サイドウォークシャフルはフレッド・カップスが演じたことにより、英国のケン・ブルックのヒット商品となりました。4枚のカードを使った3カードトリックとして知られています。この元になるサイドウォークシャフルの商品はマーティン・ルイスの考案ですが、さらに、その考案の元になったのがジョー・ライディング考案商品で、ケン・ブルックから発売されていました。そして、それにもフレッド・カップスの改良が加えられ人気商品になっていたようです。問題はこれらの商品の発売年が分かりにくく、現在では間違った年数のままになっていたことです。なお、サイドウォークシャフルの原案者も現在ではマーティン・ルイスとされていますが、英国のケン・ブルックから発売されたフレッド・カップスのサイドウォークシャフルでは、ジョー・ライディングが原案者となっていました。原案者を誰にするのかは難しい問題があります。 サイドウォークシャフルが考案された頃の歴史については、1985年に発行されたマーティン・ルイスの本の記載を参考にされて書かれたものが多い印象があります。しかし、ケン・ブルック側と比べてかなりの違いがありました。特に、マーティン・ルイスの本では元になるジョー・ライディングのeffect(効果)とは全く違うと書かれていたことには驚きました。2作品の効果がほとんど同じであることが、ジョー・ライディングの商品を調べて分かったからです。さらに、マーティン・ルイスのサイドウォークシャフルとフレッド・カップスの方法についても調べ直しました。そして、これらと関わりのあるフラッシュトレーションカウントについても調べました。このカウントの歴史も複雑な問題がありました。その前に、前回のコラムで紹介しました「コインの穴を貫通する玉」のトリックの原案が分かりましたので、そのことから報告を始めることにします。
前回のコラムを掲載の後、ゆうきともさんより1986年発行の高木重朗著「トリックの心理学」(講談社現代新書)に調査の参考になる記載があるとの連絡をいただきました。その本には高木氏が英国のケン・ブルックの店を訪れた時に、この現象の商品を見せられて購入されたことが書かれています。ホテルで開封しますと、解説書とパチンコの玉のような金属製の玉が入っているだけであったと報告されていました。現象で見た通りに行うとできるわけです。この情報により、私の調査方法の間違いに気がつきました。本や雑誌のマジック解説を中心に調べても見つからなかったわけです。商品の場合には、本人がレクチャーノートか何かに掲載されない限り解説されることがほとんどないと思います。日本の本に次々と解説されたのは特別なケースです。そこで、1968年に日本で紹介される以前のマジック誌の広告欄を徹底的に調べることにしました。
ケン・ブルックのその頃のカタログがあればよいのですが、カタログがありません。さらに、各マジック誌もケン・ブルックの広告はたまにしか掲載されていない状況です。それでも探しますと、1965年11月号のLinkinng Ring誌に掲載されていました。ケン・ブルックではなくU.F.Grantの店の広告に、この一回だけの掲載です。さらに、The New Tops誌の1966年1月号にも同じ広告がありました。それ以外では見つかっていません。Paul Henneの考案で商品名は”Fall Out”です。その広告では現象が詳細に書かれ、いくつかの分かりやすいイラストも描かれていました。ギミックもすり替えもなく、全てを調べさせることができると書かれて、1.5ドルの価格がついていました。この詳細な広告通りに行えばできるので、これが商品になるのか疑問に感じてしまいました。
サイドウォークシャフルは4枚のカードを使った3カードトリックです。3枚のジャンボカードで3カードモンテを行うのですが、当てるべきカードが4枚目の余分な1枚と入れ替わる現象です。3段構成で3段目で意外な結末となります。ブランクカード3枚とクラブ(またはハートやダイヤ)のAの1枚が示され、1枚のブランクカードを裏向けてテーブルの上か上着の襟に挟みます。残りの2枚のブランクカードの間にクラブのAを挟むのですが、このAが消失して3枚ともブランクカードになり、テーブル(襟)のカードを表向けるとAになっています。2回目も同様な現象が繰り返されます。3回目も同様に行いますが、手に持っている3枚が全てAになり、テーブル(襟)のカードがブランクのままであることを示して終わります。
1985年発行のマーティン・ルイスの作品集「マーティン・ミラクル」では、1971年に全てが始まったと書かれています。ケン・ブルックからジョー・ライディングの商品を購入し、それを改良してサイドウォークシャフルを考案したと報告されていました。そのために、その後の考案年の記載が1971年と書かれたものばかりとなっています。ところで、ケン・ブルックから販売されたジョー・ライディングの商品の解説では、1972年の夏にオリジナルの商品を販売し、そのしばらくした後でフレッド・カップスのハンドリングを加えた解説に変えたことが報告されています。つまり、サイドウォークシャフルの1971年考案はありえないわけです。早くても1972年秋以降の考案となります。なお、マーティン・ルイスの本の著者は彼の父親のエリック・ルイスで内容が素晴らしく、多くのマニアに影響を与えた本です。そのためにこの本の記載がそのまま使われているようです。ジョー・ライディングの商品はかなり長い名前で、”The Only Three Card Trick in The World Using Four Cards”となっていました。その後は短くして”The Only Three Card Trick with Four Cards”とも呼ばれています。商品名としてはもっと短くすべきであったと思います。その後、ライディング自身の改案が発表されていますが、そこには「アイリッシュ・3カードトリック」と書かれていました。こちらの方が広く伝わりやすく、最初からこの名前であれば、サイドウォークシャフルはそれのギャフカード版として知られる状態になっていたかもしれません。
マーティン・ルイスの本には、ジョー・ライディングの商品を改案したサイドウォークシャフルを100セット製作し、1セットと演技映像をつけてケン・ブルックの店へ送ったと報告されています。その返信では、とても面白いが、商品として向いていないと書かれ、しかたなく自分で販売することを続けたそうです。私がマジック雑誌の広告欄で調べた範囲では、サイドウォークシャフルの最初の広告は、1973年5月号のLinking Ring誌でHank Moorehouseの広告欄に1回だけ大きく掲載されていました。その後の数年間、サイドウォークシャフルの広告を見ることがありませんでした。どの程度売れていたのかは不明です。
ケン・ブルックから発売されたジョー・ライディングの商品やカップスのサイドウォークシャフルの商品の解説の冒頭を読みますと、マーティン・ルイスの商品販売を断った理由がなんとなく理解できます。ライディングのこの商品にフレッド・カップスの考えが加わったことにより、いっそう魅力的な商品となり、その販売に集中したかったようです。また、マーティン・ルイスの方法では、カードを置いたり取り上げたりが多い点でも問題を感じていたようです。ライディングの商品はカップスの改良により、評判もよく、販売成績も良かったと報告されています。冒頭での記載は、このオリジナルの方法は1972年の夏に商品化され、その週間後にフレッド・カップスの家を訪れ、この商品を見せると強い興味を持たれたそうです。数週間後のカップスからの手紙に改良した方法が書かれており、それを元にした方法で1972年に英国Margateで開催されたIBMマジック大会で商品の実演をすると、ちょっとした話題になったと報告されています。Margateでの英国IBM大会は1970年でも71年でもなく、72年9月27日から10月1日まで開催されていたことからも、ライディングの商品販売年は1972年で間違いないことがはっきりしました。つまり、サイドウォークシャフルの考案は1972年の10月以降ではないかと考えています。
1985年のマーティン・ルイスの本では、サイドウォークシャフルはジョー・ライディングの商品を元にしたと報告されていますが、イフェクトもマニピュレーションも全く違うと書かれていました。そのために、私はライディングの作品にはそれほど興味を持ちませんでした。その後、宮中桂煥氏と会ってサイドウォークシャフルの話になった時に、その元になるジョー・ライディングの作品の話になりました。高木重朗氏のお気に入りのマジックで、宮中氏も何度か演じられていたとのことでした。その後、ライディングの商品の解説を頂いて読みますと、サイドウォークシャフルの3段階の構成の状態も全体の効果も同じであったことに驚きました。前記の「サイドウォークシャフルについて」の記載で、ブランクカードとクラブのAを数のカードと絵のカードに置き換えると、そのままライディングの商品の現象となります。ライディングの方法は同じ絵カード2枚と同じ数のカード2枚を使い、最初にカップスの改良によるエルムズリーカウントで3枚の数カードと1枚の絵カードを示しています。さらに、3枚とも同じカードに見せる部分では、3枚によるエルムズリーカウントの変則的な方法を使っていました。ただし、第3段の最後には、カップスによる改良版のフラッシュトレーションカウントが取り入れられ、3枚の表を公正に全面を示した印象を与えていました。この方法はケン・ブルックも絶賛されており、強烈なインパクトのある結末にしています。ストーリーの違いは、ライディングは子供の頃に見たお祭りでの老マジシャンのモンテマジックの話で、マーティン・ルイスは路上でのカードモンテの話となっています。ライディングの最後の部分では、怪しい横に置いたカードを指さして、そのカードを先に表向けている違いがある程度で、全体的に大きな違いが感じられません。どうして、効果が全く違うと書かれたのかが不可解です。
操作方法の違いでは、サイドウォークシャフルがかなり改善されています。そのために2枚のギャフカードを使っているわけですので、改善されていなければ意味がありません。サイドウォークシャフルはファンに広げて見せることができる利点があります。3枚ともブランクカードや3枚ともクラブのAに見せることができるようになりました。エルムズリーカウントを使わないので操作がかなり楽になった点では大きな改善です。サイドウォークシャフルの気になる点をあげますと、インデックスを手で隠す場合があり、そのことを考えた操作が必要となります。また、絵のカードが使えないために、絵と数のカードの場合に比べてブランクカードとAとの対比は弱く感じられることです。
マーティン・ルイスは1972年秋以降にサイドウォークシャフルを考案されたと考えられますが、その数ヶ月後にフレッド・カップスとすごした時にサイドウォークシャフルをプレゼントしています。カップスは興味を示しますが、1年以上それを使うことがありませんでした。1974年末にテレビ出演のために英国を訪れた時に、ケン・ブルックへサイドウォークシャフルの改良した方法を見せています。それを見て大いに気に入り、年末に再度カップスが英国を訪れて2週間滞在した時に、商品化が決定します。そして、1975年にフレッド・カップスの名前を大きく前面に出した商品が発売されます。カップスの名前の影響もあり、かなりのヒット商品となります。
二つの商品の違いは、マーティン・ルイスはクロースアップとしての使用で、普通のジャンボサイズのカードを使い、テーブルへ1枚のカードを置く方法で演じています。フレッド・カップスはステージやパーラーでも使えるように、カードのサイズはかなり大きいジャンボサイズを使っています。解説では1枚をテーブルへ置く方法で書かれていますが、立って演じる場合には、上着の襟やクリップをつけたマイクスタンドを利用することが紹介されています。カップスも立って演じることの方が多かったと思います。また、3枚のブランクカードをファンに広げた時に、遠方から見ると境界が分かりにくいためか、インデックスが書かれているべき部分にX印をマーカーペンで書き入れる演出になっています。後で消せるようにプラスチックコーティングされたカードが使われていました。そして、遠方からでも何のカードがトップからボトムへ回したのかが分かるように、ボトムに回してからパケットを立てて、カードの表をはっきりと示す操作方法にしていました。
ケン・ブルックからの商品の解説には、ジョー・ライディングを原案者として大きく取り上げ、マーティン・ルイスはそれを元にしてサイドウォークシャフルの商品を製作されたことが報告されていました。しかし、あまり良いようには書かれていませんでした。1981年にはケン・ブルック・シリーズの冊子が数冊発行され、No.4がカップスのサイドウォークシャフルで、その商品の解説が掲載されています。マーティン・ルイス側はケン・ブルックに不満があったのかもしれません。特にマーティン・ルイスのサイドウォークシャフルの販売を断ったのに、カップスが改案されたのを知ると、カップスの許可を得てカップスの名前を前面に出した商品にして、それがヒット商品になったことの不満もあったと思います。フレッド・カップスは1980年に死亡し、ケン・ブルックは1983年に死亡しています。1985年発行のマーティン・ルイスの本の著者である父親のエリック・ルイスは、それまでの不満も含めた記載になっているように思いました。その後の商品名は「マーティン・ルイスのサイドウォークシャフル」と書かれたものが中心となります。
1985年のマーティン・ルイスの本の解説では、何年もかけた多数の実演によりいろいろと改良され、ここで初めて新しい方法で解説されると書かれています。最初のマーティン・ルイスの商品の解説を読んでいませんが、ケン・ブルックが指摘されていたようにいろいろと問題があったのだと思います。85年度版では問題部分を削除しスッキリさせて、洗練された状態に改善されています。その後のマーティン・ルイスのサイドウォークシャフルは、ここで解説された方法が使われているようです。気になっているのは、改良版では1段目でフラッシュトレーションカウントが使われ、3段目で1枚の表を示している間に、他手の2枚の左右を秘かに入れ替える操作が使われていたことです。この二つの操作は1975年のカップス版で解説されていた方法ですが、マーティン・ルイスの最初の商品でも使われていたのか疑問に思っています。さらに、1985年の本での奇妙な記載が、フラッシュトレーションカウントの名前が使われていなかった点とその操作方法です。ラリー・ジェニングスのAll Alike Moveの名前で解説され、カップスの方法とは少し変えていたことです。カップスは1972年のライディングの改良版からジャンボカードによる効果的なフラッシュトレーションカウントを使っていましたが、マーティン・ルイスはそれを少し変えて、ジェニングスの方法として解説されていました。
フラッシュトレーションカウントは数枚のカードを右手で上からビドルグリップで持ち、手を返してボトムを示して左手に1枚取る操作を繰り返すカウントです。裏向きで行うと全てが同じカードに見せることができ、表向きであれば全ての裏を同じ状態で見せることができます。1969年に発売されたブラザー・ジョン・ハーマンのパケットトリック商品 "Flushtration" に使用されたムーブです。そのことから、フラッシュトレーションカウントと呼ばれるようになります。ところで、1985年のマーティン・ルイスの本では、ラリー・ジェニングスのAll Alike Moveと書かれていました。その理由を調べますと、1970年5月のGenii誌に解説されたジェニングスの「ルック・アン・イリュージョン」にその操作が使われていました。それ以前では、ジェニングスがこのようなムーブを使っていないことも分かりました。この作品は1970年12月発行の「奇術研究57号」や2015年発行の宮中桂煥著「図解カードマジック大事典」に掲載されています。そこで使われた方法は、フラッシュトレーションカウントを少し複雑に応用した使い方です。現在では、それよりも少し早い1969年の商品であるジョン・ハーマンの「フラッシュトレーション」の中で使われたカウントとして知られています。
さらに調べますと、パケットをビドルグリップで持って同様に行ったのは1955年のNorman Houghtonが最初のようです。これはIbidem No.1 Juneの”Color Blind”で使われており、この作品がジェニングスの「ルック・アン・イリュージョン」に使われた操作とほぼ同じであることも分かりました。両作品とも5枚の中央だけ別のカードで他は同じカードであり、次のカウントでその状態が逆になります。ジェニングスは最後に全く別のカード4枚にするクライマックスを加えており、その点でジェニングスらしさを感じました。ただし、いずれも中央のカードだけ別のカードに見せているので少し複雑になっています。それに比べてハーマンの商品の「フラッシュトレーション」はシンプルな使い方で、技法名としても使いやすい点で、このカウント名が使われるようになったのではないかと思います。ただし、ハーマンをこの技法の原案者とするのには問題があります。パケットの使用ではHoughtonが最初であり、デックでの使用では1938年のHarris Solomanが知られています。The Jinx No.44の”Nomolos”の中でヒンズーシャフルしながら手首を返して反対面を見せていました。さらに、もっと古い時代からコインを使って、それに近い操作が行われていました。1926(27)年のターベルシステム・レッスン37の「チャイニーズ・カラーチェンジングコイン」です。この作品は1930年代にアボットより商品化されたためか、その後のターベルコース7巻までには掲載されていませんでした。1993年のターベルコース第8巻(日本語版は1995年発行)になって解説されるようになります。
ところで、フラッシュトレーションカウントの名前の由来は、商品の "Flushtration" に使用されたことによりますが、これはFlushと(Frus)trationを合わせて新たに作られた名前です。ロイヤルストレートフラッシュの5枚の裏の色の変化によりフラストレーションを起こしそうになることから作られた名前ではないかと思います。このような英語は一般的には使われておらず、そのために、海外でも時々、Flustrationカウントと間違って書かれていることがあります。日本でも間違ったままフラストレーションカウントの名前が使われてきました。ただし、最近では本来の名前であるフラッシュトレーションカウントが使われ始めています。
今回のようにジャンボカードを使った方法はフレッド・カップスが最初のようです。しかも3枚をうまく使った巧妙な操作となっています。1972年のジョー・ライディングの商品のフレッド・カップスの改案から使われ、ケン・ブルックが絶賛していました。3枚のジャンボカードの右サイド下側を右手で持って行っています。特に素晴らしい点が、ボトムを見せて左手に1枚取った後、右手の2枚を起こして表を示す時に、トップカードを親指で右へ押して広げ、2枚の表が見えるようにしていたことです。その結果、3枚の表を公正に見せて、3枚とも同じカードであった印象を強く与えることができます。これはフレッド・カップスのサイドウォークシャフルでも使われていますが、この方法には技法名の記載がありませんでした。これを1985年のマーティン・ルイスの本では、カップスの右親指で押して2枚の表を見せる巧妙な操作をあえて使っていないようです。カップスの名前をクレジットしたくなかったためか、ジェニングスの方法としてジャンボカードの右サイド下側を持って、単にフラッシュトレーションカウントのように行っていました。ジェニングスがジャンボカードで最初に行ったわけでもありません。ハーマンでもカップスでもなく、ジェニングスをクレジットしていた点が不可解でした。マーティン・ルイスと父親が1968年にカルフォルニアに移住し、ジェニングスから見せられた「ルック・アン・イリュージョン」に強い衝撃を受けたからでしょうか。
サイドウォークシャフルは40年以上前に指導を受けたことのあるマジックでした。その頃は多くの人が演じられており、私にとっても懐かしさのあるマジックです。この作品のことを聞かれて調べることになり、1985年のマーティン・ルイスの本に歴史が詳しく書かれていたので、それで十分だと思いました。そこに書かれていた内容により、ケン・ブルックに対する印象が少し悪くなってしまいました。ところが、その後、ケン・ブルック側の資料も読むことができ、1985年の本の記載の方が問題に思えてきました。また、ジョー・ライディングのマジックを調べたことにより、その商品やそれを改良した方法を45年ほど前に教わっていたような記憶が少しずつ戻ってきました。そして、35年前には私自身がイラストのカードを使ってジョー・ライジング風なマジックを演じていたことも思い出しました。それを解説した私の解説文も見つかりました。マジックランドで販売されていたジャンボカードの「ウサギと帽子のスリーカード・モンテ」にマジックランド社製の特別なスタンドを加えて演じていました。2枚のウサギカードと2枚の帽子カードが1セットになった商品です。この商品は本来の3カードモンテ風に繰り返して、最後に意外な結末になります。これをジョー・ライディング風に3枚の中から毎回ウサギが消える演出にして、最後には4枚ともウサギに変えていました。イラストがあるカードが好きで、この作品か「にんじんとウサギ」(マジックランド販売)を演じていました。
今回の調査をするまでは、サイドウォークシャフルが最初で、ライディングの作品のようにレギュラーカードで行う方法は、その改案だと思っていました。それが逆であることがはっきりと分かりました。ところで、1985年に発表されたLouis FalangaのVirginia City Shuffleでは、レギューラーの3枚のクラブのAと1枚のブランクカードが使われていました。ファンの広げ方により3枚のブランクとして見せることができ、最後は4枚を客に渡せる利点があります。ただし、少しシンプルにした方がよさそうです。サイドウォークシャフルは懐かしい作品となりましたが、現在でも効果的な現象です。客に当てさせる演出では、当たらない不満感やストレスを与える恐れがあります。セリフや演出を工夫して、当たりのはずのカードを演者が選ぶのがコツのようです。
最後にサイドウォークシャフルに関係した作品の文献一覧を掲載します。商品以外では普通サイズのカードが多くの場合で使われていました。また、最初の頃の経過も簡単に記載しました。