ダブルカット(ダブルアンダーカット)には謎がいくつかあります。ダブルカットはダイ・バーノンの考案で、1946年の「スターズ・オブ・マジック」の本の「カッティング・ジ・エーセス」の中で使われて有名になります。ところが、アイアランド考案でバーノンが有名にしたと書かれた本がありました。なぜそのような記載になったのでしょうか。さらに、もう一つの謎が、ほぼ同時期に発行のArthur Buckley著「カード・コントロール」の本にも同様なダブルカットが解説され、「Buckleyのダブルカッティングカードの方法」と書かれています。Buckleyが考案した方法のような記載ですので頭が混乱してきます。
そして、興味深いことがバーノンの本来の「カッティング・ジ・エーセス」ではダブルカットが使われていなかったことです。パケットの上へエースを置いて、1回カットするだけでした。2回のカットでは元に戻している印象を与えかねません。「スターズ・オブ・マジック」の本では、編集者の要望によりシンプルにできるダブルカットを使った方法が採用されたようです。
現在ではバーノンが考案者であることには変わりがないのですが、上記の気になる点を可能な限り調べました。その調査内容を報告させていただきます。
日本ではダブルカットと呼ばれていますが、海外の文献ではダブルアンダーカットの名前が使われることが多いようです。もちろん、ダブルカットの名前も使われています。アンダーカットとは、デックのボトム側のパケットをカットして、トップに持ってくる場合に使われる用語のようです。 Bart Whaleyのマジック百科事典でダブルアンダーカットを調べますと、アンダーカットを2回行い、ダブルカットとも言うと書かれています。ダイ・バーノンの考案で、1946年の「スターズ・オブ・マジック」の本の「カッティング・ジ・エーセス」の方法に使われていることが説明されています。さらに、この技法の元になるのは、1902年のアードネスの本で、バーノンはたぶんこれより影響を受けたと書かれていました。
ネット上でのGenii ForamのMagicpediaのダブルアンダーカットの歴史記載は上記とほぼ同じでした。なお、その方法として、1枚または数枚のカードをデックのトップからボトム、または、その逆へ持ってくるムーブで、2回のカットで行い、デックの残りの部分は同じ順序が保たれると解説されています。 また、ネット上のConjurig Creditsでは、ダブルカットの用語として解説されていました。その元になるのは1902年のアードネスのテーブル上で行う方法で、手に持って行うのは1922年(1921年の間違いか)のチャールズ・ジョーダンの方法と書かれています。そして、1946年のArthur Buckleyの「カード・コントロール」の本と、ダイ・バーノンの「スターズ・オブ・マジック」の「カッティング・ジ・エーセス」の中で解説されていることが報告されていました。 1988年のT.A.Watersのマジック百科事典では、ダブルアンダーカットの用語で、バーノンとBuckleyの両者により完成され、バーノンの「カッティング・ジ・エーセス」の中でうまく応用されているとの記載になっています。
1946年の「スターズ・オブ・マジック」のシリーズ2としてバーノンの4作品が発表され話題となります。1作品目が「トライアンフ」で2作品目が「カッティング・ジ・エーセス」です。この2作品目でダブルカットが使われるのですが、ダブルカットの用語は使われていません。トップの数枚をボトムへ移動させることに使われています。
右手でデックをビドルブリップに持ち、右親指はトップの数枚の内エンドをブレークしています。左手によりブレークの下の全てのカードを2回に分けてアンダーカットして、これらをトップに持ってきています。同時期に発表されたArthur Buckleyの方法では、デックの中央に右親指でブレークを保ち、バーノンと同じような操作でブレークの下のパケットを2回のアンダーカットでトップに持ってきています。 これらの方法の元になるのは、1902年のアードネス著”Expert at the Card Table”と考えられています。デックをテーブル上に横向きに置いて行なっているのですが、詳しい方法については1989年に浜野明千宏氏により翻訳された「プロがあかすカードマジック・テクニック」を参照してください。その本の108ページの1と2の項目で解説されています。トップカードがボトムへ移動し、下半分の順序は保たれますが、上半分は混ざってしまいます。
手に持って行う最初となるのが、1921年のチャールズ・ジョーダンの方法です。ボトムカードがトップにくる方法で解説されています。デックはほぼ横向きでヒンズーシャフルのように持って、ボトムカードを右エンド側へ少しジョグし、右手で2回のアンダーカットしています。2回目のアンダーカット時に、そのパケットの上へジョグされたカードを加えてトップへ持ってくることになります。1921年のジョーダンの解説は、数枚の大きな紙に多数の作品が印刷されていました。それを1947年に小冊子として新しくなり発行されています。
結局、アードネスの方法もジョーダンの方法もダブルカットの元になることが分かりましたが、バーノンやBuckleyの方法とはかなり違った印象のものでした。
最近の文献でダブルカットの考案者をアイアランドとしていたのはアルド・コロンビニとニック・トロストの本だけでした。2006年発行のコロンビニ著”Simply Impromp2”の最後の技法説明で、ダブルアンダーカットのクレジットがL.L.Irelandとなっていました。そして、ダイ・バーノンが1946年のスターズ・オブ・マジックのシリーズ2のNo.2のカッティング・ジ・エーセスでmagic fraternityへ発表されたことが書かれていました。fraternityは兄弟の間柄の意味がありますが、ここではマジック仲間といった意味でよいと思います。これとクレジットの仕方がほぼ同じで、magic fraternityの言葉も使っていたのが1997年発行のニック・トロスト著”The Card Magic of Nick Trost”のダブルアンダーカットのクレジットです。結局、コロンビニはトロストの本のクレジットをそのまま使っていることが分かりました。また、2008年のニック・トロスト著”Subtle Card Creations Vol.1”でのダブルアンダーカットのクレジットも同じ説明です。そして、ニック・トロストの本では、そのクレジットはガルシアの本によると書かれていました。
フランク・ガルシアは1972年に”Million Dollar Card Secrets”の本を発行され、1973年にはその続編となる”Super Subtle Card Miracles”を発行されています。1972年のMillion Dollarの本にはダブルカットの解説があり、その冒頭でダイ・バーノンが1940年代後半にマジック仲間に発表したことが書かれていました。なお、こちらではダブルカットの用語が使用され、magic fraternity(マジック仲間)の言葉が使われていました。そして、1973年のSuper Subtleの本では最後にAppendix(追加)の記載があり、2冊の本の技法や作品のクレジットを中心にして、かなり小さい文字で報告されていました。そこにはダブルカットの考案者がアイアランドとしてクレジットされていました。そして、バーノンのスターズ・オブ・マジックでポピュラーになったと報告されていました。アイアランドをクレジットしたのは、たぶんこの本が最初と考えられます。なぜそのような記載になってしまったのでしょうか。
1994年から96年にかけてカウフマン発行によるジョン・ラッカーバウマー著の”Facsimile”を4号まで発行されています。これはラッカーバウマーがこれまでに文書化され、発行されていなかったものをまとめた冊子です。その第2号には、1972年のガルシアのMillion Dollarの本の書評が、10ページにわたり掲載されていました。その書評を書いた年月が1972年3月22日で、ガルシアの本が発行されてすぐ後のようです。ほとんどの作品に原案者のクレジットがないことを厳しく指摘し、全ての作品のクレジットやマルローとの関わりの記載も加えられていました。その中で、ダブルカットに関しては、一般的にバーノンにクレジットされていますが、これはアイアランドの技法ですと言い切っていました。
ラッカーバウマーはマルロー派の代表者ともいえる存在ですので、多くのことでバーノンにクレジットされるのが不満であったのかもしれません。彼の10ページの書評はマルローやマルロー派の一部の人には配られた可能性があります。そのコピーをガルシアが手に入れられたか、または、直接、ラッカーバウマーが送られていたのかもしれません。それを読まれたガルシアが、1973年の続編のSuper Subtle の本の制作時に、急遽、特別に最後の数ページに2冊の本のクレジット記載を加えたような印象です。ダブルカット以外のクレジットもラッカーバウマーの書評を参考にされていると思える部分がありました。二人の記載内容を比べるだけでも面白さを感じます。 ラッカーバウマーやガルシアのクレジットではアイアランドとなっていますが、何を元にされたのかの記載が全くありません。最近までの文献やネットで調べても、ダブルカットとアイアランドを結びつけるものが何も見つかりませんでした。ラッカーバウマーが1921年のジョーダンと間違ってクレジットされたのではないかと一時期は思っていました。
ところで、1973年のガルシアの本が発行された後、ラッカーバウマーは1982年には”Card Finesse”の本で「ナチュラルリバース・ダブルアンダーカット」や1983年には”Marlo Without Tears”の本では”Double Underpeel Cut”を解説されています。奇妙に思うのは、これらにはダブルカット考案者のクレジットがされていなかったことです。前者の本では、改案に関わったマルローやジェニングスとNeal Eliasの名前があげられているだけで、後者の本では誰の名前の記載もありません。ガルシアの本ではクレジットしていないことを強く批判していたのに奇妙な状態です。マルローか誰かからアイアランドを考案者とするのは不適切と言われたからでしょうか。それでも、バーノンを考案者と認めたくなかったので何もクレジットしなくなったのでしょうか。
アイアランドのダブルカットを、やっと、1938年のIreland’s Yearbookで見つけることができました。「ジョンボカードによるマッチング・ザ・カード」の中で使われていました。ジャンボカードをヒンズーシャフルするように持って少し左向きとなります。手前側となったサイドの左コーナー近くのトップカードの下に左親指でブレークを作っています。右手でヒンズーシャフルするように持って、ブレークの下のデックを2回に分けてアンダーカットしてトップへまわしています。こちらの方が1946年のバーノンやBuckleyより前の発表となります。ただ、これをクレジットするのであれば、もっと前の1921年のジョーダンをクレジットすべきです。また、アイアランドもジョーダンも1946年のバーノンやBuckleyの方法とはかなり違っています。現在使われている方法はバーノンの考案でよいわけで、その元になるのがアードネスやジョーダンやアイアランドの方法となります。
アイアランドの名前は聞かれたことがない人も多いと思います。彼は1926年にシカゴでアイアランドマジックのショップを開いています。彼自身の数冊の作品集を発行していますが、特にマルローの本が多数発行されているので有名です。1934年から毎年Ireland Yearbookを発行されますが、彼が死亡した1954年以降も発行が続けられます。彼の死亡後に奥さんのフランシス・アイアランドがジェイ・マーシャルと再婚され、Magic Incの名前でショップを続け、本も次々と発行が続けられます。
バーノンの「カッティング・ジ・エーセス」が解説された「スターズ・オブ・マジック」がマジックの雑誌に広告が掲載されたのが1946年10月です。それに対して、Buckleyの「カードコントロール」の本の広告は翌月の11月です。Buckleyが少し後ですが、ほぼ同時期といってもよい状態です。Buckleyの本での技法のタイトルは長くて”Buckley’s Method of Double Cutting Cards to The Top of The Pack”となっています。この本の後部にある作品の中でも、Buckleyの名前がついた技法として解説されていました。ところが、自分の本より少し前に、ほぼ同じ方法がバーノンにより解説されていることが分かり、Buckleyの考えに変化が生じたようです。彼は1948年に”Principles and Deceptions”の本を発行していますが、そちらにも全く同じダブルカットが解説されていました。そこでは自分の名前を入れずに”Method of Double Cutting Cards”だけのタイトルにしていました。なお、彼の「カードコントロール」の本では「Buckley’s フォールスシャフル」で解説していた技法も1948年の本に再録されますが、こちらは名前がつけられたままでした。
Buckleyは何を元にしてバーノンと同様な方法となったのかが気になります。その謎を解く冊子が見つかりました。1941年発行のヒューガードとブラウエ共著「ザ・ストリッパーデック」の冊子です。この中の”Cut and Come Again”には同様なカットが使われているのですが、その作者名もクレジットも何も書かれていません。はっきりした一つだけの違いが、デック中央のブレークから下のパケットを4~5回に分けてアンダーカットしてトップへまわしていたことです。Buckleyはこれを2回だけにしていたわけです。
それでは、この作者不明の作品と技法は誰のものでしょうか。私はこの考案者をバーノンだと考えています。1940年にはヒューガードとブラウエ共著で「エキスパート・カード・テクニック」の本が発行されています。この本は米国の西海岸のブラウエが、1930年代後半にチャーリー・ミラーやその他のマジシャンから見せられたマジックを、推理してメモしたものを東海岸のヒューガードへ送り、編集して本にされたものです。チャーリー・ミラーはバーノンと共に1930年代にカードテクニックやマジックを一緒に研究しています。つまり、ブラウエに見せたマジックの中にはバーノンのマジックや技法が多数含まれていたと考えられます。そのことから「エキスパート・カード・マジック」の本には、バーノンの作品や技法がかなり含まれていたようです。この本はダブルフェイス使用のマジック以外は、レギューラーカードの作品が基本となっています。そのために、ストリッパーデックを使ったマジックを、1941年の冊子として発行されたと考えられます。つまり、この冊子の中にも、バーノンの作品がいくつか含まれていると考えた方がよいわけです。
1941年の作品の現象は、デックの中へ混ぜた二人のカードを、後で表向きにした1枚のカードの両側から取り出すものです。客のカードは客がカットした位置のカードを使い、別の客も同様に行わせています。この解説を読んだ時に、わざわざストリッパーデックを使わなくとも、1枚の特別なショートカードを加えるだけでも可能だと思いました。バーノンは特殊なショートカードの使い方をかなり研究されていたので、バーノンならそちらを使っていたと考えたくなります。チャーリー・ミラーもショートカードを使った方法で見せていたとしても、それを見て推理したブラウエは、ストリッパーデックを使っていると考えたのかもしれません。または、それを使う方が楽に行えると考えて、その方法を解説された可能性もあります。そして、繰り返しのアンダーカットの部分は、本来のまま使われていたとしますと、その部分はバーノンの可能性が高いと考えられます。
1983年発行のバーノンの”Revelations”ビデオを見て、まず、驚いたのは、カッティング・ジ・エーセスがスターズ・オブ・マジックに解説されていた方法と違っていたことです。ダブルカットが全く使われておらず、それぞれ、1回のカットだけで進行しています。そして、その後でデックをテーブルの上に4分割して並べ、バラバラの順で重ねなおしていました。この後は本来のスリップカットによるAの取り出しへ続けています。ダブルカットの存在がなかったような印象の解説でした。ビデオの中ではダブルカットのことすら話題に上がっていません。
1987のバーノンの”The Vernon Chronicles Vol.1”の本で”The Unadulterated Cutting the Aces”が解説されています。これが本来のカッティング・ジ・エーセスで、ダブルカットを使わず、それぞれ1回のカットが使われているだけです。また、これが1965年のGeniiの1月号にも既に解説されていたことが報告されていました。これらがバーノンのビデオで解説されていた方法と同じです。本の冒頭で「スターズ・オブ・マジック」の制作時のことが報告されています。本来のカッティング・ジ・エーセスを少し簡単にできないかとの要望を受け、ダブルカットを使った方法を見せることになります。それが採用されることになるのですが、その後、ダブルカットが爆発的な人気となります。しかし、バーノンとしては、本来の1回のカットの方がデック中央にエースが入ることを強調できるので、2回のカットでは不本意な気持ちが強くなっていたと思います。
1972年のガルシアのMillion Dollarの本のダブルカットの解説では、この出現によりクラシックパスは陰をひそめ、ほとんど使用されなくなったと書かれていました。パスに変わるコントロールとしてダブルカットが多用されるようになったわけです。そのことに関連して、バーノンが来日時に加藤英夫氏へ「私の最大のミスは、ダブルカットを世の中に発表したことです」と言われたそうです。これは1972年の加藤英夫著「ラリー・ジェニングスのカードマジック入門」(1993年に改定新版が発行)のダブルカットの解説の備考で報告されていました。安易にダブルカットを使用していることへの警告だと思います。ダブルカット自体は悪くありませんが、その使い方だと思います。また、クラシックパスの使用は、テーブルを前にして座って演じる場合には適していませんが、立って演じることが多くなった最近ではかなり使いやすくなり、実際に使っている人も増えているようです。しかし、パスをしていることが分かるような演技は見たくありません。パスの安易な使用も問題に感じます。
1970年の1月にスキーの合宿に参加しました。7~8名ずつのスキーの班に分けられたのですが、夜の交流会でも各班対抗の演芸大会が行われました。私の班では誰も得意とするものがないと言って、出し物が決まりません。しかたがないので、私の持っていたカードでカッティング・ジ・エーセスを演じることにしました。現象を口頭で説明しますと、他のメンバーは盛り上げ役に徹するとのことで相談していました。畳の大部屋でしたので、彼らが円形に座り、その中央に座ぶとんを置いて演じました。他の班の人は、円陣の外から立って覗き込む形になります。エースが取り出されるたびに、盛り上げ役が「ウォー」という声をあげてくれます。そして、最後のエースを特定枚数目から取り出した時には、盛り上げ役全員がオーバーアクションで驚きの声をあげながら座ったまま後方へ倒れました。おかげで大いに盛り上がる演技となりました。
21世紀に入って、2015年までの毎年、私は夏季休暇を使って米国のIBM大会へ参加するようになりました。そして、ある時期より、日本や韓国以外のアジアの国のコンテスタントが演技をする場合に、少しでも現象が起こるだけで会場の各所から「ウォー」という大きな声が聞こえるようになりました。クロースアップは4~5部屋で演技をする必要があるのですが、コンテスト出場者が部屋を出ると声を出していた数名も出てゆきました。この時に、昔のスキー場での盛り上げ役を思い出しました。スキー場での出来事は、盛り上げ役も含めての演技披露と言えるのですが、コンテストでは節度のあるマナーを守るべきだと思いました。現象ごとの拍手はよいのですが、奇異に感じる大きな声は問題を感じました。少しの現象でも度を超えた声を出されるとしらけてしまいます。もちろん、感激する現象で自然に出る大きなドヨメキの声は、誰もが納得できるものです。
今回は現在使用されているダブルカットの考案者がダイ・バーノンであることの再確認と、バーノンがダブルカットの使用をあまり好ましく思っていなかったことの確認となりました。
本来のカッティング・ジ・エーセスをスクリプト・マヌーヴァ社から発行のバーノンDVDにより日本語字幕版で見直しました。それにより、いろいろと新しい発見がありました。操作上の重要な要素だけでなく、客の興味をひきつけることの重要性を繰り返し語っていたことが印象的でした。マニア相手なら技術や方法の工夫だけでも興味を持ってもらえますが、一般客はカードを取り出すだけで嫌な顔をされた経験を話されていました。そのために、カードマジックでも客をひきつけるための演出の工夫やエンターテイメント性を重視すべきだと熱く語っています。トライアンフの意地悪な客とのやりとり、カッティング・ジ・エーセスの片腕の賭博師と絶対に失敗しないのセリフ、そして、アンビシャスカードでの客とのやりとりなどです。
ところで、ダブルカットを解説した文献は多数ありますが、ここでの参考文献は今回の調査に関わった文献だけにさせていただきました。なお、バーノンのダブルカットが発表される以前の関連文献は4冊だけでした。
今回の調査にあたっては、加藤英夫氏により今年発行されました「ダイ・バーノンの研究」の第1巻と第2巻や、それ以前の文献でもたいへん参考にさせていただきました。また、上口龍生氏からは、今回のことを調べるきっかけを与えて頂きたいへん感謝しています。ありがとうございました。