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コラム

第26回 エルムズリーと彼の作品について (2006.5.8up)




はじめに

私の頭にガツン!と一撃を加えたマジシャン、それが、アレックス・エルムズリー"Alex Elmsley"です。これは一度だけではありません。何度もです。つまり、何作品もです。そして、今回、もっとも強い衝撃を受けてしまいました。エルムズリーが亡くなられたからです。2006年1月8日、76才でした。

彼の名前は、エルムズリー・カウントのテクニック名と共に、マジック界では広く知れわたっています。日本において、エルムズリーのマジックと言えば、彼のカウントを使うマジックと思われてもしかたのない時代がありました。しかし、彼の本当の偉大さは、20世紀後半に、数々のすばらしいクロースアップ・マジックの作品を創作されたことだと言ってもよいでしょう。そして、私にとっては、後でも報告しますが、セルフワーキング・マジックに対する考え方を、大きく変えさせられた人物でもあります。そこで今回は、エル ムズリーの作品について、私の思いを中心に報告させて頂きます。

エルムズリーの代表作品について

エルムズリーを紹介しています記事の多くには、彼が考案した代表的なものとして、エルムズリー・カウントとフェロウ・シャフルの数理原理、そして、次の四つのカード・マジックをあげています。「ビトウィーン・ユア・パーム」、「ダイヤモンド・カット・ダイヤモンド」、「ポイント・オブ・デパーチャ」、「1002番目のエーセス」です。上記以外では、意外な結末で面白い発想の「カップ・アンド・ボール」や、究極のパケット・トリックともいえる「ダズル」、そして、商品となった"Fate's Date Book"を加えている記事もあります。

しかし、私に大きな影響を与えたのは、これらの作品ではありません。セルフワーキング・カード・マジックの方です。これらの巧妙な原理に魅了されてしまいました。多数の原理を発表されていますが、その中でも、特に大きな影響を受けた作品を、次に報告させて頂きます。

エルムズリーのセルフワーキング・マジックと私

私は、本来、セルフワーキング・マジックが好きではありませんでした。というよりも、大嫌いであったと言った方がよいかもしれません。このことは、2004年の「パーム 22号」にも書かせて頂きました。特にダウン・アンダーは、その代表といえるものです。どうして、このような時間のかかる儀式のようなことをする必要があるのか、不思議で仕方ありませんでした。初心者用に、パズル的なものを代用しているのかと思わざるをえませんでした。こんなのを見せられると、マジックと聞くだけで、見るのを拒否する人が増えるのではないかと危惧してしまいます。

そういった時に、エルムズリーの新しい作品が紹介されていました。1975年のGenii誌10月号のバーノンのコラム「バーノン・タッチ」においてです。マジックとしては、やはり、私には演じる気にもなれないものです。デックからカットして取り上げたパケットのボトムカードを覚えてもらい、"Australian Shuffle"のスペリングに従って、トップからボトムへ1枚ずつカードをまわします。その後は、ダウン・アンダーを最後の1枚が残るまで行っています。このような、スペリングに従って多数のカードを1枚ずつ移動させる操作は、ダウン・アンダーの操作と同じぐらい好きにはなれないものの一つです。嫌いな操作を二つ重ねた、私にとっては最悪のマジックといってもよい作品です。ところが、この操作により、客のカードを最後に残すメカニズムが最高にすばらしいのです。こんなに気持ちのよいメカニズムを、カード・マジックであじわったのは久しぶりです。エルムズリーは天才だと聞いていましたが、この時に、初めてそのことを実感出来ました。

次に感激させられたのは"Shadowed"です。1991年に発行されたエルムズリーの厚い本の中で、解説されています。ここでも、そのメカニズムの鮮やかさには脱帽してしまいました。セルフワーキングとしては、よく知られている作品の改案です。26枚目のキーカードを使って、デックを三分割して行うマジックです。これまでの現象と違うのは、本来の方法を知っているマニアにとっては不可能と思われる点です。今までの原理を無視した、中央パケットのトップカードを客に覚えさせているのです。そうであるにもかかわらず、容易に、客のカードの位置を特定しています。たいした操作はしていません。この解説を読んだ時、書かれていることの意味が理解出来ませんでした。しかたがないので、とりあえず実際に行ってみて、私自身が驚いてしまいました。そのとおりになることが分かったからです。

もっと強烈に感動させられた作品があります。1998年の"Come A Little Closer"に解説されている"No Calc"です。二人の客が適当にカットして覚えた2枚のカードを、一気に特定の位置へ移し換えてしまうものです。これもたいした操作はしていません。デックを四分割して重ね変えただけです。それだけで、不特定の位置の2枚のカードを、13枚目と26枚目に移し換えると書かれていました。そんなことは、ありえるはずがありません。しかし、これも鮮やかなメカニズムにより、気持ちよく2枚が移し換えられていました。このメカニズムを理解した時に、「エルムズリーさん、あなたはすばらしい!」と叫びたくなりました。

このような感激は3作品だけにはとどまりません。いくつもの作品でもあじわいました。結局、エルムズリーにより、セルフワーキングの魅力のとりこにさせられたと言っても過言ではありません。

エルムズリーの問題を感じる作品の魅力

エルムズリーは多数の作品を発表されています。そして、そのほとんどが、完成度の高い作品です。多くのマジシャンにより改案されていますが、たいていの場合、改案になっているとはいえません。たいした改案でなかったり、改悪になっている場合もあります。それほどに、エルムズリーの作品は、よく考えられているのです。

ところが、奇妙なことは、セルフワーキング・マジックに関しては完成度が低く思えてしまいます。まだまだ改案する余地を残したままになっています。何度も繰り返しますが、原理やメカニズムはほれぼれするほどすばらしいのです。しかし、それに匹敵する効果的な現象となっていません。また、どうしてもダラダラした操作が目についてしまいます。もっと、操作方法の簡略化や、演出を面白く工夫したり、インパクトのある現象に変えたくなります。

もう一つの問題を感じることが、パーフェクト・フェロウ・シャフルを使った作品です。エルムズリーは、このシャフルの数理原理を新たに開発されただけでなく、このシャフルを使った多数のマジックも発表されています。いずれも、考え方やメカニズムが面白いだけでなく、現象も不思議で面白さを伴った作品が少なくありません。問題なのは、このパーフェクト・フェロウ・シャフルをスムーズに行うのが難しいことです。練習段階ではうまく出来ても、実践ではスムーズに出来ないことが多いと言ってもよいでしょう。かなり手間取って、演技の流れを中断させている演者を何人も見てきました。スムーズに出来る人は問題ありません。しかし、一般的には、そうではありません。他の方法で代用出来ないかを考えてみたくなってきます。ただし、部分的に行うだけのパーシャル・フェロウ・シャフルは、割合と容易に行えますので、これを使った作品はもっと演じるべきです。

結局、問題だと感じさせられた作品には、改案する楽しみを残しておいてもらえたことになります。このことが、よりいっそう、セルフワーキングやフェロ ウ・シャフルの作品の魅力のとりこにさせられました。いずれにしましても、全ては、エルムズリーのすばらしい原理があればこそです。

エルムズリーとフラリッシュ

毎年春には、箱根において、マジックランド主催のクロースアップの大会が開催されています。1997年4月、この大会のゲストとして、エルムズリーが来日されました。本人の演技を見て、思っていた以上のうまさと不思議さをあじわいました。そして、予想外の印象に残ったことがあります。各指の間にカードを出現させるマニピュレーションを演じられたことです。マーカー・テンドー氏が演じられている現象に近いものです。ただし、増やす方法が違っていることと、片手だけでは3枚までしか増やすことが出来ません。4枚目だけは、他手で出現させて、残った指の間にはさませています。これをエルムズリーは、楽しそうに演じられていました。

エルムズリーは、マニピュレーションやフラリッシュが好きなようです。1994年に発行されたエルムズリーの2冊目の厚い本のトップには、いくつかのフラリッシュやマニピュレーションが解説されています。考えてみれば、エルムズリーが最初にマジック誌へ発表したのは、1949年のタワーブリッジ・カットというフラリッシュでした。当時は20才です。そして、1953年には、イギリスの I B Mリングの大会において、ビリヤード・ボールを演じられています。

エルムズリーとマジックとのかかわりの歴史を調べる中で、分かったことがあります。そもそも、彼はジャグリングの方に興味を持ち、それをマスターしようと思い、トイ・ショップに行きました。その時に、マジック商品売り場に出くわし、それから、マジックの方に興味の対象が移っていったようです。

エルムズリーの断続的なマジックとのかかわり

エルムズリーは、2回もマジックとのかかわりから離れていました。しかも、その空白期間は、かなりの長期にわたります。エルムズリーの最初の登場期間は、1949年(20才)〜1959年(30才)までで、各種のマジック誌に、次々とオリジナル作品を発表されています。彼の代表的作品のほとんどは、この期間に発表されたものです。

1959年に、アメリカのレクチャー・ツアーで各地を訪れ、その後、マジック界から徐々に遠ざかってゆきます。それとは逆に、彼の知名度はマジック界で次第に膨らんでゆきます。レクチャー・ツアーにより、アメリカのマニアに与えた影響はかなり大きかったようです。そして、1960年のダイ・バーノンのモア・インナー・シークレットの本の中のツイスティング・エーセスに使われたカウントが、その後、エルムズリー・カウントの名称で呼ばれるようになります。さらに、エルムズリーの知名度が高くなります。

10年近くマジック界から離れていたにもかかわらず、1972年、アメリカのアカデミー・オブ・マジカル・アーツからクリエイティブ・フェローシップの賞を授与されます。1950年代に彼が創作したいくつかの原理や作品が、その後のマジック界に、大きな影響を与え続けていたことが、受賞の理由ではないでしょうか。この頃より、少しずつ雑誌への掲載が再開されるようになり、マジック界に戻ってきます。そして、「ダズル」と呼ばれる一連の手順を完成させ、イギリスのレクチャーの後、1975年には、アメリカ・ツアーで各地をまわります。このツアーにより、マニアの間で、さらにエルムズリー熱が上昇します。ところが、それとは逆に、この後、1995年までの約20年間、マジック界から、再度遠ざかってしまいます。

その後、マジック界に登場するのは、1995年の仕事の引退後です。1996年には、アメリカでレクチャーが行われ、97年には、上記のように来日されています。そして、97年にはビデオ4巻が発売されました。この再登場のきっかけは、仕事の引退があげられます。しかし、もう一つ、大きな影響を与えたと考えられることに、91年と94年にスティーブン・ミンチにより書かれた2冊のエルムズリーの本の発行があげられます。すばらしい出来ばえの本であり、これにより、多くのマニアからの要望と、本人もやる気を起こさせるきっかけとなったのではないかと考えられます。

エルムズリーの本が発行されるまでの経緯

1991年に"The Collect Works of Alex Elmsley Vol.1"が発行され、94年にはVol.2が発行されています。どちらも、著者はスティーブン・ミンチで、400ページを超える厚い本になっています。

Vol.1の冒頭には、発行者のLouis Falangaによる、本が発行されるまでの経緯が2ページにわたり紹介されています。これをみますと、胸が熱くなる思いがします。まず、著者であるスティーブン・ミンチの功績の大きさがあげられます。さらに、それに加えて、多くのエルムズリー・ファンの協力により、すばらしい本になったことが分かるからです。

ことの起こりは、1975年のエルムズリーのレクチャーの音声テープを文書化したものを元にして、本として発行しようという企画が、L&L社のLouis Falangaに持ちかけられたことでした。これは、1987年9月のことです。そして、ラリー・ジェニングスとダイ・バーノンを通じて、エルムズリーを説得してもらい、正式に文書での同意のサインを得られたのが、87年12月でした。後で分かったことですが、同意の条件として、本の制作に関しては、かかわりをもたないということだったようです。当時、エルムズリーは仕事やその他のことで、マジックにはかかわっていられなかったのかもしれません。

1988年1月には、著者としてスティーブン・ミンチがもっとも適任であるとして依頼されます。そこからが、スティーブン・ミンチを中心とした活躍のすごさです。エルムズリーのレクチャーに関する多くの資料を集め、エルムズリーがこれまでに発表した各文献での作品の解説も手に入れました。何人もの協力があってのことです。それだけでなく、もっとすごいことは、エルムズリーの未発表の作品を、イギリスのエルムズリーの身近なマジック仲間や、その他のマジシャンにコンタクトして、譲り受けたことです。貴重な資料が多数あったようです。その結果、1989年には、完成間近のかなりのボリュームの原稿が出来上がりました。これをエルムズリーに送ったのです。

しばらくして、考えてもいなかったクリスマス・プレゼントが、スティーブン・ミンチの元へ届けられます。エルムズリー本人より、未発表の33作品もの解説が送られてきたからです。それだけでなく、1990年の初め頃には、追加の作品が次々と送られてきました。スティーブン・ミンチは、これらを全て本に含めたいと熱望し、この段階で、一冊の本では収まりきれなくなっていました。そして、2冊に分けることが決定されます。

予想をしていなかったエルムズリーの協力を得られたのも、エルムズリーが受け取った原稿が、彼の予想を遥かに超えた、すばらしい内容のものであったことを物語っています。エルムズリーの友人や多くのファンの好意的な協力と、スティーブン・ミンチのエルムズリーの本への情熱が生み出した成果だといえます。その後の本の校正やチェックに、アメリカの有名マジシャンが多数かかわって、協力を惜しまなかったことが記されています。

エルムズリーのビデオ、DVDより

1997年にビデオ4巻、そして、同じ内容で、2003年にDVD4巻が発売されています。各マジックについて書きたいところですが、かなりの量になりますので、印象に残った点だけの報告とさせて頂きます。

第1巻の最初には、エルムズリー・カウントとそれを使った作品が演じられています。エルムズリー自身の本来のカウントが、どのようなものであったのか、ビデオでは本人が実演されていますので、一度は見ておく価値があります。

私ももっとも興味のあったところです。そして、もっとも驚かされたマジックが、第4巻のラストの「カップ・アンド・ボール」です。少し変わった考え方の手順で、クライマックスとして塩が出てくることは知っていましたが、このような結末になるとは思ってもみませんでした。あまりにも予想外の結末であったため、これは、最近になって加えたものだと思ってしまいました。ところが、調べますと、1991年のエルムズリーの本だけでなく、1968年の"Pallbearers Review"にも、そのことが記載されていることが分かりました。これは、1957年のレクチャー・ノートを再録されたものであり、当時から、そのように演じられていたようです。

もう一つ、面白い結末の作品が、第3巻の「ストレインヂ・ストーリー」です。「してやられた!」という気持ちです。しかし、それが気持ちよいのです。セカンド・ディールをうまく使った作品で、1991年の本のラストをかざる作品として解説されていました。

ところで、ビデオにより、本人の演技を見ていて、興味深い点がありました。本の解説では省略されています、おまじないの操作(マジカル・ムーブ?)を、 エルムズリー自身がどのように行っていたのかが、よく分かったことです。マニア相手では、照れておろそかになりがちですが、一般人相手には、この操作は重要です。「ポイント・オブ・デパーチャ」、「ビトウィーン・ユア・パーム」、「1002番目のエーセス」を見られる時には、この点にも注目して頂ければ面白いと思います。

エルムズリーによる本人の作品の改案

ビデオには、1950年代のエルムズリーの代表的カード・マジックが4作品とも実演されています。この4作品は、多くの人により、様々な改案が発表されています。しかし、上記でも触れましたが、本当の意味で改案となっているのは少ないといってもよいでしょう。ところで、ビデオでエルムズリーが演じている方法は、本と比べますと少しずつ違いがみられます。そして、それらが私にとっては、納得のゆく改案となっています。「さすがは、エルムズリー!」と言いたくなります。

まずは、「ポイント・オブ・デパーチャ」です。1953年の原案では、ダブル・フェイスを1枚使用しています。ところで、多くの人はレギュラー・カードで行う方法で改案しています。これは、1959年のレクチャー・ツアー時に、エルムズリーがレギュラー・カードを使う方法も演じたからだと思われます。こちらの方法は、1994年の本が発行されるまで、解説されることがありませんでした。他の人の改案作品ばかりが、先行していたわけです。本をみますと、やはり、エルムズリーのすばらしさが分かります。ところで、ビデオでは、それ以上に改善されています。2枚のジョーカーの扱いと、それらの間へ客のカードを差し込む部分がシンプルになっているのです。さらに、最後の段階で、デックを客に持たせています。客の手の中で、不思議現象を起こしています。この方が効果が大きいと考えられます。

同様な改善は「1002番目のエーセス」でもみられます。これは、1957年の原案に比べ、91年の本の段階で、すでに、客が選んだパケットを客の手に持たせる方法に変えています。客の手の中で、4枚がフォーエースに変わったように見えます。それだけでなく、客の手の上へ置くことの利点は、客が選んだパケットを、わざわざデック上に置いてあらためる操作が、不自然ではなくなることです。さらに、ビデオではシークレット・アディションの部分が変えられています。古くからある簡単な方法で、この方法も実践的で悪くないと思いました。

「ダイヤモンド・カット・ダイヤモンド」は、ダイヤのAから10を順番にテーブルへ表向きに配る中で、客の指定カードだけ、裏向きに配っています。この裏向きカードが、客のカードに変わります。そして、94年の本では、クライマックスとして、消えてしまったダイヤのカードをポケットから取り出しています。ダイヤのカードをワレットや封をした封筒から出すことも可能ですが、本来の現象を弱めることになり、勧められないと本では書かれています。私の考えでは、客のカードを出現させた後は、何も現象を起こさないのがベストだと思っています。つまり、ポケットからの取り出しも、必要ないと思っていました。ところで、ビデオでは、客のカードの出現が最後になるように変えられていました。客のカードを現すより、すぐ前で、デックの中から、客が指定したダイヤのカードの方を先に出現させていました。

「ビトウィーン・ユア・パーム」の場合は、それほど大きな変更はありません。しかし、第1の客のカードを、ポケットから引き出して表を示す方法が少し違っています。本では半分程しか引き出していませんが、ビデオでは、ポケットから完全に取り出しています。さらに、2枚目のカードは、右手ではなく、左手にパームして、ポケットから取り出していました。

エルムズリーの1995年以降の発表作品

1996年には、コンピューターを使ったマジックとして「マウス・マジック」が発売されています。作品集としては、1996年のラスベガスでのレクチャー・ノートに8作品、そして、1998年度版"Come A Little Closer"には3作品の新作マジックが発表されています。その他、イギリスのマジック誌やアメリカのGenii誌にも、時々、作品が掲載されています。最近のGenii誌では、2005年8月号に「四次元カード」のタイトルで、ビジュアルな小品が解説されており、2006年2月号には、「コスキー・スイッチの改案」が発表されていたところでした。

あとがき

ダイ・バーノンは98才で亡くなりましたが、エルムズリーは、まだ、76才です。そして、まだまだ、新たな作品を発表している最中でした。その点が悔やまれます。しかし、これまでに多くのすばらしい作品を、我々の為に残されました。そして、何度も繰り返しますが、ほれぼれするメカニズムの原理を残して頂きました。今後、これを大いに活用して、すばらしい作品を作る決意を新たにしたところです。


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