2011年2月頃まで、私が気になっているコインの技法やフラリッシュについて調べていました。また、コイン・ボックスに孔があいていたのは、日本製だけなのかについても調べました。これらの調査内容は、近日発行予定の "Toy Box Vol. 11" に報告しています。今回はコイン・マジックの特集号ですので、コイン関連の気になっていた点を調べたわけです。その中で、あまりの意外な事実に驚かされたのがダウンズ・パームです。
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手のひらが客席に向けられて空であるのが見えているのに、次々とコインが取り出されたり、消失させることも出来ます。バック・パームやバック・ピンチでも可能なことですが、それは1枚か2枚の場合です。5~6枚のコインを使って行えるのがダウンズ・パームの優れた点です。手のひらを客席に向け、コインを水平な状態で、親指と人差し指の股の部分で挟んでパームします。客席からは、親指のカバーにより、コインの存在が見えません。 |
1. 1950年発行のヘンリー・ヘイ著「アマチュア・マジシャンズ・ハンドブック」を読みますと、ダウンズ・パームとは、手のひらにパームするエッジ・パームの別名となっていました。また、我々がダウンズ・パームと呼んでいるのは、クロッチ・パームの名前が付けられていました。そして、誰の名前もクレジットされていませんでした。クロッチとは、枝分かれした股の部分の意味があります。
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「キング・オブ・コイン」と呼ばれたダウンズについて調べますと、意外な事実が分かりました。1912年の45才の早い段階でプロ・マジシャンを引退し、生まれ故郷の Iowa 州に戻り、その後はクロースアップを中心とした趣味として継続させていたことです。特にカード・マジックの興味が高かったようです。ダウンズの家を訪れた人物の驚きは、多数の手紙があったことでした。多くのマジシャンやマニアとの手紙の交流がありました。チャールズ・ジョーダンとも手紙で交流していたことは有名です。ジョーダンは1920年前後にだけ急浮上した謎の多いマジシャンです。また、1922年から32年までのエディー・マクガイヤーとの手紙の内容がまとめられ、一冊の本にしたものが1981年に発行されています。これは、1971年の「リンキング・リング」誌4月号と5月号に連載されていたものです。その手紙の内容の多くが、カード・マジックの作品についてでした。もちろん、クロースアップのコイン・マジックも考案し演じていました。マニア相手には、秘かにギミックを使って、不思議さを強力なものにして、マニアを煙に巻いていました。このギミックの使用は、親しいマジックの友人にも秘密にしていたことが後で分かります。彼のコイン・マジックは、スライハンドだけで演じていると思わせていたようです。
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「不可解に思った点 1」で報告しましたように、1950年のヘンリー・ヘイ著「アマチュア・マジシャンズ・ハンドブック」では、エッジ・パームの別名としてダウンズ・パームの名前が登場します。その2年後の1952年発行 Bobo 著「モダン・コイン・マジック」では、現代のダウンズ・パームの解説に変わっています。この食い違った記載となったのは何故でしょうか。数年前となる1945年発行のフランス語の英訳版 "Magic Without Apparatus" には、初めて、ダウンズ・パームの名前が登場しています。しかし、エッジ・パームのことをダウンズ・パームとして書いていました。それは、1900年発行のダウンズの「モダン・コイン・マニピュレーション」の本に、エッジ・パームが解説されていたので、ダウンズ考案と判断されたからのようです。
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「アマチュア・マジシャンズ・ハンドブック」の著者で、私がこの本のコインの各技法を見た時に、正確な技法名を知らない人だと思ってしまいました。また、ダウンズ・パームを別の名前にして、エッジ・パームの別名をダウンズ・パームと呼んでいるのは、ダウンズのことを何も知らない人だと思い込んでいました。ところが、今回、調査して、全く逆であることが分かりました。ダウンズに詳しいだけでなく、もちろん、マジックにもかなり詳しいことが分かったからです。
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彼は1890年のオーストラリア生まれで、1908年に突然、プロ・マジシャンになっています。アラン・ショウのマジックを見てあこがれ、数ヶ月間、練習に没頭しただけでプロになったようです。最初のステージでは、ステージでの歩き方だけでなく、スピーチも考えておらず無言であったために、すぐにカーテンが降ろされることになります。その後は、もちろん、オーストラリアで活躍する一流マジシャンになります。
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前半の技法解説に写真のようなイラストが使われており、その中で、ビックリするイラストが目に飛び込んできます。バック・パームしているイラストですが、異常さを感じます。中指と薬指の背部に、6枚のコインをずらして、両サイドを人差し指と小指で挟んでいるからです。また、別のイラストでは、40枚近いコインを、手のひらにエッジ・パームしているのも恐ろしさを感じます。意外であったのは、本の後半がギミックや用具を使ったマジックの解説になっていたことです。
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119世紀末にマスクをつけて、ヨーロッパ各地で活躍したミステリアスなマジシャンがマスクです。コイン、カード、ボール等を使ったスライハンド・マジシャンで、目の周りだけ小さなマスクをつけています。彼については謎が多く、本によっては国籍をフランスとかスペイン、または、チリと書かれていました。実際は、1851年のペルー生まれであることが分かりました。1877年にはマジシャンとして活動しており、マスクの名前以前はDe Gago や Dr Gago の名前で、マスクなしで演じていました。1892年にプライベートな理由でマスクを付けて、マスク "L' Homme Masque" の名前に変えました。死亡年がもっとミステリーで、1906年に自殺したと書かれたり、1913年死亡とも書かれていたことがあったようです。しかし、1924年までの消息が分かっています。ただし、その頃に死亡したのか、その後か、正確な死亡年は分かっていません。1906年の死亡説は、1905年頃に引退して、ステージでは見かけなくなったからのようです。
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Bobo は1910年のテキサス州生まれで、学生時代にコイン・マジックを見せられ、大きな影響を受けています。本格的なマジックを習得したのは、1927年より始まったターベルの通信講座によります。これは、1941年からルイス・タネン社より発行される「ターベルコース」の元となるものです。19才より大工の仕事とアマチュアでマジックも演じています。数年後にはプロとなり、テキサス州周辺の学校を中心に、奥さんと共に巡っています。ピーク時には年間400校以上で上演し、もちろん、1日で数校を掛け持ちしていました。毎年、全く違った内容で上演し、生徒が在校中に同じマジックを見ることがない配慮もしています。そのことと内容の質の良さで、翌年の予約も必ず取って帰っていました。また、毎夜、帰宅出来る範囲内の学校しか出演しなかったようです。効率よく、地道な活動が50年以上続けられることになります。1993年の83才で引退し、1996年に死亡しています。
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Boboがダウンズ・パームを現在知られている内容に決定した理由がはっきり分かりません。しかし、案外、簡単な理由かもしれません。「モダン・コイン・マジック」の本の最初に、簡単なコイン・マジックの歴史の記載があります。その中で、1909年のダウンズの「アート・オブ・マジック」の本に、ダウンズ・サム・クロッチ・パームの記載を見つけたと書いています。これは、このコラムの最初の部分で紹介しました長いタイトルの方法のことです。このパームに関しては、この本の記載が最初と判断されてしまったようです。また、このタイトルのトップに「ダウンズの」と入っている点からダウンズ考案と思い、ダウンズ・パームにしたのではないかと考えました。
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今回の調査で、ダウンズ・パームがダウンズのものでない可能性が高いことが分かりました。また、ダウンズ・パームからの数枚のコインのプロダクションも同様です。しかし、ダウンズのものでないことも完全に証明出来ません。マスクの考案かStanyon の考案かもしれませんが、そのことの決定も困難です。いずれにしましても、ダウンズがマジック界に大きな功績を残したことにより、誰もがダウンズ・パームの名前に異議を唱えなかったように思いました。今回の調査により、コインの歴史だけでなく、関連したマジシャンの意外な事実も分かり、大いに楽しめた調査となりました。 |