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コラム



第55回 シークレット・アディションの謎(2012.6.8up)

はじめに

前回の石田天海氏の調査の中で驚きの発見がありました。それが天海氏による特別なアディションです。最近、よく見かけるようになった方法で、Aaron Fisher、Paul Comming、Troy Hooser の本にも採用されています。クレジットとしていろいろな名前があげられていますが、本来は誰をクレジットすべきか迷うアディションです。ところが、誰よりも早く、1936年には既に天海氏により使われていたことが分かり驚きました。このことにより、私がかなり以前から疑問に思っていました謎を解くことが出来ました。日本のマジック書の方が、海外よりも先に、このアディションを記載していたので、不思議でしかたなかったからです。

ところで、最も一般的で有名なアディションといえばブラウエの方法です。1945年にシークレット・アディションのタイトルで発表されています。前回でも取り上げました「ブラウエ・ノートブック」には、このアディションが間違ったクレジットになっていると不満が書かれていました。それはどういったことなのでしょうか。また、シークレット・アディションの用語は、日本とアメリカでは使われ方に違いがあることが分かりました。

さらに、最近になって、もう一つ別のアディションに関わる発見がありました。今年の3月に、Yuji 村上氏の作品集 "Heavy Rotation" が発行されています。その中の "Eye-Mazing Climax" に使用されていますアディションです。村上氏は原案にすばらしいクライマックスを追加され、「アッ!」と言わせる結末に作り替えられました。この中で使用されたアディションを調べる中で、これについても「アッ!」と言いたくなる意外な事実が分かりました。今回は、これらの全く方法の異なる3種類のアディションについて報告させて頂きます。

シークレット・アディションについて

シークレット・アディションとは、日本では、パケットへ1枚か数枚のカードを秘かに加える操作に使われている用語です。ところが、この用語は、日本とアメリカで使われ方に違いがあることが分かりました。アメリカでは、その名前を最初に使ったブラウエの特定の技法名として使われています。ブラウエの方法では、加えた後に数枚の入れ替えの操作が伴っています。アメリカのいくつかの文献でも、シークレット・アディションは数枚のカードをスイッチする方法として説明されています。用語と内容が一致していないために奇妙な思いにさせられますが、ブラウエの特定の技法名と割り切った方がよさそうです。

アメリカでは、アドオン "Add-On" の方が、秘かにカードを加える操作全般に関わる用語として使われています。1932年のバーノンの方法が最初とされていますが、その当時は名前がありませんでした。現在ではストリップアウト・アディションと呼ばれている方法です。最近では、ブラウエの方法も「ブラウエ・アドオン」や「ブラウエ・アディション」と呼ばれるように変化しています。なお、アドオンの用語が文献上に登場するのはかなり後で、1970年のJ.K.Hartman の「シークレット・サブトラクション」の本が最初のようです。

T.A.Waters のマジックの百科事典では、シークレット・アディションの項目がなく、アドオンの用語で説明されています。秘かにカードを加える方法の用語として説明されており、ブラウエの方法もその一つとされています。Bart Whaley のマジック百科事典では、両方の用語が説明されていますが、やはり、アドオンの方が一般的です。シークレット・アディションはブラウエの特定の方法だけを説明していました。そして、両方の百科事典ともに、アドオンの最初は、1932年のバーノンの方法と書かれていました。

ところで、日本の場合には、最初に説明しましたように状況が大きく違っています。アメリカでアドオンに相当する技法名がシークレット・アディションとなっています。秘かにカードを加える操作にこの用語が使われています。1983年発行の「カードマジック事典」でも、そのような解説になっています。そして、アディション後の操作として入れ替えの方法が解説されていました。なお、ヨーロッパで発行されて、その後、英訳されたロベルト・ジョビー著「カード・カレッジ」の本でも、シークレット・アディションは数枚を秘かに加える技法として解説されています。その後で、ブラウエ・アディションの名称で彼の入れ替えの方法が解説されていました。

アドオンはバーノンが最初か

この疑問が生じたきっかけは、スタンリー・コリンズのフォーエースのマジックで使われた方法の方が、もっと古いのではないかと思ったからです。各エースの上へ、3枚のカードを置くと言って、実際は4枚のカードを置く方法です。この操作を用いたコリンズの方法が、最初に解説されたのは1914年です。ところが、そこには、4枚を3枚として置くと書かれているだけで、その具体的な方法が書かれていなかったことが分かりました。1915年には改案を発表していますが、そこで方法が説明されていました。オーバーハンドシャフルの状態で、トップから1枚ずつ3枚を取るのですが、3枚目でボトムの1枚もいっしょに取っています。これは、アドオンとは別と言った方がよさそうです。1945年の「マイ・ベスト」の本で、コリンズにより現在使われているような、3枚をデックの上でそろえつつ1枚を加える方法が解説されています。ところで、ブラウエのアディションのように、4枚のエースの下にデックから数枚を加える方法は、1936年の「フランシス・カーライル・エーセス」での使用が最初のようです。なお、1920年にはチャールズ・ジョーダンにより、特殊な方法が解説されていますが、これをアドオンの最初とするかは意見が分かれるところです。やはり、現段階では、バーノンの方法を最初とするのが妥当なようです。

シークレット・アディションとその後の不可解な経過

ブラウエの方法は、1945年のヒューガード・マジックマンスリー誌の5月号と7月号に発表されました。このアディションに関して、1985年にバズビーが発行した「ブラウエ・ノートブック」Vol.3 に興味深い記載がありました。シークレット・アディションは1941年に考案し、1945年に発表したもので、短期間でスタンダードなムーブになったと報告しています。しかし、最近では、いくつかの文献で間違ったクレジットをされていると不満を書いていました。この記載が何年のものか分かりませんが、1950年以降ではないかと思っています。これはどういったことなのか調べてみたくなりました。

ブラウエのアディションが実際にマジックの中で使われ、よく知られるようになるのは、1948年発行のターベルコース第5巻においてです。エド・マルローの「シンプレックス・フォーエーセス」と「ワン・アット・ア・タイム・フォーエーセス」の中で使われています。しかし、それがブラウエによるアディションとは記載されていません。1949年には「ザ・カードマジック・オブ・ル・ポール」の本が発行されています。その中の「エース・アップ」の作品でも、このアディションが使われていますが、ブラウエの名前がなく、最近よく使われている方法とだけの記載でした。1950年発行のルイス・ギャンソンの本の中にあるアル・コーランの「ソロ・エーセス」でも、その技法名や作者名がありませんでした。決定的なのは、1954年発行のアル・リーチ著「ハンドブック・オブ・カードスライト」での記載です。この中には、マルローによる二つのアディションの方法が紹介されています。その一つが、ブラウエの方法そのものを解説していました。この技法にブラウエの名前が明記されるようになるのは、かなり後になってからです。スチュアート・スミスは1950年代から60年代にかけて、このアディションを使用した作品を多数発表しています。そして、この期間に、10冊以上の小冊子を発行しています。1955年の小冊子では、欄外に、このムーブはよく知られた「シークレット・アディション」と書いているだけでした。ところが、ブラウエが死亡した後の1963年に発行された小冊子では、このアディションを使った作品の冒頭に、次のような特別なコメントが書き加えられていました。「このマジックに使用されたシークレット・アディションは、故フレデリック・ブラウエにより考案されたものです。」

ブラウエのアディション成立に影響を与えた方法

ブラウエのシークレット・アディションは何もないところから突然に創作されたわけではありません。元になるアディションがあって、それを改良されています。改良に関してブラウエは、すばらしい才能を持っていると言えるでしょう。「フランシス・カーライル・エーセス」に使われたアディションと入れ替えの操作を、途中でデックをテーブルへ置かずに、左手に持ったままで行えるようにしています。そのために新たに取り入れたのが、チャーリー・ミラーの「ダンバリー・デリュージョン」で使われた特徴的な操作です。何のことかさっぱり分からないと思いますので、最初から順を追って説明することにします。

現在で知られていますブラウエの方法は、1945年の「ヒューガード・マジックマンスリー誌」7月号に解説された方法です。右手に持っているパケットには、4枚のエースが表向きであり、左手のデックの上へ裏向きにひっくり返しながら1枚ずつ置いています。ところで、これが最初の発表ではありません。その2ヶ月前の同誌の5月号に、同タイトルで手間のかかる方法が解説されていました。手間のかかる理由は、右手パケットに4枚のエースを裏向きで持っていたからです。左手デックの上に裏向きで取ったエースを、毎回、表向けてエースを示した後、また、もう一度裏返す作業が必要でした。このような手間のかかる作業は、元となるマジックの操作と大きな関わりがあるわけです。ブラウエは1941年頃に考案したと報告していましたので、それ以前に元となった方法があることになります。

1936年のヒューガード著「カードマニピュレーション Vol.5」に「フランシス・カーライル・エーセス」が解説されています。彼の方法では、裏向きの4枚のエースの下に2枚を加え、6枚を左手に持ちます。右手によりトップから1枚ずつ取って表を示し、裏向きに戻して左手パケットの下へまわしています。4枚目のエースは、表を示した後、トップへ戻し、その後、左手パケットをテーブル上のデックの上へ置いています。ブラウエはこの操作を左手にデックを持ったままで出来るように改良しました。パケットを後でデックの上へ戻すのであれば、エースをパケットの下へまわさずに、デックの上へ取っても支障がないことが分かります。ただし、エースを1枚ずつ表を示す操作が必要となります。そのために取り入れられたのが、チャーリー・ミラーの「ダンバリー・デリュージョン」で使用された操作です。右手パケットを使って、左手デックのトップカードをひっくり返して表を示し、その後、同様の操作で裏向きに戻しています。この操作を3枚のカードで繰り返している点もブラウエの方法との関連性が大きいと思っています。違いは、デックの上で裏向きに戻したカードを3枚ともテーブルへ置いていることです。それ以外にも、いくつかの違いがありますが、明らかに影響は受けていたと思います。「ダンバリー・デリュージョン」は1940年発行の「エキスパート・カードテクニック」の本に発表されています。ヒューガード & ブラウエの共著による本で、この作品をブラウエが気に入っており、シンプルにした改案を後で発表しています。 なお、補足しておきますと、カーライルの方法自体もバーノンにより改良され、バーノンの方法が一般的になっています。4枚のエースを裏向きではなく表向きにしたパケットの状態にしています。そして、1枚ずつ取り上げて裏向きにしてボトムへまわしています。1941年発行のスフィンクス誌3月号のダイ・バーノンの「モビライジングエーセス」の中で使用された方法です。これは、スローモーションフォーエースとして最初に文献上に登場した作品でもあります。その後、いくつかの作品で、このバーノンの方法が取り入れられています。

ところで、1975年にはカーライルの作品を集めた本が発行されていますが、カーライルのフォーエースのマジックもアディションも解説されていません。このフォーエースのマジックは、1932年発表のバーノンの方法とほとんど同じで、アディションの方法が違っているだけです。このアディションもカーライルのものでない可能性がありそうです。

天海アディションについて

最近になって、よく見かけるようになったアディションの方法があります。まず、デックのすぐ上で、4枚のエースを表向きでファン状に広げて示します。その後、ファンを閉じつつ裏向けて、デックのトップへ置く方法です。この4枚のエースの上には、数枚のカードが加わった状態になっています。最近のマジックの傾向として、ビジュアルでスピーディーなものが多くなった印象があります。そのために、スピーディーなアディションが好んで取り入れられているのかもしれません。

奇妙なことは、このアディションのクレジットが、本により、記載が様々なことです。1992年のクリス・ケナーをクレジットしている場合は、彼の改良した方法に影響を受けたからのようです。"For 4 For Switch" の技法名が付けられています。1982年のジョン・メンドーザをクレジットしている場合は、その技法単独の小冊子を彼が発行して、有名にしたことに関連していると思います。「スローイング・ザ・スイッチ」の技法名が付いています。1968年のマルローの方法もよくクレジットされています。4枚のエースをファンにして行う方法の解説が、海外ではマルローが最初となるからです。ただし、技法名がなく、また、ファンが左を向いています。1978年のダグ・エドワードが、現在の方法のようにファンの外端を正面向きに変更しました。

ところで、私が奇妙に思っていたことが、上記の発表よりも、1951年の柴田直光著「奇術種あかし」の本に解説されていた方法の方が、もっと古い時代であったことです。その本の91ページには、4枚の穴あき紙袋を使った、変わったタイプの「4枚のエース」のマジックが解説されています。その中で使われているアディションが、4枚のエースをファン状に広げて行っていました。ファンの外端は、マルローの方法と同じで左向きです。この作品自体は、1929年発行のブラックストーン著 "Modern Card Tricks" に解説されていた方法です。ところが、この作品のアディションの部分だけ、柴田氏の本では変更されていたのです。原案では、表向きに広げた4枚のエースの下に、3枚のカードを重ねて隠している古典的な方法でした。

日本ではクロースアップのカードマジックに関しては、アメリカよりもかなりの遅れをとっていました。それを取り戻すかのように、最良のカードマジックや技法を解説した本が登場しました。それが、1951年発行の柴田氏の「奇術種あかし」です。この本のカードマジックに関しては、そのほとんどが、1948年発行のヒューガード & ブラウエ共著「ロイヤルロード・ツー・カードマジック」を元にしています。ところが、このアディションは、その本に解説されていないだけでなく、それ以前の海外の本にも見当たりませんでした。柴田氏が考案されたのか、日本で昔から伝わっていた方法なのかが気になっていました。何年もの間、その疑問を持ち続けていた中で、前回のテーマの調査時に「ブラウエ・ノートブック Vol.5 」の記載と出会い驚かされました。1936年にブラウエが天海氏のアディションを見て、ブラウエのハンドリングをノートしていたからです。この天海氏の方法が柴田氏やマルローの方法とほぼ同じです。天海氏であれば、ステージでのカードマニピュレーションの関連性から、4枚のエースをファンに広げるこのアディションを考案されたことも納得できます。

天海氏の方法が日本に伝えられたのは、たぶん、戦後の初めての帰国時の1949年だと思います。東京アマチュアマジシャンズクラブでマジックを実演されていますので、その時に、柴田氏は教わったのではないかと思います。なお、このアディションの元になるともいえそうな方法がありましたので紹介しておきます。1920年のチャールズ・ジョーダン著 "Ten New Sleight of Hand Card Tricks" の本の中の "The Amazing Aces" に使用された方法です。同様なタイプのアディションといってもよいのですが、4枚のエースをファンにしたり、広げてカバーすることをしていません。右手パケットのトップカードのカバーのみで行う方法です。そのために、暴露しやすく、実践面では問題を感じていました。

天海アディションの発展型も日本が最初の可能性

このアディションの発展型として有名なのが、ジョン・カーニーによる Versa Switch です。1982年の Genii 誌10月号に発表されています。左手はデックを持ったままで、甲が上向きになるように手首を返しているのが特徴です。右手に広げた4枚のエースを、内エンドをテーブルに当ててそろえる操作が入ることも特徴的です。この時には、パケットの上に数枚のカードが加えられています。これはマルローの方法からインスパイヤーされたと書かれていました。ところで、このタイプのアディションも調査を進めますと、日本が最初の可能性が高くなってきました。1974年発行の沢浩氏の「第6回石田天海賞記念誌」には「不法建築」の作品があり、その中で「シークレット・インサート」として解説されていたからです。沢氏の方法では、テーブル上に広げた数枚を、右手でサポートしつつ左手デックに取る方法です。左手は、やはり、甲が上向きとなります。天海賞受賞記念誌は、毎回、マジックキャッスルの図書室に寄贈されています。キャッスルへの出入りの多いジョン・カーニーは、この本を見る機会があったと思います。沢浩氏のことをバーノンが絶賛されていましたので、興味がわく本のはずです。日本語で書かれていますが、イラストで技法は理解できます。また、沢氏は1970年に、しばらくキャッスルに出演されていましたので、この技法の影響を受けたマジシャンがいた可能性もあります。ただし、カーニーの方法では改良が加えられていますので、Versa Switch もすばらしい技法です。沢浩氏の方法は、1988年にアメリカでリチャード・カウフマンにより発行された "Sawa's Library of Magic" の中でも、Bad Construction(不法建築)だけでなく、"The Strolling Cow Aces"、"Face-Up Oil and Water" にも使用されていました。

フランク・ガルシアの "Eye-Mazing" のトリックから

今年の3月末に、Yuji 村上氏により "Heavy Rotation" の作品集が発行されました。その中で、ガルシアの "Eye-Mazing" に、村上氏がクライマックスを追加された作品がありました。RRMCの例会で、この作品はガルシアの作品で正しいのかを質問されました。ガルシアのものではない可能性が高いと思いましたが、正確には答えることが出来ず、調査の必要性を感じました。

ガルシアは演じやすく効果の高い実践的な作品を多数発表されています。発行された本も多く、購入価値の高い本ばかりでした。人柄も温厚で、直接影響を受けたマニアも多かったようです。しかし、その反面、ガルシア本人の考案ではない作品を、許可を得ず、考案者のクレジットもせずに、少しだけ方法を変えて発表している作品も多かったようです。そのために、勝手に発表された多くのマニアから、かなりの反感をもたれていました。

"Eye-Mazing" は1972年のガルシア著 "Million Dollar Card Secrets" に掲載された作品です。この本は1976年に高木重朗訳「カード奇術の秘密」として金沢文庫より日本語版が発行されています。この本には、この作品を含めて、ほとんどの作品の原案者名がなく、問題となっていました。ジョン・ラッカーバウマーは、この本の発行後、直ぐに、各作品のクレジットすべき人物名やコメントを文書にしてまとめています。その当時、この文書は未発表ですが、プライベートにガルシアへ影響を与えた可能性があります。1994年の "Facsimile 2" に、その文書が紹介されています。この作品に関しては、「ターベルコース第5巻」の「ポール・ロッシーニのエース・トランスポジション」をチェックしなさいと書き始められています。それに続くコメントがありますが、それは割愛します。その文書の影響があってか、翌年(1973年)に発行されたガルシアの本の姉妹編 "Super Subtle Card Miracles" の最後に、2冊の本の全作品のクレジットと補足コメントが加わりました。「アイ・メージング」の作品に関しては、Jay Ose から見せてもらったことと、ポール・ロッシーニが彼のオープナーとして使っていると言われたことを記載しています。この作品に、ガルシアは4枚のエースをキングに変えることを加えたと書かれていました。

調査の結果、分かったことは、ロッシーニの方法が解説されたのは、「ターベルコース第5巻」が最初ではなかったことです。1946年1月発行のウォルター・ギブソン編集 "The Conjurors' Magazine Vol.1, No.12" が最初でした。「フォーエース・トランスポジション」のタイトルがつけられています。ここでは、4枚のエースがデック中央へ移動する現象を中心とした作品となっていました。「ターベルコース第5巻」は1948年発行で、現象は上記と同じです。しかし、この解説の後で備考として、「エースを無関係なカードに変化させるかわりに、4枚のクィーンもしくは他の絵札にかえるのもよいでしょう」と書かれていました。つまり、ガルシアがこの本を読んでおれば、彼の新しい改良点のないことが分かっていたはずです。

1999年にポール・ロッシーニの人物と作品をまとめた本 "House of Cards" が発行されます。この本の178ページに、この作品に関して、ターベルやギブソンは、ロッシーニの作品として間違ったクレジットをしてしまったと報告していました。元になる方法は、1941年に彼がチャーリー・ミラーから見せられたものだそうです。ただし、この記載では誤解を招きそうです。ロッシーニのシンプルにした方法が、チャーリー・ミラーの方法のように受け取られるおそれがあるからです。さらに、大きな問題は、チャーリー・ミラーの方法として、その内容が、正式に海外で発表されたことがないことです。私の調査不足で、どこかに発表されているかもしれませんが、1972年のガルシアの本以前には発表されていないようです。

以上までのことが分かった後で、驚きの発見がありました。1969年発行の加藤英夫編集「まじっくすくーる」63. 64 合併号の記事です。ダイ・バーノンとジェニングスが来日して、加藤英夫氏が通訳として同行した時に、バーノンより見せられたマジックが掲載されていました。それが、チャーリー・ミラーの「フォーカード・スウィッチ」です。4枚のエースが4枚のキングにスウィッチされる現象です。セットから方法まで、ガルシアの方法と全く同じです。なお、チャーリー・ミラーの方法の元になるのは、バーノンのシークレット・アディションであることも報告されています。バーノンの方法は、少し練習が必要がなため、ここでは、楽に行えるチャーリー・ミラーの方法を紹介したものと思います。バーノンの簡単な方法は、1932年に発表されていますが、改良されて実際に使っている方法は、かなり後になってからの発表となります。

バーノンのストリップアウト・アディションについて

バーノンの方法が最初に解説されたのは、1932年発行の "Twenty Dollar Manuscript"( "Ten Card Problems" とも呼ばれている)の本です。その中の「ザ・バーノン・カード・パズル」の作品に使用されていました。その当時は、このアディションに特に名前が付けられていませんでした。その本での方法は、全ての絵札とエースの16枚を順番に並べた表向きの状態から、4枚のエースだけアウトジョグしています。そして、この16枚の最下部のロードすべき数枚を、左手を使ってアウトジョグカードの下へ加えつつ引き抜いています。そのパケットの上へ、右手に残ったカードを置くことになります。 1977年発行のマジック誌 "Pallbearers Review" のダイ・バーノン特集号パート4においては、"The Unpublished Add-on Move" として解説されています。左手ではなく、右手を使って行う点が発表されていなかった点です。そして、バーノンの方法の全貌が明らかになるのが、1987年の "The Vernon Chronicles Vol.1" においてです。そこでは、「ストリップ・アウト・アディション」と名付けられ、様々な改良や応用が発表されていました。

おわりに

今回は、天海、バーノン、ブラウエの3名のアディションを中心に報告しました。中でもバーノンは、アディションに関して、かなり研究されていることが分かりました。バーノンは、ブラウエのアディションに対しても、その発表から2年後のカリフォルニアでのレクチャーで、その方法を知っているマニアやブラウエをひっかけるために、少しアレンジした方法を使っていました。ブラウエの方法は使い勝手がよく、フォーエーストリックや各種のマジックに容易に取り入れられるようになりました。一般客にはそれでよいのですが、マニアに対しては通用しません。クラシックな手法に戻って、パームやパス的な方法を使う方が、マニアには通用するのかもしれません。

シークレット・アディションの用語は、ブラウエの技法が最初と書きましたが、実は、1940年の「エキスパート・カードテクニック」の本にも登場していました。ただし、今回のようなパケットへのアディションではなく、デックへのシークレット・アディションとして三つの方法が解説されていました。残念ながら、特別な方法ばかりで、全く別のものといえます。

今回の調査でも、日本のマジシャンが世界に影響を与えていたことが分かり、調べていても楽しくなります。しかし、それが、世界的に知られていないことが残念です。また、バーノンやチャーリー・ミラーが、今回のテーマに大きく関わっていることが分かり、20世紀に彼らの果たした役割の大きさを痛感します。ブラウエも、いろいろと問題がありますが、彼の功績も忘れることが出来ません。彼がノートしていたからこそ、天海氏のアディションの存在が分かりました。最後に、参考文献として、天海氏のアディションに関係する文献のみ紹介させて頂きます。

天海アディション(仮称)参考文献一覧
1920 Charles T. Jordan Sleight of Hand Ten New Card Tricks
     The Amazing Aces に使用  右手ビドル・グリップのパケットで
1951 柴田直光 奇術種あかし 「4枚のエース」の中で使用
     外端を左向けたファン
1968 Edward Marlo Expert Card Conjuring by Alton Sharpe
     外端を左向けたファン
1974 沢浩 第6回石田天海賞記念誌 不法建築 シークレット・インサート
1978 Doug Edwards Card Mania The Quad Switch
1982 John Carney Genii Vol.46 No.10 Oct Versa Switch
     マルローの方法からインスパイヤー、 ダグ・エドワードの名前も
1982 John Mendoza Throwing the Switch
1984 Edward Marlo The New Tops Vol.24 No.7 July 4方法
1985 Fred Braue The Fred Braue Notebooks Vol.5 Jeff Busby 発行
     1936年に見た Tenkai Secret Add( Fred Braue Handling )
1985 Chris Kenner The Right Stuff by John Mendoza
     Throwing the Switchを使用
1988 Sawa Sawa's Library of Magic by Richard Kaufman
     Sawa's Handling of the Add On を3作品に使用
     これは、上記の沢氏のシークレット・インサートと同じ技法です。
1991 John Carney Carneycopia by Stephen Minch
     Versa Switch 多数の人物名をクレジット
1992 Chris Kenner Out of Control For 4 For Switch
     Charles T. Jordan の名前だけクレジット
2000 Roberto Giobbi Card College Vol.4 (1994 German)
     The Toss Switch 多数の人物名をクレジット
2001 Troy Hooser Destroyers by Joshua Jay
     Throw Switch Experimentation
2003 Aaron Fisher FISM 2003 Catching the Switch
2003 Paul Comming The Japan FASDIU Lecture Notes 2003
     Chris Kenner の For 4 For Switch だけをクレジット


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