タイトルとプレゼンテーションはマルローであり、いくつかの方法とハンドリングをクリエイト。そして、赤黒分離現象の最初は、デック全体を使用するもので、19世紀のホフジンサーによると説明しています。

興味深い記載は、リチャード・カウフマンです。1988年の"Sawa's Library of Magic"において、沢浩氏の独創的な作品が解説されています。そこでカウフマンは、クレジットをウォルター・ギブソンにするか、マルローか、あるいは、ホフジンサーとすべきかと問いかけています。そして、10年後の1998年、Rene Lavantの"The My Stories of My Life"を発行した時にカウフマンは、ギブソン/マルローのオイル・アンド・ウォーター・プロットと連名で書いていました。

ところで、面白い発見がありましたので報告させて頂きます。ロイ・ウォルトンの「オイル・アンド・クィーン」についてです。これも多数の改案が発表されていますが、全てといってもよいほど、ロイ・ウォルトンの名前がきっちりクレジットされています。何も書かれていなかったのは、皆無といってもよいほどです。そして、マルローの名前は、全てにおいて書かれていません。あきらかに、別の作品として認識されているのでしょうか。なお、1969年に、「オイル・アンド・クィーン」が発表された時にも、マルローの名前は書かれていませんでした。同年に、ロイ・ウォルトンは「オイル・アンド・ウォーター」の方の改案作品も発表していますが、そちらには、マルローの名前がクレジットされています。

カール・ファルブスとエドワード・マルローの敵対関係

二人の間に、敵対関係をつくるきっかけとなった記事があります。カール・ファルブスが、自分の発行するマジック誌"Epilogue"の1971年11月号に、マルローの批判文章をのせたことです。これは、「二つのレター」と題して、リフル・シャフル・テクニックのマルローの記事に対して、読者からの批判の手紙として掲載しています。この後から、二人の関係は、かなり険悪な状態になったようです。

1973年には、前記しましたように"Note from Underground"において、「オイル・アンド・ウォーター」はマルローが原案者でないことの歴史経過を書いています。そこには、マルロー以前の四つの作品を取り上げていますが、少し強引と思える記載もありました。ただし、ウォルター・ギブソンの作品に関しては、パケットでの赤黒分離現象の最初の作品であることには認めざるをえません。

1975年3月の"Epilogue"においてカール・ファルブスは、マルローが自分のテクニックのように発表していた数点について、それを否定する記事を書きました。それだけでなく、マルローのこれまでの記事全てに対しても、きびしい批判文を書いています。これは、マルローとの完全な決別宣言と取ってもよさそうです。

それ以降、マルローの名前すら、一切、書かれることがなくなりました。マルローに関わりのある作品やテクニックがあっても、そのマジックの経過変遷は、マルローを無視した記載となりました。その部分は、どうしても違和感を生じてしまいます。カール・ファルブスは、今日においても、出版活動は続けられていますが、マルローを全面否定した為か、どことなく精彩を欠いた部分があることも否定出来ません。

エドワード・マルローについて

発行された本やパンフレットの数は、60以上におよびます。発表した作品数や技法数は数えきれません。マジック誌にも多数発表しています。プライベートで発行された「マルロー・マガジン」は、6巻まで発行されましたが、1冊だけでも300ページ以上あります。この莫大な数の作品や技法のほとんどが改案です。しかし、マルローの独特な味のある改案です。オリジナルなものもありますが、多いとはいえません。その中で、多くのマジシャンに知られているものとなると、「エレベーター・カード」と「オイル・アンド・ウォーター」ぐらいです。技法では「オーラム・サトルティー」と「インコンプリート・フェロウ」があげられる程度です。このことは、私にとっては予想外で驚きです。この中の一つの「オイル・アンド・ウォーター」が否定されようとしていたわけです。

ティルト、コンビンシング・コントロール、アトファス・ムーブもオリジナルな技法と思われていました。しかし、今日では、ティルトはバーノン、コンビンシング・コントロールはラリー・ジェニングスが最初とされています。この二つの技法の場合、それらの存在を知ったマルローが、情報元を書かずに、すばやく文章化して発表してしまいました。アトファス・ムーブの場合は、少し事情が異なります。エルムズリーが、1956年のマジック誌"Pentagram"9月号に発表したマジックに使われたスイッチの方法を、すぐにマルローは改良を加えて、新たな方法として考案しています。アトファスとしてマジック誌"The New Tops"に発表したのは、8年後の1964年になってからです。そこには、1956年10月の作とあり、エルムズリーの名前には触れられていません。 この後、さらに改良が加えられて、有名な技法となってゆきます。そういった意味で、アトファス・ムーブはマルローの技法としてもよいのですが、マルロー/エルムズリーの連名にする方が、よりふさわしいと思います。

以上のことから考えますと、マルローは、先に紙面上で発表したものに権利があるとでも思っていたのでしょうか。あるいは、少しでも改良したものは、自分のオリジナルと考えていたのでしょうか。いずれにしても、原案者名や情報元を書かずに、自分のオリジナルのマジックや技法のように発表する、マルローのこのような行為は、好ましく思っていない人も多かったようです。

そうかと思えば、逆に、マルローが、すでに発表していた技法を、マルローの名前をクレジットせずに発表されている場合には、抗議の手紙を出していたようです。新たな発表者が、その技法の最初の考案者と取られることを嫌ったようです。このことで話題となった話が、プルダウン・ムーブ(ピンキー・プルダウン)とハリー・ロレインとの関係です。ハリー・ロレインは、その後の本において、この技法について触れる部分では、マルローが最初の発表者であることを明記しました。しかし、その記載の後で、このような操作は、自分が小さい頃から自然に使っていたものであり、誰でもが思いついて使っているような種類のものであるとも付け加えています。

上記の報告のように、マルローは、いろいろと問題の多さを感じさせられます。しかし、それとは対照的に、多くの作品や技法を発表して、マジックの発展の為に果たした功績は計り知れません。熱烈な信望者がいるかと思えば、敵対する人も多かったと思われます。このコラムの一つのテーマとして取り上げたとしても、語り尽くせない話題性を持った人物です。ところで、莫大な数の作品に比べ、完成度の高い作品は多いとはいえません。しかし、重要なことは、それぞれの作品の中に、マルローならではの発想があり、良い刺激を与えてもらえることです。完成度が高いとはいえないマジックであっても、部分的には使えるものが多く、そこが他のマジシャンとは異なり、マルローから目が離せないところでもあります。

私の考えの結論

いくら考えても、「オイル・アンド・ウォーター」の改案作品で、原案者名をクレジットする時に、ウォルター・ギブソンの名前だけしか書かれていないのは、異常を感じてしまいます。今日、演じられています「オイル・アンド・ウォーター」の基礎を作り上げたのは、マルローであるからです。原案者名を書かれる場合に、まず第一に、エドワード・マルローの名前をあげるべきです。その上で、パケットでの赤と黒の分離現象考案の先駆者を、ウォル ター・ギブソンとするのであれば、納得出来ます。また、エドワード・マルロー/ウォルター・ギブソンの連名で書くことも、一つの考え方といえるでしょう。

もし、マルローが、ダイ・バーノンのように、多くのマジシャンに敬愛されていたとしますと、状況が変わっていたと思われます。ウォルター・ギブソンのマジックの存在が、後で分かったとしても、マルローの「オイル・アンド・ウォーター」の価値は、損なわれることがなかったはずです。2作品の相違点から、多くのマジシャンが、マルローの発表した「オイル・アンド・ウォーター」を尊重し、その原案者としてのマルローの名前は、敬意の意味を含めて、必ず記載されていたのではないでしょうか。

最初のマルローの作品と初期の頃の変化発展

1953年に、マルローが最初に発表したのは10枚を使う方法です。4枚ずつの赤と黒のカードを使った現象ですので、2枚を余分に使っているわけです。4枚を客にわたし、残りの4枚(実は6枚)を演者が持って、交互にテーブルに配って重ねています。第2段も、ほぼ同じ方法で行い、第3段は、その都度、表を示して確認させながら行っています。

ビル・サイモンは、マルローが発表するのを待ち構えていたかのように、同年の11月に、余分なカードを使用しない方法を発表しました。8枚だけで行う方法です。ブラウエのシークレット・アディションを使って、2枚を入れ替えて行うシンプルな方法です。

1956年には、マルローがマジック誌"Ibidem"のNo.8に、同色の4枚をファン状に広げて、その間へ、他色のカードを1枚ずつ挟み込む方法を発表しました。この作品の後には、別の改案として、表向きでファン状に広げて挟み込む方法も発表しています。そして、その後、交互に混ざってしまうクライマックスも加えられています。

1957年には、"Ibidem"のNo.9に、マルローによる、8枚だけで行う方法が発表されました。第4段まであり、それぞれ、違った考え方が取り入れられています。エルムズリー・カウントを使っていないところが興味深いといえます。なお、エルムズリー・カウントは、1960年のツイスティング・エーセスが発表されて、その中で紹介されてから、使われるようになった技法といえます。

以上のマルローの数作品の発表により、「オイル・アンド・ウォーター」の土台が完成したといってもよいでしょう。しかし、全世界の、より多くのマジック愛好家に、このマジックの存在とすばらしさを浸透させたのは、次のバーノンの本といってもよさそうです。1960年に、イギリスのルイス・ギャンソンにより、ダイ・バーノンの"More Inner Secrets of Card Magic"が発行されました。その中で、バーノンが演じた「オイル・アンド・ウォーター」の方法が解説されているのです。

そこには、原案者としてのマルローの名前が書かれており、3段階の現象が、2回繰り返されています。最初の3段までが、1956年のIbidem誌に発表されたマルローのファン状にして挟み込む方法を、ほぼそのまま採用しています。第1段が裏向きファンで、第2段が表向きファン、第3段が混ざってしまう現象です。もちろん、少しだけ、バーノンの改良が加えられています。この3段までは10枚が使われています。これを一度、デック上に戻し、思い直したかのように、トップの8枚だけを取り戻しています。この8枚だけで演じる後半が、バーノンの方法です。バーノンの方法では、全てに、バーノン・ウェッジがメインの技法として使われており、こちらの最後の段階も、混ざってしまう現象になっています。バーノン・ウェッジは、数枚のカードを両手の間で広げながら行う技法ですので、演技が大きく、見栄えのするマジックになります。なれるまで難しく感じますが、「オイル・アンド・ウォーター」にもっともマッチした有用な技法といえます。

ところで、1983年発行の東京堂出版、高木重朗編「カードマジック事典」には、マルローの方法とバーノンの方法が解説されています。これは、上記のバーノンの本に解説された3段目までの10枚使用の部分と、その後の8枚使用の部分を、分けて別々に解説されたものです。「オイル・アンド・ウォーター」の代表的な作品ですので、是非、読まれることをお勧めします。

1953年に初めて紙上発表される以前の、マルローの「オイル・アンド・ウォーター」

1951年に、ブルース・エリオット(マジック誌「フェニックス」の編集者)宛てに送られた手紙の中で、解説されていたものがあります。それは、今日の方法とかなり違っており、10枚ずつ使い、3段まで演じられています。第1段は、ダイレクトでスピーディーですが、ターンオーバー・パスを必要とします。第2段と3段は時間がかかりすぎます。赤黒交互に重ねて混ぜ合わせた後、もう一度、交互に配って、二つの山に戻す作業が必要です。そして、もう一度、混ぜ合わせています。これらの欠点を改良して、新たな発想で完成させたのが、1953年の「オイル・アンド・ウォーター」と言ってもよいのではないでしょうか。難しい技法を使わずに、スピードアップもはかった作品となっています。

1960年以降の変化・発展

1960年までには、マルローにより、基本型が完成されたといってもよいでしょう。そして、1960年代後半より、メインの技法として、エルムズリー・カウントが登場します。8枚だけや、9枚使用の場合には、ほとんどこの技法が使われています。あまりにも便利で、使いすぎたことにより、「オイル・アンド・ウォーター」が、マニアにとって、面白みの少ない、あきられるマジックとなったのではないでしょうか。しかし、この技法のおかげで、新たなクライマックスが可能となったことも事実です。

「オイル・アンド・ウォーター」に、エルムズリー・カウントが、最初に使われたのは、1967年のカール・ファルブスの"The Cards That Can't be Mixed"ではないでしょうか。赤裏の赤カードと青裏の黒カードを使い、クライマックスでは、エルムズリー・カウントにより、裏の色が入れ替わってしまいます。この作品のタイトルに「オイル・アンド・ウォーター」の名前を付けていないことや、原案者としてのマルローの名前をクレジットしていないことは、すでにこの頃から、アンチ・マルロー的な思いがあったのではないかと考えてしまいます。

これと同年の1967年には、すでに、ロイ・ウォルトンの「オイル・アンド・クイーン」が考案されていました。これも、エルムズリー・カウントを使用しています。ラリー・ジェニングスの2冊組のレクチャーノートに「ロイ・ウォルトンのオイル・アンド・ウォーター」として解説されています。ジェニングスはロイ・ウォルトンと手紙での交流をしていましたので、いち早く、この方法を教わったものと思われます。しかし、一般的に知られるようになるのは、969年の"Ibidem"誌に「バニシング・ウォーター」として発表されてからです。この時までは、赤カードが消えて、4枚のエースに変化する現象でした。これが、すぐ後で発行されたウォルトンの作品集「デビルス・プレイシング」に、「オイル・アンド・クイーン」として発表され、4枚のクイーンが使われるように変化しました。

ところで、「オイル・アンド・クイーン」だけでは、本来の「オイル・アンド・ウォーター」とは違った、別の現象の作品となります。そこで、最初に、6枚(実は7枚)による赤黒分離や、逆に、混ざってしまう現象を演じた後、「オイル・アンド・クイーン」現象を行っているのが、ディングルの「オイル・アンド・ビネガー」です。デックから、カードを少し加えると言って、数枚をチェンジすることにより可能となりました。ディングルの方法は、1982年に、リチャード・カウフマンにより解説されています。そして、同年に上映された「マジック・ボーイ」"The Escape Artist"においては、これを簡略化して、主演の少年に指導したのが、リッキー・ジェイです。

また、「オイル・アンド・クイーン」の発想を、違った形で「オイル・アンド・ウォーター」のクライマックスとして取り入れたのが、マルローです。第2段までは、普通の赤黒分離現象が起こり、3段目では、二つのパケット共に、同じ色のカードになってしまいます。1976年の「マルロー・マガジンVol.1」に発表されています。翌年のMUM誌11月号には、イタリアのアルド・コロンビニの方法が発表されました。そして、1982年の「アポカリプス」に、フランスのRichard Vollmerの方法、1990年の"Up In Smoke"には、ラリー・ジェニングスの方法、1996年の"Classic Sampler"では、マイク・スキナーの方法が紹介されています。全てに共通していることは、9枚使うことと、エルムズリー・カウントがメインの技法であることです。

別なタイプのクライマックスで有名なのが、パケットでの赤黒分離現象の後、最初に客にシャフルさせたはずのデックも赤黒に分離しているといった現象です。1978年の"Here's My Card"におけるアッカーマンの方法や、1991年の"Carneycopia"におけるジョン・カーニーの方法が有名です。

ユニークな方法を使ったオイル・アンド・ウォーター

レイ・コスビーは2作品発表していますが、2作共ユニークです。一つは、1984年の「ニューヨーク・シンポジウム3」で解説された方法です。本当に赤黒交互になっている8枚を、左手で裏向きに持っています。右手により、トップから1枚ずつ表向けて、少し広げつつ4枚を示すと、4枚とも同色になっています。残りの4枚は、大胆な方法で見せています。1990年の「スペクタクル」に発表されたコスビーの方法では、客に同色の4枚を渡し、演者の右手には、別の色の4枚を持った状態で始められます。演者の左手の上へ、赤と黒を交互に重ねてゆきます。8枚目を置いた段階で赤黒が分離しています。

もう一つあげるとしますと、デビッド・ソロモンの方法です。本当に赤黒交互になっている8枚を、左手に裏向きに持っています。右手でトップより1枚ずつ取り上げ、表が客に見えるように、カードを垂直にします。このカードの下へ、次々にカードを取って、表を示してゆくのですが、赤と黒が4枚ずつ分離された状態で示されます。この方法は、1985年のランディー・ウォークマンの「フォーミュラー・ワン・クロースアップ」に、そして、1986年のマルローのレクチャーノートにも、これを使用した作品が発表されています。しかし、どちらにも、ソロモンの名前がクレジットされていません。1997年の「ソロモン・マインド」の本の中で、「この方法は、マルローに直接実演してみせた方法であるのに、マルローは自分の名前をクレジットしてくれなかった」と、ソロモンはなげいていました。

「オイル・アンド・ウォーター」について、その他いろいろ

「オイル・アンド・ウォーター」に関して書きたいことが多すぎて、今回の中には収まりきれません。例えば、水と油と色との関係です。このことに関しては、多くの作品が、黒カードを油としていたことだけの報告にとどめておきます。また、水よりも油の方が軽いために、油が上になるはずです。そのことを強調しつつ、そのように演出している作品がありました。さらに、少しずつ分離してゆく状況を、見せて行う作品もありました。赤と黒の裏の色を、違った色にして行う作品や、トリックカードを使った作品等、報告すべきことはたくさんありますが、今回は割愛させて頂きました。

ところで、「オイル・アンド・ウォーター」は、退屈で受けない作品だと主張する人があれば、反対に、今日まで実演してきたが、よく受けていたと反論する人もいます。そういった中、退屈なマジックであるとの意見に賛同しつつも、タマリッツが演じた場合だけは、例外であったと書いていた人物がいたことが印象的です。

最後に、日本人の作品について報告しておきます。日本人が、海外の文献に登場している作品がいくつかあります。1976年のニック・トロストのパンフレットに、二川滋夫氏の「ジャパニーズ・エース・トリック」、1988年のリチャード・カウフマンによる沢浩氏の本に「フェイスアップ・オイル・アンド・ウォーター」、1998年のMAGIC誌4月号に、加藤英夫氏の"Prelude to Oil and Water"、そして、2006年のGENII誌10月号に、ヒロ坂井氏の"Color Sunder"が掲載されています。

そして、日本国内でも、多くの作品が発表されています。松田道弘氏は、カード・マジックの著書を多数発行されていますが、それぞれにおいて、違った「オイル・アンド・ウォーター」の作品を発表されています。また、マジック同人誌「パーム」の12号(1993年発行)では、「オイル・アンド・ウォーター」特集が組まれています。「パーム」のメンバーによる、バラエティーに富んだ内容で、10以上の作品が発表されています。これは驚異的なことです。日本人パワー、いや、関西人パワー恐るべしといったところです。

ところで、海外の作品や「オイル・アンド・クイーン」も含めて、私のもっとも好きな作品は、小崎民夫氏の「あした天気になーれ」です。天気と雨の絵のカードを使った「オイル・アンド・クイーン」の改案ですが、さわやかで夢があり、もっとも演じたいパケット・マジックの一つです。

おわり−タマリッツのすばらしさ−

今回も長いコラムとなりました。断片的なことだけの報告であれば、もっと短くすることが出来ます。しかし、せっかくですので、全体像や歴史的なことまで含めますと、長くなってしまいます。反省はしつつ、仕方がないといった思いもしています。

最後に、タマリッツが演じた内容について報告をして、終わりにしたいと思います。しかし、それには、まず、スペインのアスカニオの方法についても、少し触れておく必要があります。アスカニオの方法は、意外なクライマックスがあるわけではなく、単に分離するだけの現象です。しかし、これの第2段がすばらしいのです。赤黒交互であることを確認した後、すぐに、赤黒が分離してしまいます。魔法を見ているように見えてしまいました。しかし、本当の魔法を見たのは、同じスペインのタマリッツが演じているのを見た時です。2005年4月のマジックランド主催の箱根クロースアップ祭に、ゲスト出演されていました。彼の「オイル・アンド・ウォーター」を見終わった後、あまりのすごさに呆然としてしまいました。

第1段は、4枚の赤と4枚の黒を客に調べさせて、明らかに、8枚だけで行う方法です。しかも、エルムズリー・カウントは使わずに演じています。不思議です。第2段は、面白い変わった見せ方です。4枚を縦にずらして、赤黒交互の状態の4枚を示し、それが一気に、赤4枚に変わります。縦にずらしたままです。もちろん、残り4枚は黒です。次の第3段は、魔法としか思えません。アスカニオの方法以上に強烈です。両手の間で、表向きに赤黒の状態を示した後、閉じて、すぐに広げると、4枚ずつの赤黒に分離しており、無動作にテーブルへ置いてしまいます。特に第3段では、8枚だけでは、絶対に不可能としか思えません。しかし、余分なカードを使っているあやしさは感じさせません。すばらしいマジックです。そして、これを演じたタマリッツは、本物の魔法使いのように思えてしまいました。


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