• HOME
  • カードマジック
  • コインマジック
  • 日用品・雑貨
  • マジック基本用具
  • DVD
  • 書籍
  • ムービー

コラム

第103回 小さくなるトランプ(デミニッシングカード)の歴史と意外性(2021.12/18 up)

はじめに

日本のマジック界に多大な影響を与えたマジシャンとして石田天海氏はあまりにも有名です。その天海氏が1966年の中部日本放送の「天海のおしゃべりマジック」で、「小さくなるトランプ」を演じられています。ボブ・ハスコの方法を天海の独特のハンドリングで演じられ、特に小さくなった最後のカードの消え方が見事としか言いようがありません。天海氏は1924年から1958年までの34年間アメリカで活躍し、帰国後は日本のマジックの発展のために貢献されました。

その天海のマジックを、今年の4月より毎週火曜日に一つずつ取り上げて紹介しています。天海フォーラムを主催されたMN7(マジックネットワークセブン)のホームページです。海外や日本で発表されていた天海のマジックの特徴とその背景、そして、その後の経過などを報告しています。その25番目の作品として取り上げたのが「天海の小さくなるトランプ」で、天海の独特な方法を紹介しました。

小さくなるトランプの方法やタネカードの歴史を調べますと意外なことが分かってきました。最も大きな驚きが、そのマジックの最初が「カード・アップ・ザ・スリーブ」の登場と同時であったことです。1868年のフランスのロベール・ウーダンの本に初めて「カード・アップ・ザ・スリーブ」が解説されますが、そのすぐ後で「小さくなるトランプ」も初めて解説されます。カードが袖を通過できる理由として、カードの大きさを変えることが出来るからであると説明して演じられました。1920年代までの「小さくなるトランプ」を解説した本では、ほとんどでその説明が使われ、その前に「カード・アップ・ザ・スリーブ」も解説されていました。

また、ウーダンの本ではレギュラーのデックを使って大きくしたり小さくしていますが、1887年のフランス語の英訳の本では、タネを使った方法で解説されています。この頃から既に現在の方法に近いタネであったことが意外でした。そして、これら両方の考えを使って、うまくシンプルに完成させていたのが、1902年のラング・ネイル著”The Modern Conjurer”の本です。今回は、特に最初の頃の変化を中心に報告させていただきます。

最初のロベール・ウーダンの方法

1868年にフランス語のウーダンの本が発行されますが、1877年には英国のホフマンが英訳して”The Secrets Conjuring and Magic”のタイトルで発行されます。「カード・アップ・ザ・スリーブ」に続けるマジックとして”The Cards Made Larger and Smaller”のタイトルになっています。セリフとして、多くの人がカードで袖を通すのは難しいと思っていることや、カードがインド製のゴムでできているので伸び縮み可能なことを説明しています。

デックを普通にファンに広げて閉じた後、デックを少し引き上げてファンに広げると少し大きいファンになります。それを閉じた後で小さくも出来ると言って、トップエンドを押さえて手の中へ少し押し込み、ファンに広げると小さいファンになります。さらに、押し込む操作を行って広げると、かなり小さいファンになります。全てを左手に押し込んだ時にデックを右手にパームして、左手は見えないほど小さくなったファンを持っている手の状態にします。右手はデックをパームしたまま、テーブルのお盆を取り上げ、左手はその上でカードをこすり落とす操作をします。

最後の部分の別の方法として、ミニチュアのデックにすり替えて、本来のデックは右手にパームして、ミニデックを示している時に秘密のポケットへ処理することも書き加えられていました。ミニデックはおもちゃ屋さんで売られているかなり小さいデックで、そのコーナーの一つをリベットして、ファンに広げるのが可能な状態にしています。

タネカードを使う最初の解説

19世紀後半には、既にタネカードによる商品が販売されていたようです。タネカードを使った方法が英語の本で最初に解説されたのは、1887年の”Drawing-Room Conjuring”かもしれません。これはフランス語のマジック書を英国のホフマンが英訳された本です。1枚の普通サイズのカードが半分に折りたためるようになっており、その半分の後部に、半分サイズのデックが取り付けられています。そして、1つのコーナーを糸によりつなげられ、ファンに広げることができます。さらに、糸でつながれたもっと小さいサイズのデックと極小サイズのデックも、普通サイズカードの裏に隠されています。つまり、日本で一般的に知られているものに近い状態ですが、小さい2つのサイズが他のカードの後部で止められていない違いがあります。また、デックと書かれていますので数枚のカードではなく、かなりの枚数が使われていたと考えられます。

左手に普通サイズのカードを表向きで持ち、この上へ2枚か3枚の普通サイズのカードを重ねて演技が開始されます。カードの表を示し、上のカードを1枚ずつ2枚か3枚を客席へ投げて、普通のカードであることを見せます。その後、両手を使ってデックを圧縮する操作により、タネカードを半分に折って小さくしてファンに広げています。最後の極小サイズを広げて示している間に、それまでに使ったデックをパームして、カードをサーバントかProfonde(秘密のポケット)に処理しています。最後には極小サイズも右手にパームして、テーブルのお盆を取り上げ、左手の見えないほど小さくなったカードを盆の上へこすり落とす操作をします。この本には「カード・アップ・ザ・スリーブ」の解説がなく、小さくなるカードを単独で書かれていたのが特徴的です。

1889年のTricks With Cardsの本での方法

これも英国のホフマンの本ですが、上記の2冊はフランス語の翻訳本であったの対して、ホフマン本人がまとめたカードマジックの本です。1887年のタネカードを使う方法をウーダンの「カード・アップ・ザ・スリーブ」に続けるものとして解説されています。テーブルにセットしたカードが準備されています。1887年の解説との違いは、極小のデックだけは別にして、ポケットに入れていたことです。また、最後はお盆を使わず、単に指でこすり落とす操作があるだけです。

この本には、さらに改良した方法も簡単に紹介されています。各種の大きさのデックを糸で繋いだり、他の大きさのカードの後部に取り付けたりせずに、それぞれが独立した小さいデックとして使うことを提案しています。扱いが少し難しくなりますが、全てのカードがバラバラであることを示したり、いつでも客に渡して調べさせることができる利点が書かれていました。

1890年のMore Magicの本での方法

上記3冊の本も全て英国のホフマンが関わった本ですが、その中で解説した方法をまとめた内容になっています。まず、ロベール・ウーダンのレギュラーデックでの方法を簡単に解説され、次に1887年のタネカードを使った方法を紹介しています。そして、最後に、各種小さいサイズが糸で止められず、独立したバラバラのカードで行う方法を具体的に解説しています。3種類の小さいサイズの12枚ほどのカードを、それぞれウエストバンド(腰に巻いた幅のある帯状のバンド)に挟んでセットしています。

最後の方法では、普通サイズのデックでウーダンの方法を行い、少し小さいサイズにして広げるところまで演じます。これを右手に持って示している間に、ウエストバンドから左手で半分サイズのカードをロードします。不要になったカードは、右手にパームして秘密のポケットへ処理しているのですが、その後もさらに小さいサイズで同様に行い、次々と小さくなるのを見せています。

1902年のLang Neil著”The Modern Conjurer”の方法

チャールズ・バートラムの”The Diminishing Cards”のタイトルになっています。バートラムは当時の代表的マジシャンで、この本は写真を結構使って分かりやすく解説されています。そして、特徴的なことが5枚のカードで演じられていたことです。また、具体的で実践的な方法でもあり、日本に大きな影響を与えていたと考えられます。この方法では、小さいサイズの5枚の一方のエンド中央を糸でつなぎ、さらに、もっと小さい5枚も同様につないで、この2つを左ズボンのポケットへ入れています。

「カード・アップ・ザ・スリーブ」が終わった段階で、デックをテーブルへ置き、このカードが伸び縮みできることを話します。左向きになって、テーブルの普通サイズのデックから1枚ずつ5枚を取る時に、左手はポケットへ入れて2つのタネカードをパームし、その上へ普通サイズカードを置くことになります。タネカードが2つしかないので、2回しか大きさが変えられないと思ってしまいますが、普通サイズと次のサイズのカードでは、半分の長さにしてファンに広げることも行なっていました。1つのサイズのカードで、2種類の大きさに見せることができ、結局は4段階に小さくなる変化を見せて、その後は見えない状態にして消しています。

不要になった右手にパームした普通サイズのカードの処理は、テーブルのデックから1枚を取り上げる時に、パームした5枚をデックへ戻して、トップの1枚だけ取り上げています。そのカードで小さくなったカードとの大きさの比較に使います。次のサイズのタネカードの処理は、左手の小さくなったカードを客に向けて示す時に、右手にパームしたタネカードを秘密のポケットへ入れています。最後の小さい5枚は右手に持って、左手に取ったように見せて、右手はウォンドを取り上げ、左手へおまじないをして消しています。

1922年 デビッド・デバントの方法

タネのカードとして小さい3種類のサイズで5~6枚ずつを使って演じられます。最も小さいサイズ以外の2つのサイズの後部には、2枚を貼り合わせて少し幅のあるゴムをつけています。そのゴムに1つ小さいサイズのカードを止めています。つまり、3つのサイズを1つの束にできるわけです。これを左ズボンのポケットに入れています。

「カード・アップ・ザ・スリーブ」の演技を行うのですが、この頃は19世紀の方法と大きく変わり12枚が使われ、1枚ずつ左袖を通って右ズボンのポケットから取り出す演出になっています。最後には右手で右膝の後部より取り出すのですが、その時に左手は左ポケットへ入れて、タネカードの束をパームして取り出します。そして、この上へ右手の普通サイズの1枚を乗せてタネをカバーします。テーブルから数枚を取って左手のカードの上へ重ねて、ファンに広げています。この後、さらに小さいサイズのカードでファンに広げますが、その度にテーブルから普通サイズのカード1枚を取り上げて大きさを比較して、小さくなったことを示しています。この操作の時に、不要になったパームカードをサーバントなどへ処理することになります。

その後の発表

著名なマジック書や雑誌の発行が英国からアメリカへ移り変わります。特に1930年代中頃からのヒューガードの活躍が目立ちます。数冊の本に小さくなるトランプが解説されますが、彼の場合にはウーダンを元にしたレギュラーデックを使う方法が中心です。1935年の彼の「カードマニピュレーション4」の本では、大きいファンを作るためにストリッパーデック使う方法が解説されますが、小さくする部分ではウーダンの方法とほぼ同じです。1938年のヒリアード著「グレーターマジック」の編集を担当したのもヒューガードです。その本ではジャンボファンの解説でフェロウシャフルが使われ、小さくなるファンではウーダンとほぼ同じでした。

1941年のヒューガード著「モア・カードマニピュレーション4」では2つの方法が解説されます。1つはウーダンの方法を少し改良したものや、ル・ポールのアレンジが解説され、2番目としてチャーリー・ミラーの2つのサイズの小さいデックをレギュラーデックの後部に隠して演じる方法が解説されていました。1948年の「ロイヤルロード・ツー・カードマジック」の本もウーダンの方法を元にしたものでした。

タネカードは商品販売が中心で、初期のシンプルなもの以外では幾つかの特殊なタイプが発表されています。アル・ベーカー、ボブ・ハスコ、エドワード・ブラウン。エドワード・ビクター、トミー・ワンダーなどの考案があります。それぞれが独特ですが、中でもトミー・ワンダーの方法は、ファンにしたカードを片手に持って広げたままで、カバーなしで次第に小さいファンになる奇妙さがあります。それぞれの方法が、かなり後になって本にも解説されますが、その書名に関しては下記の参考文献を参照してください。

日本での発展

2020年発行の「近代日本奇術文化史」では、421ページに天洋氏が1906年に「ミジンカード」(微塵カード)の名前で演じられたことが報告されています。天一一座の興行で当時は天松の名前で演じられました。1935年には、「天洋奇術材料カタログ」にも掲載され販売されていたことが分かっています。街頭の奇術師の佐藤喜久治氏はこの奇術の名人で、高木重朗氏が昭和12年の小学1年生の頃に見ています。その数年後には親しい関係になり、その方法を教わったそうです。1971年の奇術界報363号には、それを少しやさしい方法に変えて、日本奇術連盟の商品を使って解説されていました。タネの部分は針金ホルダーによるシンプルな作りになっています。不要になったカードの処分ではポケットが使われ、ポケットに手を入れる理由として普通サイズのカードを取り出して、小さくなったカードとの比較に使われます。

1943年(昭和18年)には坂本種芳著「奇術の世界」が発行され、ポケットではなくテーブルの上の帽子が使われていました。帽子に不要になったカードを処分し、普通サイズのカードを取り出しています。1956年の長谷川智著「奇術の鍵」(1983年「奇術の中心」として再編集発行)では、帽子にウォンドを入れて、おまじないのためにウォンドを取り上げる時に不要カードを処分していました。また、1970年の石川雅章著「奇術と手品の習い方」では、魔法の粉を取り出す理由でポケットに手を入れ、それをカードに振りかけておまじないをする解説になっています。

そして、天海氏の方法が、1996年発行の「天海IGP. Magicシリーズ」に「天海とハスコのジミニシングカード」として解説されています。特に最後の小さくなったカードの消失が独特で、ラムゼイ・サトルティー的な方法が使われています。それに対して1971年の奇術界報の解説では、親指を使った効果的な消失が使われていました。なお、「近代日本奇術文化史」には、力書房から昭和30年代発売のカードの裏側に箱型のケースを取り付けた商品のことが紹介されています。現在では、その改良版ともいえるカードの後部をポケット状にした方法がよく知られていますが、そのような方法の考案者や使われ始めた時期の調査が不十分であったことが心残りです。

おわりに

今回は19世紀後半から20世紀初めにかけて発表された解説が中心となりました。その後の特殊なタネカードを使った商品についての詳しい紹介は外しました。かなり複雑になるからです。日本では5枚ほどのカードを使う方法が中心で、街頭奇術師やマジック店のディーラーにより販売されていました。1970年代の大阪でよく聞いたことが、ディーラーになるには、小さくなるトランプをうまく見せることができて一人前だとの話です。ステージのマジックとしては、最初に発表されたウーダンの方法を少し改良したレギュラーカードを使う方法が中心になっています。現在では、カードを絡ませた巨大ファンにした状態から始まり、次第に小さくして、最後は消失させた後で再現させる演技をよく見かけます。ステージのカードマニピュレーションの基本になっているように思います。

天海の方法については、MN7のホームページで発表していますので参考にして下さい。参考文献に関しては、ここで取り上げた作品や代表的なものだけにさせて頂きました。

参考文献

1868 Robert Houdin Les Secrets de la Prestiditation et de la magie
1877 Hoffmann The Secrets Conjuring and Magic(上記英訳)
1887 Hoffmann Drawing-Room Conjuring The Elastic Cards
1889 Hoffmann Tricks With Cards The Diminishing & Dissolving Cards
1890 Hoffmann More Magic The Diminishing & Increasing Cards
1902 Lang Neil The Modern Conjurer The Diminishing Cards
1920 Ellis Stanyon Card Tricks The Diminishing Cards
1922 David Devant Lessons in Conjuring The Diminishing Cards
1935 Hugard Card Manipulations 4 Expanding & Diminishing Cards 
1938 Hilliard Greater Magic Diminishing Card Fans Giant Fan
1941 Hugard More Card Manipulations 4 LePaul, Charles Miller
1943 坂本種芳 奇術の世界 小さくなるトランプ
1948 Hugard & Braue The Royal Road to Card Magic
1956 長谷川智著 高木重朗編集 奇術の鍵 小さくなるトランプ
1970 石川雅章 奇術と手品の習い方 小さくなるカード
1971 高木重朗 奇術界報 363 小さくなるカード
1973 Trevor H. Hall The Card Magic of Edward G. Brown
1995 Edward Victor The Magic of Edward Victor’s Hands Diminishing Pack
1996 Tommy Wonder The Book of Wonder Vol.2 The Snail’s Progress 
1996 風呂田政利 天海IGP. Magicシリーズ 天海とハスコのジミニシングカード
2003 Al Baker The Secret Ways of Al Baker Diminishing Cards
2015 宮中桂煥 図解カードマジック大事典 小さくなるカード
2020 河合勝 長野栄俊 森下洋平 近代日本奇術文化史 ミジンカード


pagetop
当サイトは日本ベリサイン株式会社の認証を受け、SSL暗号化通信を実現しています。