前回の石田天海氏の調査の中で驚きの発見がありました。それが天海氏による特別なアディションです。最近、よく見かけるようになった方法で、Aaron Fisher、Paul Comming、Troy Hooser の本にも採用されています。クレジットとしていろいろな名前があげられていますが、本来は誰をクレジットすべきか迷うアディションです。ところが、誰よりも早く、1936年には既に天海氏により使われていたことが分かり驚きました。このことにより、私がかなり以前から疑問に思っていました謎を解くことが出来ました。日本のマジック書の方が、海外よりも先に、このアディションを記載していたので、不思議でしかたなかったからです。 |
シークレット・アディションとは、日本では、パケットへ1枚か数枚のカードを秘かに加える操作に使われている用語です。ところが、この用語は、日本とアメリカで使われ方に違いがあることが分かりました。アメリカでは、その名前を最初に使ったブラウエの特定の技法名として使われています。ブラウエの方法では、加えた後に数枚の入れ替えの操作が伴っています。アメリカのいくつかの文献でも、シークレット・アディションは数枚のカードをスイッチする方法として説明されています。用語と内容が一致していないために奇妙な思いにさせられますが、ブラウエの特定の技法名と割り切った方がよさそうです。 |
この疑問が生じたきっかけは、スタンリー・コリンズのフォーエースのマジックで使われた方法の方が、もっと古いのではないかと思ったからです。各エースの上へ、3枚のカードを置くと言って、実際は4枚のカードを置く方法です。この操作を用いたコリンズの方法が、最初に解説されたのは1914年です。ところが、そこには、4枚を3枚として置くと書かれているだけで、その具体的な方法が書かれていなかったことが分かりました。1915年には改案を発表していますが、そこで方法が説明されていました。オーバーハンドシャフルの状態で、トップから1枚ずつ3枚を取るのですが、3枚目でボトムの1枚もいっしょに取っています。これは、アドオンとは別と言った方がよさそうです。1945年の「マイ・ベスト」の本で、コリンズにより現在使われているような、3枚をデックの上でそろえつつ1枚を加える方法が解説されています。ところで、ブラウエのアディションのように、4枚のエースの下にデックから数枚を加える方法は、1936年の「フランシス・カーライル・エーセス」での使用が最初のようです。なお、1920年にはチャールズ・ジョーダンにより、特殊な方法が解説されていますが、これをアドオンの最初とするかは意見が分かれるところです。やはり、現段階では、バーノンの方法を最初とするのが妥当なようです。 |
ブラウエの方法は、1945年のヒューガード・マジックマンスリー誌の5月号と7月号に発表されました。このアディションに関して、1985年にバズビーが発行した「ブラウエ・ノートブック」Vol.3 に興味深い記載がありました。シークレット・アディションは1941年に考案し、1945年に発表したもので、短期間でスタンダードなムーブになったと報告しています。しかし、最近では、いくつかの文献で間違ったクレジットをされていると不満を書いていました。この記載が何年のものか分かりませんが、1950年以降ではないかと思っています。これはどういったことなのか調べてみたくなりました。 |
ブラウエのシークレット・アディションは何もないところから突然に創作されたわけではありません。元になるアディションがあって、それを改良されています。改良に関してブラウエは、すばらしい才能を持っていると言えるでしょう。「フランシス・カーライル・エーセス」に使われたアディションと入れ替えの操作を、途中でデックをテーブルへ置かずに、左手に持ったままで行えるようにしています。そのために新たに取り入れたのが、チャーリー・ミラーの「ダンバリー・デリュージョン」で使われた特徴的な操作です。何のことかさっぱり分からないと思いますので、最初から順を追って説明することにします。 |
最近になって、よく見かけるようになったアディションの方法があります。まず、デックのすぐ上で、4枚のエースを表向きでファン状に広げて示します。その後、ファンを閉じつつ裏向けて、デックのトップへ置く方法です。この4枚のエースの上には、数枚のカードが加わった状態になっています。最近のマジックの傾向として、ビジュアルでスピーディーなものが多くなった印象があります。そのために、スピーディーなアディションが好んで取り入れられているのかもしれません。 |
このアディションの発展型として有名なのが、ジョン・カーニーによる Versa Switch です。1982年の Genii 誌10月号に発表されています。左手はデックを持ったままで、甲が上向きになるように手首を返しているのが特徴です。右手に広げた4枚のエースを、内エンドをテーブルに当ててそろえる操作が入ることも特徴的です。この時には、パケットの上に数枚のカードが加えられています。これはマルローの方法からインスパイヤーされたと書かれていました。ところで、このタイプのアディションも調査を進めますと、日本が最初の可能性が高くなってきました。1974年発行の沢浩氏の「第6回石田天海賞記念誌」には「不法建築」の作品があり、その中で「シークレット・インサート」として解説されていたからです。沢氏の方法では、テーブル上に広げた数枚を、右手でサポートしつつ左手デックに取る方法です。左手は、やはり、甲が上向きとなります。天海賞受賞記念誌は、毎回、マジックキャッスルの図書室に寄贈されています。キャッスルへの出入りの多いジョン・カーニーは、この本を見る機会があったと思います。沢浩氏のことをバーノンが絶賛されていましたので、興味がわく本のはずです。日本語で書かれていますが、イラストで技法は理解できます。また、沢氏は1970年に、しばらくキャッスルに出演されていましたので、この技法の影響を受けたマジシャンがいた可能性もあります。ただし、カーニーの方法では改良が加えられていますので、Versa Switch もすばらしい技法です。沢浩氏の方法は、1988年にアメリカでリチャード・カウフマンにより発行された "Sawa's Library of Magic" の中でも、Bad Construction(不法建築)だけでなく、"The Strolling Cow Aces"、"Face-Up Oil and Water" にも使用されていました。 |
今年の3月末に、Yuji 村上氏により "Heavy Rotation" の作品集が発行されました。その中で、ガルシアの "Eye-Mazing" に、村上氏がクライマックスを追加された作品がありました。RRMCの例会で、この作品はガルシアの作品で正しいのかを質問されました。ガルシアのものではない可能性が高いと思いましたが、正確には答えることが出来ず、調査の必要性を感じました。 |
バーノンの方法が最初に解説されたのは、1932年発行の "Twenty Dollar Manuscript"( "Ten Card Problems" とも呼ばれている)の本です。その中の「ザ・バーノン・カード・パズル」の作品に使用されていました。その当時は、このアディションに特に名前が付けられていませんでした。その本での方法は、全ての絵札とエースの16枚を順番に並べた表向きの状態から、4枚のエースだけアウトジョグしています。そして、この16枚の最下部のロードすべき数枚を、左手を使ってアウトジョグカードの下へ加えつつ引き抜いています。そのパケットの上へ、右手に残ったカードを置くことになります。 1977年発行のマジック誌 "Pallbearers Review" のダイ・バーノン特集号パート4においては、"The Unpublished Add-on Move" として解説されています。左手ではなく、右手を使って行う点が発表されていなかった点です。そして、バーノンの方法の全貌が明らかになるのが、1987年の "The Vernon Chronicles Vol.1" においてです。そこでは、「ストリップ・アウト・アディション」と名付けられ、様々な改良や応用が発表されていました。 |
今回は、天海、バーノン、ブラウエの3名のアディションを中心に報告しました。中でもバーノンは、アディションに関して、かなり研究されていることが分かりました。バーノンは、ブラウエのアディションに対しても、その発表から2年後のカリフォルニアでのレクチャーで、その方法を知っているマニアやブラウエをひっかけるために、少しアレンジした方法を使っていました。ブラウエの方法は使い勝手がよく、フォーエーストリックや各種のマジックに容易に取り入れられるようになりました。一般客にはそれでよいのですが、マニアに対しては通用しません。クラシックな手法に戻って、パームやパス的な方法を使う方が、マニアには通用するのかもしれません。 |