今年5月の米国のマジック誌 "Genii" を見て驚きました。江戸時代の奇術書「放下筌」(1764年)を特集していたからです。34ページにもわたる大きな特集となっていました。「放下筌」のマジックについては、私も前々回のコラムで品玉の術(茶碗と玉)のすばらしさを報告したところです。このGenii誌の表紙は放下筌の中のページから数枚が貼付けられたデザインになっています。しかし、それだけでなく、「放下筌」以外の本からも使われていました。その中にはヒョコのマジックの解説ページもありました。「放下筌」ではないのにわざわざそれを表紙に使ったのは、日本のマジックのイメージの一つに、ジャリを使ったものもあったからでしょうか。なお、日本ではインビジブルスレッドのことをジャリと呼ばれています。 |
この特集のために34ページにわたる記事を書かれたのはマックス・メイビンです。最初の数ページにこれまでの経過と江戸時代のマジック書の驚くべき出版状況や、鎖国中であったのにオランダと交易していたことにも触れられています。5ページにわたり品玉の術(茶碗と玉)、2ページが金輪の術(リンキングリング)、そして、それ以外の「放下筌」掲載の多数のマジックについても詳細に解説されています。「放下筌」3部作全てを英訳されたのは、米国のアマチュアマジシャンのDan Shererです。米国の大学で東アジアの言語と文化を専攻し、その後、東京大学での研究で来日されていました。マジックランドとの出会いが大きく影響して、「放下筌」英訳版もランドより2015年11月に発行されました。Genii誌では各マジックの解説だけでなく、マックス・メイビンとDan Sherer二人のコメントがその都度加えられた分かりやすい内容となっています。 |
現存する最初のマジック文献とも言われています2冊の本に、ジャリ使用のマジックが既に解説されていたことが驚きです。1584年の英国のレジナルド・スコットの本とフランスのPrevostの本です。いずれも女性の髪の毛が使われていました。簡単に手に入り、細くて丈夫であったからと思われます。しかし、使い方が限定されます。見えないようにする工夫が必要です。スコットの本では、グラスに入れたコインを飛び出させています。Prevostの本ではグラスの中の指輪がダンスします。テーブル上でピアノを弾くように指を動かして歌を歌うと、指輪がダンスするのですが、その点でフランスらしさが感じられます。薄暗い室内で、グラスを使うことにより、うまく髪の毛の存在を分からせないようにしています。1612年の英国のSa. Ridの "The Art of Jugling or Legerdemaine" にも、スコットと同様なマジックが解説されているようですが、1634年の "Hocus Pocus Junior" には解説がありません。その後、長い間、西洋のマジック文献にはジャリのマジックが登場していないようです。フランスの古典のマジック書として有名な1694年の Jacques Ozanam や1769年の Guyot の本にもジャリマジックがないようです。 |
胡蝶のマジックは日本を代表するマジックです。しかし、19世紀後半の西洋でも蝶のマジックのブームとなっていたのが意外です。英国の文献においても、1876年の「モダンマジック」や1877年の「スライト・オブ・ハンド」、そして、1887年のフランスの本のホフマン教授による英訳版"Drawing-Room Conjuring" にも解説されています。2羽の蝶で解説されている点と、糸や馬の毛の一端を上着のボタンに付けている点が共通しています。ボタンに付けている点が西洋風アレンジといえそうです。また、蝶は糸の先に付けているようです。シンプルな現象ですので、失敗も少なかったのだと思います。これらの解説にはイラストがなく、それほど詳しく解説されていません。1910年のEllis StanyonのMagic誌 12月号と、1914年のWill Goldstonの "The Magician Monthly" 10月号のBlack Ishiiの解説により、割合と詳しく記載されるようになります。Stanyonの解説では、帽子の中へ蝶を入れて、あらかじめ糸の先に付けてあった蝶とすり替えて飛ばしています。Black Ishiiの解説は、松山光伸著「実証・日本の手品史」227ページに紹介されていますが、糸の外端をテーブルに付け、糸の中央に蝶を付けています。最後には蝶の下部で糸を切って、糸の先に蝶が付いた状態に変えています。この解説での写真の人物は松旭斎天左です。 |
戦後で米国の統治下にあった日本で、進駐軍を慰問する日本のマジシャンにランク付けがなされていました。その中でトップランクであったのが大阪の3代目帰天斎正一です。毎回要望されるのが胡蝶のマジックばかりであったそうです。3代目帰天斎師は胡蝶のマジックしかされない人物かと思っていますと、戦前では胡蝶よりも他のマジックが中心であったようです。このことを知った時に、不思議でしかたありませんでした。アメリカといえば派手で明るいマジックが好きなイメージです。それが何故、地味な蝶のマジックを3代目帰天斎師にわざわざ演じさせたのかが分かりませんでした。日本を代表する伝統的なマジックであったことや、それを演じるマジシャンがほとんどいなかったことが関係しているようです。また、3代目帰天斎師の胡蝶の芸がすばらしかったのだと思います。 |
米国で大きな発展をとげたのが、オキトのフローティングボールやブラックストーンのダンシングシルクです。また、ダンシングケーンもポピュラーなマジックの一つとなりました。これらはステージマジックで、距離と照明が大きく関係しています。ここでは、もっと身近なクロースアップの現象を中心に報告します。 |
今回は化学繊維が登場する以前のインビジブルスレッド(ジャリ)の話を中心としました。西洋ではコインや指輪のような少し重さのあるものを動かし、グラスの縁でこすれても切れない女性の長い毛髪がよかったわけです。このようなマジックとしてライジングカードがありますが、今回は全く触れませんでした。16世紀には既に考案されていたことが報告されていますが、どのようなものであったのかが分かりません。ジャリを使っていたのであれば、やはり毛髪が使われていたと考えられます。しかし、初期の頃のことについては分からない点がいろいろとあり除外しました。20世紀に入ってからは、ジャリによりいろいろなものを動かしていますが、それらについては触れませんでした。日本では紙で作られた軽いものを生き物に見立てて動かしています。空中に浮くものは蝶や蜘蛛であり、その他のものはジャンプする以外は地上をヒョコヒョコと動きます。命を与えられたようなヒョコヒョコとした動きは、舌の動きが重要であったようですが詳しいことが分かりません。 |