昭和10年(1935年)は、シンブルマジックの日本における非常に重要な年になります。それまでの日本では、シンブルマジックの実演や本での解説も見当たりません。ところが、昭和10年には山田治作氏と金沢天耕氏が、それぞれ別の会場でシンブルを演じられています。また、昭和10年の久世喜夫編集による「奇術教本」では、シンブルマジックの基本から応用まで解説されていました。さらに、その本のハンカチを貫通するシンブルでは最新の方法が掲載され、それは当時の海外のマジック書には、まだ解説されていなかった方法でした。
昭和の初めの日本の奇術書は、西洋に比べて大幅に遅れている印象がありました。その頃の奇術書の内容を調べますと、西洋の1900年初め頃までのマジックが中心のようでした。シンブルマジックにおいては、西洋で最初に解説されるのが1897年です。日本では昭和9年(1934年)までの奇術書に掲載されているのを見つけることができませんでした。ところが、昭和10年になりますと状況が大きく変わったので驚いたわけです。そこで今回は、海外のシンブルマジックとハンカチ貫通の歴史だけでなく、日本の昭和10年頃の状況も報告させていただきます。
シンブルは裁縫道具ですが、かなり昔よりギャンブルの道具としても使われていました。スリーシェルゲームのシンブル版と言えます。シンブルがマジックに使われるようになるのは19世紀の終わり頃です。それが最初に解説されたのが1897年発行のStanyon著 “Conjuring for Amateurs” と考えられています。2作品が解説されており、サムパームを使った移動現象と、紙の小さいコーンを使ったシンブルの移動現象で、これにはシェルにより二重にしたシンブルが使われています。
初期の段階で重要な文献が1904年のホフマン著”Later Magic”で、5作品が解説されており、特に4番目の8個のシンブルのプロダクションが注目すべきものです。これがシカゴのRoterbergの考案で、4個用のシンブルホルダーがイラストで紹介され、技法の部分ではGarlandの考えも取り入れられています。5番目の作品ではダブルシェルを使い、3個のシンブルが次々に消失する現象が掲載されていました。1906年頃にシンブルマジックで話題となったのがライプチッヒで、その後、エドワード・ビクターも貢献しています。カーディニは1924年頃のオーストラリアで、模造宝石(Rhinestones)付きのシンブルで演じられています。
Later Magicのシンブルの解説以降で、多くのマジシャンに影響を与えたのがターベルシステムの通信講座です。レッスン27には25ページにわたりシンブルマジックの基本から応用まで解説されていました。その内容が、ほとんどそのまま1945年発行の「ターベルコース第4巻」に掲載されます。その後、1931年にはロイドによる37ページのシンブルマジックだけの本が発行され、1936年にはヒューガードによる42ページのシンブルだけの本が発行されています。1951年のFISMグランプリのバッキンガムや1950年にクロースアップ部門1位のジョン・ラムゼイの独特のシンブルも話題になります。なお、FISMは1952年までの数年間は毎年開催され、それ以降は3年ごとになっています。
シンブルの独特な扱いで興味があるのが、エドワード・ビクターの消失時に音がなる方法と、ジョン・ラムゼイの出現時に音がなる方法です。1984年に来日されたジョン・カーニーのシンブル出現時に部屋中に響く音が印象的でした。また、1959年のエルムズリーの米国レクチャーで、どよめきが起こったカラーチェンジも独特なものです。
日本では1960年代より学生マジックでのシンブルが独特な発展をします。マルティプルパームによる4個シンブルの高速両手間移動やシェルの多用、そして、筒状に重ねたシンブルの片手操作です。これらの元になるものは、海外には既に存在していましたが、それらが大幅に発展することになります。このような発展は海外にはない独特なものです。その進化系でもある2009年のFISMマニピュレーション部門1位を獲得された加藤陽氏のシンブルとウォンドの演技が記憶に残っています。日本のプロの世界では、1960年代後半に島田晴夫氏はオーストラリアで宝石付きシンブルを実演され、その少し後の国内ではジミー忍氏のファイヤーシンブルが話題になります。その後、ケン正木氏やカズ・カタヤマ氏のシンブルが大きな影響を与えています。
右人差し指にはめたシンブルにハンカチをかぶせ、少しシェイクするだけでハンカチの上へシンブルが現れるマジックです。ビジュアルでインパクトの強い現象です。これが日本では1935年の「奇術教本」に解説されていたのですが、海外のマジック書にはハンカチ貫通の解説があっても、上記のようなインパクトのある方法ではありませんでした。
私が調べた結果では、ハンカチ貫通の最初の解説が1926年のハワード・サーストン著 “200 Tricks You Can Do” の本でした。この本ではシンブルマジックが6作品解説されていますが、いずれもパームや技法を使わずに簡単にできるものが中心になっています。その最後の2作品がハンカチの貫通の現象でした。1作品目はシェルのように二重に重ねたシンブルを使う方法で非常に簡単に行えます。他方はシェルを使わないで1個だけで演じる方法で、左手には何もないのを示して、ハンカチのトップ部分を握って開くとシンブルがハンカチの上に出現する現象です。その後の本での解説は1個だけの使用が基本となります。同時期に発行されたターベルシステムの通信講座には、シンブルマジックで多くのページを使っていますがハンカチ貫通の解説がありません。その関係からか、1941年から次々発行されますターベルコース全8巻にも、ハンカチ貫通が解説されていませんでした。
1931年のロイドのシンブルの本には、前記の1個だけの方法とほぼ同じ内容で解説されています。1936年のヒューガード著「シンブルマジック」の本にもハンカチの貫通が4作品解説されますが、4作品とも他方の手でハンカチの上から握るかカバーする方法ばかりでした。
マジックランドのトン・小野坂氏より、昭和9年から11年まで発行された久世喜夫編集による「奇術教本」を見せていただきました。4冊目の昭和10年発行の中に、他方の手でハンカチの上から握らずに、シェイクするだけでハンカチを貫通するシンブルの現象が解説されていました。その頃までの海外の本にはシェイクするだけの方法がなかったので奇妙なことでした。そこで、徹底的に調べるために、マジックの雑誌に解説されている可能性も考えました。その結果、1932年の終わり頃に、その現象だけの解説書が商品として販売されていたことが分かりました。リンキンギリング誌のマックス・ホールデンのショップの広告欄に2回だけ紹介されているのを見つけた時には感激しました。“Dleisfen’s Visible Penetration of a Thimble” の商品名で12の写真付きで解説され、75セントの値がつけられいました。「奇術教本」はこの解説書を元にされていた可能性がありそうです。商品として発行されて数年しか経過していませんので、同様な発想の貫通現象を1936年のヒューガードのシンブルの本には掲載することができなかったのだと思いました。
この現象のマジックは思っていた以上に多くの方法が解説されていました。いくつかのタイプに分類されますが、マーチン・ガードナーが多数の作品をまとめて紹介されていましたので助かりました。1957年のヒューガード・マジックマンスリー誌の10月号から12月号にかけて、マーチン・ガードナーのコーナーとしてハンカチを貫通するシンブルが9作品も解説されています。これが1978年のマーチン・ガードナー著 “Encyclopedia of Impromptu Magic” にそのまま再録されていました。
これらを三つに分けることができそうです。1番目は他方の手でハンカチの上から握る方法で、こちらはインパクトが少し弱くなります。さらに、これを二つに分けますと、手の中を見せずにそのまま握る方法と、手の中が空であることを見せた後で握る方法となります。後者の場合には、握る時にシンブルを加えることになります。海外ではシンブルの本としてロイドやヒューガードの本が手に入れやすく、持っている人が多いことから、この方法もよく演じられている可能性がありそうです。
2番目の方法では、他方の手で握ることなくダイレクトにハンカチの上へシンブルを現しています。ビジュアルでかなりのインパクトがあります。こちらも二つに分けることができます。少しのシェイクで可能な方法と、他方は少し大きな動きになりますがダイレクトな方法で、かなり大胆な発想となります。シェイクする方法は昭和10年の「奇術教本」だけでなく、1958年の奇術研究9号や1961年の日本奇術連盟発行の「シンブルの奇術」も同様な方法です。多くのマニアがこれらを参考にされており、日本ではこちらが一般的と言ってもよさそうです。
そして、3番目は少し特殊で、上記二つの中間的な方法とも言えます。ハンカチの上へシンブルが貫通したように見せているだけで、実際にはハンカチの上にはなく、他方の手でシンブルを取り上げて示して戻す時にハンカチの上へかぶせる方法です。ガードナーの解説でも、一気に現す方法と徐々に貫通しているように見せる方法、そして、親指にシンブルをかぶせて行う方法が紹介されていました。
その後も少し改案された方法が発表されていますが、その中でも面白いと思ったのがカズ・カタヤマ氏の方法です。1回目がビジュアルにシンブルがハンカチを貫通し、もう一度行うと貫通せず、ハンカチを取ると意外な結末になっています。1個だけのシンブルの扱いからハンカチを取り出して続けている点の素晴らしさがあります。このマジックも含めて掲載されたカズ・カタヤマ著「マンガジック」が2019年夏に発行され、マンガで分かりやすく楽しく解説されていました。
昭和初期は海外の新しいマジックのほとんどが入っていない時代でした。その頃の代表的な本である昭和6年発行の三澤隆茂著「趣味の奇術」を見ても、1900年前後の海外の情報が中心のようでした。西洋では1910年代の第一次世界大戦の影響からか、マジックも少し停滞傾向にありました。1920年代に入るとマジックの活気も取り戻しつつある状況となります。
1926(27)年発行のターベルシステムは全体で1200ページほどもある通信講座で、その頃のマジックの全体像が分かる画期的な内容でした。これが戦前の日本に入っていたのかが気になっていました。そのような思いもある中で、昭和9年から11年にかけて7冊発行された「奇術教本」を見せていただく機会があり、前半の4冊の多くの部分にターベルシステムのマジックを元にされたと考えられる作品を見つけることができました。シンブルマジックもハンカチ貫通以外は同様です。この著者の久世喜夫氏のことを調べますと意外なことが分かってきました。
1969年の日本奇術連盟発行の奇術界報330号には松田昇太郎氏による「奇術の今昔」の記事がありますが、その中で久世氏のことや「奇術教本」のことが報告されていました。「奇術教本」は久世氏が松田昇太郎氏と協力して製作されていたことが分かりました。また、松田昇太郎氏の妹さんがロサンゼルスに住まわれていたことから、ロスのマジックショップから本を中心に送ってもらっていたことも分かりました。それだけでなく、久世氏が昭和3年にIBMの日本代表となっていたことも報告されていましたので驚きました。IBMの機関誌「リンキングリング」には、いくつものマジックショップの商品紹介があり、商品や本を送ってもらっていたと考えられます。なお、1936年(昭和11年)4月号のリンキングリング誌には、久世氏による大阪の9名のプロマジシャンの演技が報告されていました。2月に大阪のプロによる演技披露の交流があり、ワンダー正光のマイザーズ・ドリーム、一陽斎小正一の5枚カードとシンブル、一陽斎正一の7~8匹の金魚釣り、木村マリニーのベストロープトリック、吉田菊丸のフェルト帽から30のタバコの箱と10のメタルカップ、吉田菊五郎のオールド・ジャパニーズ・マジック・アクト「イチリュウ・マンバイ」などです。菊五郎氏の演技はかなり詳しく報告されており、江戸時代の武士の礼服の裃を着用され、金属バスケットに水を入れた中から点灯したランタンや多数の傘などを出現させた後で大きな旗が出現し、カラフルな衣装チェンジをされています。
これらの報告の中でも興味を持ったのが木村マリニー氏のロープ切りです。1年前発行の英国の”Great Tricks Revealed”に解説されていたEdward Proudlockの方法をアレンジされて見事に演じられていたようですので、その情報の速さに驚いたわけです。それが可能になったのは、次々と翻訳されていた松田氏と木村マリニー氏との交流があってのことのようです。また、松田氏は日本奇術連盟の創立者の長谷川智氏の若い頃からの交流があり、大きな影響を与えられていたようです。このことは若い頃の高木重朗氏に対しても同様です。なお、松田昇太郎氏と同様に海外のマジック書を多数購入されていたのが緒方知三郎氏や阿部徳蔵氏であり、東京アマチュアマジシャンズクラブの発展だけでなく日本のマジック界にも大きく貢献されています。
昭和9年(1934年)頃までの日本には、まだ、シンブルを使うマジシャンがいないと思っていました。ところが、1963年の金沢天耕著「奇術偏狂記」には、昭和10年正月に大阪阪急百貨店のマジック実演販売で金春昌広氏がシンブルやボールを演じられていたことが報告されていました。金沢氏は昭和9年に天洋のカタログにある100の商品のほとんどを購入され、マジックは簡単なものと思っていたので、金春昌広氏のマニピュレーションに感激されたようです。すぐに指導をお願いし、ボールでは米国で活躍中の石田天海氏の存在も聞かされます。そして、昭和10年4月に和歌山にて奇術クラブを創立し、月1回の例会には金春昌広氏にシンブルやその他の指導も受けていたことが報告されていました。そして、昭和10年8月に奇術クラブ創立記念発表会を開催し、金沢氏がシンブルや四つ玉を演じられています。さらに、クラブ創立の頃に新聞広告で久世喜夫著「奇術教本」の存在を知り購入しています。その頃の「奇術教本」には既にシンブルも解説されていたと思われます。発表会の後日に一時帰国され和歌山に滞在されていた石田天海氏からボールの指導を受けることになります。なお、昭和10年10月の東京アマチュア・マジシャンズ・クラブの第3回試演大会に天海氏と金沢氏が客演することになります。この大会で山田治作氏が宝石付きシンブルを演じられていたことが「TAMC 50年のあゆみ」の30ページに報告されています。
「Toy Box Vol.16」が2019年末か2020年初めに発行される予定です。サロン&ステージマジック特集号で、私は「シンブルマジックの歴史変遷」を17項目でまとめました。その中で特に興味を持ったのがハンカチ貫通の現象です。日本では一般的に演じられている方法が、昭和10年の「奇術教本」に解説されていたことに驚きました。そして、それ以上の驚きが、同様なハンカチ貫通現象がそれまでの海外の本でいくら探しても見つからなかったことです。その解説書が商品として数年前に販売されていたことが分かり、さらに、昭和の初期に松田昇太郎氏や久世喜夫氏のように、海外のマジックをいち早く紹介しようとされた人物の存在を知ることもできました。いろいろと新しい発見のある調査となりました。
参考文献は1950年頃までは可能な限り掲載しましたが、その後は今回の報告に関連した文献を中心にしました。また、内容が確認できた文献だけの掲載としました。