2019年にタマリッツの英語版「マジック・レインボー」が発行されました。600ページもあるマジックの理論書です。このような厚みのある理論書は、著者がタマリッツでなければ購入しませんでした。また、最近になってJoshua Jayによる500ページもある理論をまとめたMagic in Mindを入手しました。これまでに発表された多数のマジシャンの理論エッセイを元のままの文章で掲載されています。59のエッセイを11項目に分けて紹介されていました。この本がVanishinginc社からE-Bookとして無料ダウンロードできることを、以前にポン太・ザ・スミスさんより教えていただきました。
最近はマジックの理論に注目が集まっていますが、スペインの影響が大きいのかもしれません。しかし、まず読むべき理論書は1911年発行の “Our Magic”です。 ダイ・バーノンやデビッド・ロスがマジック書全体の中で読むべきトップにあげていた本です。3部構成の最初が「アート・イン・マジック」で、この部分のみ加藤英夫氏が翻訳されています。その内容に感動させられると同時に、理論が絶対的なものではないことを繰り返し書かれていたのが印象的です。そして、最近ではトミー・ワンダーの考え方にも圧倒されました。「トゥー・パーフェクト・セオリー」の彼の反論だけでなく、ミスディレクションの考え方も独特です。2019年7月に彼のその考えが日本語訳され「ミスディレクションは存在しない」も注目すべき内容です。彼も理論の盲信にはかなり厳しい意見でした。
さらに、今回「サーストンの3原則」の再調査により面白いことがわかりました。サーストンの3原則の元になると考えられる 1922年の“Thurston's Magic Box of Candy”が登場するまで「種明かしをしてはいけない」と書いていた文献がなかったことです。考えてみれば当たり前で、書くまでもないことであったと考えられます。そして、何故書かれるようになったのかに興味を持ちました。なお、残りの二つの原則は1786年のフランスのDecrempsの文献から登場しています。
今回はマジック理論の歴史変遷をテーマにすることを考えて古い文献から読み直しました。しかし、全体の内容を正しく理解することがあまりにもたいへんな作業となり、予定を変更することにしました。ミスディレクションだけでも大きな一つのテーマとなります。結局、今回は私が調べた中で印象的であったことだけの報告にさせていただきます。
まず最初に言っておきますが、理論はとても重要です。経験を積めば積むほど、もっと早い時期から詳しく知っておくべきだったと考えるようになります。しかし、盲信には注意する必要があります。トミー・ワンダーの本の冒頭部分で、ダイヤの原石を研磨して光り輝くダイヤにするのが理論であり非常に重要だと書かれていますが、理論を絶対に守るべき教義とするのは許せないとして理論の盲信に厳しい意見でした。
トライアンフのコラムでも報告しましたが、最後のスプレッドを表向きにすべきか裏向きにすべきかで議論になったことがありました。原案の裏向きのスプレッドでよく受けているのに、なぜこのような議論が必要になるのか奇妙に思いました。トライアンフはかなりの数の作品が発表されていますので、原案とは違った見せ方で示した方がよいものもありそうです。しかし、この議論の中で登場した「同時に二つの現象を起こしてはいけない」にこだわった主張には問題を感じました。よく受けているバーノンのトライアンフまで間違っていると主張していることになります。実際と合わない理論になってしまいます。
マジックの理論には思っている以上にたくさんの例外があります。絶対的なものと考えない方がよさそうです。1911年発行の “Our Magic”を読みますと、そのことが繰り返し強調されています。その本の中で多数のルールが説明されていますが、第2章の最終部分には、ルールが常に絶対的であるような間違った思い込みをしてはならない、厳格すぎる規定は矛盾を生み出すと警告しています。
ルール1では「明確な理由でそうすることが絶対に必要でない限り、認められたルールを除外してはならない」とわかりにくい規定がされています。結局はルールはとことん守りなさい。しかし、明確な理由があれば除外することがありますと言っています。その後のルールでも、重要な規定をした後で次のルールでは例外と言える内容が報告されていたことが数カ所ありました。上記のトライアンフに関係したことでは、ルール4で「二つの現象を同時に生み出してはいけない」内容のことが強調され、次のルール5の説明の中では、それに当てはまらない場合のことが書き加えられています。ルール11では同じ現象を繰り返してはサプライズを生み出せない趣旨のことが書かれていますが、ルール12とルール13では例外的な記載がされています。そして、ルール13の中の説明で、正確無比なルールを定義することはできず、あてはまらない状況というものが必ずあるとも書かれています。理論は良きガイダンスになりますが、それ以上のものではなく、理論が現実と決別した時には意味をなさないことも強調されていました。 ルール14では、明確な理由がない限り、ステージでこれから起こることを説明してはいけないと書かれていますが、解説部分ではその明確な理由となるものが結構多いことも報告されています。有名なイリュージョンの多くが、前もって現象を説明することにより観客の関心を高めて大きな効果を得ているとも書かれています。そして第15章の中では、Our Magicに記載されたことを絶対的なものと考える必要はなく、盲目的に信じることは、どのようなことに対しても愚かなことですと強調されていました。
トミー・ワンダーはさらなる不思議さを求めて改良を加えられています。そのような中で、これまでの考えや理論と合わないことが出てきます。その一つがハンカチを貫通する客のカードです。そこそこ受けるのですが、ライジングカードほど強烈ではありません。これらは昔から演じられている二つの現象が同時に起こるマジックです。関連性がない二つの現象を同時に起こすと観客は混乱し現象を弱めることになりますが、関連しあっている現象の場合には、それで一つの現象となり問題ありません。そのことは1911年のOur Magicの本に、これまでの経験からルール4とルール5として掲載されています。そうであるのに、ハンカチを貫通する客のカードが思っているほど受けないことに対して、トミー・ワンダーが新たな解決方法を発表されました。スプーン2杯分の現象を同時に見せているためであり、1杯ずつ2回に小出しにした方が効果が上がるとの考えです。これは同時に現象を起こして、それほど反応が高くなかった場合の対処法と言えそうです。
2003年のトミー・ワンダーのDVD第3巻の最後の対談で語られています。この考えはトライアンフにおいても応用することができます。全てのトライアンフがバーノンの方法のように同時に二つの現象を見せる方が良いとは限りません。手に持って広げたり、ゆっくりとテーブル上に広げる時には、二つの現象に分けた方がよい場合がありそうです。だからと言って、全てを「スプーン1杯ずつ小出しにすべき」との考えは、トミー・ワンダーの考えを盲信することになり、このようなことは望まれていなかったと思います。
1971年にリック・ジョンソンがトゥー・パーフェクト・セオリーを発表されました。トリックの中にはそのパーフェクトさによってパーフェクトではなくなり、その逆に、パーフェクトでないことによりパーフェクトになると報告されています。私の理解では、パーフェクトなトリックにしたために、サクラを使ったとか、袖に入れたとか、トリックデックを使ったといった一つの勝手な回答に客の考えを誘導させてしまうことがあります。それが正解でも不正解でも関係なく、タネが分かったと考えられて不思議さが減少したトリックになってしまいます。それを防ぐ方法として、いろいろな可能性が考えられる状況にした方が良いとの考えです。これに対していろいろな意見が発表されていますが、真っ向から反論したのがトミー・ワンダーです。特にジョンソンの理論の対処法では、クリーンさをなくして余計な可能性が加わることになるので、マジックのインパクトを減少させてしまうことになります。それよりも、もっとパーフェクトさや不思議さを高めて、客に勝手な考えを持たせないものにまで完成させるべきとの意見です。トミー・ワンダーが目指しているマジックの方向性がわかる考えです。著名な多くのマジシャンのこれまでの意見が2001年8月号のGenii誌に23ページもかけて掲載されましたが、その中にはトミー・ワンダーの考えがありませんでした。そのためか10月号でトム・ストーンが代弁するかのように“Too Perfect Imperfect”のタイトルで、トゥー・パーフェクト・セオリーの考えがパーフェクトではないとの意見を2ページで報告されていました。
ミスディレクションに関しては、視線の物理的な誘導から心理的なものへと発展しましたが、ミスディレクションの用語や考え方に異議を唱えたのがトミー・ワンダーです。これまでは見せたくない部分が主役の考えであり、注目させるべき部分を主役にすべき考えを展開されています。1996年の彼の本に詳しく解説されていますが、今回、日本語訳された「ミスディレクションは存在しない」も読まれることをお勧めします。
日本ではシンプルな初心者用ルールとして「サーストンの3原則」が有名です。20年ほど前にこの3原則の元になる文献の調査をしたことがありました。その結果、1922年の“Thurston’s Magic Box of Candy”の可能性が高いことが分かりました。そして、今回の再調査により、1922年以前の文献には種明かしの禁止の注意書きを見つけることができませんでした。つまり、1922年が最初となりそうです。何故そのようなことになったのでしょうか。
そのことに関して、1947年のウォルター・ギブソン著 “Professional Magic for Amateurs”の序文には興味深い記載がありました。ギブソンが見てきた35年間でマジックが歴史的に発展してきた段階推移として、第1段階を「練習、練習、練習」の技術習得が中心の時代としています。客を不思議がらせたり楽しませることよりも技術が優先です。1890年代から1910年頃と考えられます。ステージのカード、ボール、コイン、シンブルのマニピュレーションの新しい方法が次々と発表され、それを競い合っている時代でした。そして、その反動が第2段階で現れたそうです。簡単にできるマジックが多数開発され、初心者にも多数演じさせ、演じる面白さと自分に合うマジックを選ばせていた時代とのことです。これが1920年頃からとなり“Thurston’s Magic Box of Candy”の発行もこの頃です。簡単で誰にでもできるようになったために「種明かしをしてはいけない」を注意書きに加える必要が生じたのだと思います。それまでに言われてきた二つのルールも加えて三つのルールとなったと考えられます。
ところで、第3段階は巧妙な方法を用いて、そのマジックを十分に研究し、あらゆるテストをしてリハーサルを重視する時代とされています。1930年代中頃からと考えられ、Jinx誌やグレーターマジックなどのマジック書が次々と発行されるようになります。1940年頃までで種明かしの禁止を書かれていたのは、上記の “Magic Box of Candy” と1926年の “Thurston’s 200 Tricks You Can Do”ぐらいでした。両者ともウォルター・ギブソンが関係しています。ほとんどのマジック書がマニア向けでしたので、種明かしの禁止を書く必要を感じていなかったのでしょうか。他の二つの禁止項目は書き続けられています。種明かしの禁止の記載文献で大きな影響を与えたのは1941年のターベルコース第1巻です。その冒頭で1ページ半使って“The Magician’s Secrets”として種明かしの禁止のことだけに集中して書かれています。その後のマジック書で禁止事項が書かれる時には、必ず種明かしの禁止も書かれるようになります。なお、ターベルコースの元になる通信講座のターベルシステムが1926(27)年より発行されていますが、こちらにはその記載がありませんでした。
ところで、このターベルシステムには違ったテーマで各種のマジック理論が掲載されており、この頃の重要な資料となります。その後の百科事典版のターベルコースでは、テーマにより少しだけ変更されたり、または大幅な変更がされて掲載されています。ターベルシステムは60レッスンまであり、現在では40レッスンまでを上口龍生氏により、ガイドブックの冊子と実演DVD、そして、PDFのテキストが付けられて発行されています。さらに、サーストンの3原則に関してですが、ネット上の東京マジックのマジックラビリンスで松山光伸氏が「先人や先例に学ぶ」の中で「マジシャンが心すべき新たな13原則」として報告されています。1786年のDecrempsの13の原則やサーストンの3原則の海外と日本の最初の記載も掲載されており、たいへん参考になります。
アスカニオはマジカル・アトモスフィア(魔法のような雰囲気)をマジックの基本的条件と言っています。特にマジックの初心者に分かってもらいたいことのようです。初心者にはサーストンの3原則もよいのですが、このマジカル・アトモスフィアの考えを知ってもらうのも重要だと思いました。タネが見えてはいけないし、何か怪しいと思わせてもダメだと言っています。マジカル・アトモスフィアにより、本当の魔法が行われたように思わせて、その秘密やタネについては考える気も持たせない状況にしたいわけです。テクニックは完璧に行えるものだけを使うように徹底させる考えも重要です。結局、マジックを行う人としてではなく、本当のマジシャンになるためには、まず、マジカル・アトモスフィアの考えを徹底させることが基本だと言っているようです。なお、ロベルト・ジョビのカードカレッジ第2巻では、マジカル・アトモスフィアはプレゼンテーションのための究極のゴールだと書かれていました。このマジカル・アトモスフィアの考えはアスカニオが1958年のスペインのマジック誌に掲載されたものを今回のアスカニオの本に再録されたそうです。
ところで、アスカニオの本職は法律に関係した行政の仕事のようでマジックもかたいイメージがあり、私にはそれほど興味のある人物ではありませんでした。しかし、田代茂氏により翻訳された「アスカニオのマジック」を読んで考えが大きく変わりました。1950年からFISMグランプリを3回受賞されたフレッド・カップスを師として影のように付きそい、多大な影響を受けていたことが分かったからです。アスカニオによると、今のスペインのマジック界の発展があるのはフレッド・カップス氏によるところが大きいと言われています。言い換えますと、フレッド・カップスの考えをアスカニオ風に理論化してスペインのマジック界に広めたと言ってもよさそうです。 私が思ったのは、アスカニオが理想としたのはフレッド・カップスのようなマジシャンがスペインで育ってくれることだったと思います。カップスはマジカル・アトモスフィアはもちろんのことですが、どの分野のマジックも完璧で不思議で楽しく演じられ、我々に夢を与えてもらえます。人間性も素晴らしく、紳士でありフレンドリーであこがれの存在です。しかし、その裏のたいへんな努力をアスカニオが繰り返し見てきたことにより、素晴らしい理論を作ることが可能になったのだと思います。もちろん、アスカニオの法律家としての論理的な考えと、マジックに対する情熱があってこそのものです。
マジック理論書の場合、その内容と同じくらいに、それを書いた著者に興味がわきます。マジックの作品の場合は、その考案者のことが分からなくても、素晴らしいものは素晴らしいと言えます。しかし、マジックの理論では、その著者のこれまでの功績が内容の信頼度に反映されます。プロとしての実績、コンテストでの実績、指導者としての実績、マジック作品製作者としての実績などです。よく知らなかった著者であっても、どのような内容であるのかの興味がありますが、マジック用語の間違った解釈や例のあげ方が奇妙であると、一気に信頼度が下がります。
ところで、理論が書かれた本で私のベスト3をあげるとしますと、アワー・マジック、トミー・ワンダーの本、アスカニオの理論書となります。アスカニオの本については上記で紹介しましたが、トミー・ワンダーについては書くまでもなくよく知られています。彼の本に関してはスティーブン・ミンチとの共著であることが一層素晴らしい本になったといえます。そして、アワー・マジックの本はネビル・マスケリンとデバントとの共著です。第1部と第2部の著者がマスケリンで、第3部がデバントです。デバントは当時の実力と創作ではトップクラスのマジシャンです。しかし、この本の中心となる前半のマジックのアートや理論を書かれていたのがネビル・マスケリンです。彼は19世紀後半の英国の中心的マジシャンであったJ.N.マスケリンの息子です。1886年に父親の元でプロとして活動を始め、1906年から英国のマジック組織であるマジックサークルの2代目会長となり、死亡する1924年まで続けられています。マジックのアート性を高めるために演劇理論を参考にしてマジック理論を展開しています。この頃も勝手に模写をするマジシャンが多かったためか、第2章では14ページを使って3種類のアートの違いと、フォールスアートとなる模写マジシャンを厳しく非難しています。
私が最初にマジックの理論と関わりを持ったのは石田天海著「奇術五十年」の本です。1961年発行の新書版サイズの本です。最後の部分に「奇術演技研究メモ」があり、オリジナルとバリエーション、そして、初めて知ったミスディレクションのことが書かれていました。さらに、何よりも私に強い印象を与えたのがショーマンシップについてです。その解説では、すべての芸はその90パーセントがショーマンシップに左右されると書かれていました。それは人の前に立つ時の力量で、性格、教養、機知だと書かれており、当時は全く意味が理解できていませんでした。機知とは予想外のことが起こってもうまく対処できる能力です。同じマジックを同じ技術力で演じても全く違う印象になるのは、ショウマンシップによるところが大きいと言えます。そのことが分かるようになるのはかなり後になってからです。マジックの演目、プレゼンテーション、技術も重要ですが、マジシャン自身の人間性がそれ以上に重要であることが分かってきます。1946年のEdward Maurice著”Showmanship and Presentation”や1948年のAl Leech著”Don’t LookNow!”の本では、マジックの本ではない1936年発行のデール・カーネギー著「人を動かす」を読むことをすすめていたのを思い出します。結局、今回の内容は「種明かしの禁止」の掲載時期と、私の印象に残った3人の本が中心となりました。もちろん、それらの本に匹敵する重要な理論書が多数あります。また、マジック誌の中でエッセイとして書かれたものもあります。そこで、私が分かった範囲で理論に関係した記載の文献を最後に掲載させていただきます。